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淘汰される

忙しい毎日を送っていると、ふと振り返ったり立ち止まったりする時間がなくなってしまいがちです。

でも、時々、道の上にある大きな石に腰かけて空をみながら深呼吸する時間はあったほうがいいな

務めてそんな時間を持つようにしています。

自分を大切にすることは大事なんだそうです。
私はこれをしなくちゃ、家族のために会社のために友人のために恋人のために

という、義務感に駆られてしまっては本末転倒。

相手が喜ぶ顔を想像してなにかをする。そして、そこに喜びを見出すことなら、自己犠牲の上の幸せではないので、本当の意味でのハッピー感に包まれることになるんだそうです。

先日も仕事中、別の仕事を頼まれましたが、どう考えてもこちらとは関係ないお仕事で、その方の優越感を満たすためのお仕事というのが明らかでしたので、お断りしました。

昔だったら、いやいや引き受けたでしょう。そして、引き受けたあとにいやな気持が残り、仲良しのだれかに愚痴をいってしまったでしょう。

いったんは、すっきりするかもしれませんが、聞いたほうだって気分がよいとは言えないし、言った自分ももやもやムカムカは残ってしまいますよね。

結局、時間が経ったら、相手も必要性がなくなったのか、再依頼はしてきませんでした。仕事と私利私欲を一緒にしている方への協力は本意ではありません。

そこで、でっかいクッションでいったん受け止めて、下において、丁寧にお返しする、という方法をとるようにしました。

理不尽に嫌なことをしてくる人もいます。そういう人は、消します。(え゛!!!)

前の職場でいたんです。おもしろーい人が。

嫌いな奴は消す!(自分の脳内から)

その手法をいただきました。

人だと思わないようにします(なんだか物騒だな・・・)

つまり自分と心を通わせる人ではないと思うようにすることで、単なるオブジェというか、町中にあるなにかの景色(好きじゃないポスターでも町にはあって、取り去ることはできないですよね?)のひとつと思うことにしました。

話しかけられることがあっても、テレビやラジオから流れてくる音声にこたえるように、自分の感情は乗せない。

すると、イラっともムカっともこないのです。

気が付いたのです。なぜイラっとしたりムカっとするか。相手に望ましい対応を求めるからなんですよね。それは、好きな人でもそうです。家族や恋人などに思っていたのと違う反応が返ってきたり、行動をみたりすると、がっかりする・・・

だから、最初から期待しない。悪い意味じゃなくて、過度な見返りを望まないということです。

もちろん、今の環境はとても恵まれていて、四方八方がやなかんじだったら、到底できる技ではありません。そんなときは、そんな環境を捨て去って、自分がよりよく過ごせる場をみつけるか、作り出すかしなければいけないでしょうね。

今の環境はとても良いのです。理解者も多いし、応援してくれる人もいる。ただ、やな人(自分と合わない人)はどこにでもいるものです。害虫はどこにいってもいるように、世界から取り除くことはできません。

でも、害虫も意味がないわけではありません(人間を害虫にたとえてごめんね!J)。

自分にとって思わしくない、好ましくない人も意味があるんだなあと思うことがあります。その人のおかげで、強く支持してくれる人がでてきたり、かばってくれたり、応援してくれたり。結束が固くなることも多々あり。

人の振り見て我が振り直せという言葉にもあるように、ああ、ああなっちゃいかんなあ、と思えることも多々あり。

結局、残念な人って、最後はぼっちになったりしています。気の毒だなあ、でも自業自得だなあ、気づいてればよかったのにね←だいたい一生気づかないパターンが少なくないですね。

世界を平和にしよう、と思うのも、よくない状況をみているからですよね。

なんにも障害がなければ克服しようとも思わなくなるかもしれません。きっと人間が進歩してきたのも、生物が進化してきたのも、不自由故に目標をかかげて進もうとしたんだろうなあと思います。

さて、今日はきのうの筋肉疲れをいやすために、多めの入浴剤でほっこりゆったりしようかなあと思います(これはこれで勉強になりました)。

サポートしていただきましたら、きっといいことがあるでしょう!少なくとも私から多大なる感謝を持って、心より敬意を表します。ありがとうございます!!