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脱不快術

夏もおわりますね~お盆をすぎると一気に秋を感じさせる風がほほをなでなでしてくれて、洗濯ものが喜ぶ水分少ない空気感に食欲も旺盛になる時期でございます。

さて、たくさんいただいた採りたて生コーンは、そのままいただいたり(1日3本とか)つぶを芯からとって料理したり、サラダにしたり、残りはジップロックで冷凍したり、いろいろな楽しみ方で、主食:コーン、おかず:コーン、スィーツもコーンな毎日となっています。

ものでも事象でも
「さて、これをどうさばこうか」
と、考えるのが好きで

困った人が登場してくれたときも
「さて、どう捌こうか」

と、プランを立ててみたりします。

プランA、プランB、プランC & オプション

昨日は、ある困った人のこまった習性にまわりの多くの人々が閉口している状況をみて、考えてみました。

おそらく、困った原因を作っている本人は、人を困らせているということに気づいていないでしょう。おそらくじゃなくて、間違いなく。

で、どうしてそんなことがおこるのか・・・

この方の場合は、親の影響でしょうなあと思いました。まあ、ほとんどの困った人というのは、これに当てはまっているかもしれません。今回の登場人物、本人妙齢ですので、自覚があれば、親がどうこうでも、努力次第でなんともなりますが、持って生まれたものと環境因子の両方の条件が重なると、自分で気づいたり、考えたりということって
なに?

っていう、反省するよりひとのせい(外国はこのパターンが多いけど)、改めるよりひらきなおる

っていう、自ら進歩しない方向を選んで、恋人ができてば振られ、あたらしくお付き合いはじめても愛想着かされ

それでも「ひとのせい」

いいなあ。そう思えるなんて・・・・(ひにくだけど本音です)

ある意味、心タフなのかもしれません。自分を責めすぎると、心壊れちゃいますからね。熱出して倒れたこととかないですもん。この方。

理想を言えば、心タフで人にも優しい人がすばらしいんですけどね。

で、不快を与えるこの方を目の前に、不快にならない状態でいるには・・・

あるスポーツの戦略を思い出しました。相手選手のすべてを把握しておく。これが勝因だ。といったコーチの言葉です。

そうすれば、各々の動きがある程度把握できるので、ストラテジーを構築しやすい。次にどういう動きをするか、パターン分析、癖を把握する、などなど

なるほど。これって、人間関係にも応用できるよね?

と、思いまして、困った様(ちゃんから昇格しています)を観察し、言動なども分析していたところ

一見親から愛情を受けているように見受けられますが、愛情ではなく、甘やかしの上、本人の心を組んであげたり、思いやりをかけたりということとは異なっているということを確信しました。

優しいことをしてあげているようで、本人のためではなくて、親のエゴ。これがよくない。親がこうしたいこどもにこうしてほしいということを、押し付けているのです。親のフレームに無理やりはめ込んでいる。

本人は幸いなことに理解力が乏しいため、親がむりやり枠にはめ込んでいることに気が付いていない。そして、親からは愛情を受けていると勘違いしている。もちろん、愛情なのかもしれませんが、きわめてエゴイスティックにまみれた愛情にみせかけた強欲と言い換えてもいいかもしれません。

ですから、困った様は、三十路なのにもかかわらず、進歩するどころか、一部腐敗の一途をたどり、外見は平均以上であるのにもかかわらず、ことごとく、交際相手からは三行半をつきつけられるのであります。

まあ、その時点で、ちょっと賢いひとなら、自分のどこに非があって、どこを改めればいいのかな、なんて考えるんじゃないかなと思われるんですが

なにかあると、お前は悪くない、周りが悪いのだ、と、慰めの励ましではなく、根本から本人が反省できなくなるような環境を作った

鬼親
と、私はあえていいたいなと思いました。

片方の親は国家公務員です。国家公務員すべてが、こういうタイプ、とは言いませんが、仕事柄、ルールを守るだとか、きちっとしていなければいけないという概念がどうしても望ましい教育の邪魔をするということはあるかもしれません。

自由であることには責任が伴うとか、自分で考えて判断するとか、放任じゃなくて、サジェスチョンを与えるとか

人間が成長する上で欠かせないことをはき違えて、まる反対の投薬をして、だめにしている

という親が少なくない、まあ親も人間ですけれど

うちのおじいちゃんも国家公務員でしたが(父方も母方も)、うちの両親は破天荒でした・・・・(すばらしき反面教師です)

世の中いろんな人がいますね。

やはり、知識と経験というのは大事だと思います。これが欠如すると、人間は考えることをしなくなり、固定概念にしばられて、自分のやっていることがすべて正しいと錯覚してしまいます。

もちろん、世の中すべての事象に、正解不正解が決まらないこともあります。しかしながら、わざわざ人に嫌われるようなことをしてしまう、そしてそれに気づかない残念な人に

教え諭すすべは、私はもっておりません。

相手を変えるんじゃなくて、自分が変わって、相手の愚行を俯瞰でとらえ、私の心をかきみださせない、困った様には正論ではなくて、やんわりだまし討ちをして懐柔させる(本人は気づいていない)という、ちょっとずるいやり方しか

いまのところアイディアはありません。

この方の場合はわかりやすいので、多くの人目に触れる困った事象ですが、場合によっては、ほとんどの人が気づかないような戦法をもってして、やってくる輩もいますから

人生、毎日修行ですね。プライベートはそんな人とつきあわないけど、仕事となると避けては通れないわけで。

さて、8月も終わりなので、残暑を楽しむ時間旅行をしようかなと思います。大好きなドーナツとコーヒーで^^


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