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ぬちどぅ宝

ふと思い出したことがあります。3個上のおにいちゃんがいたはずですが死産だったので、私は会ったことがありません。

遺影はあってこどものときはいつもそれをみて、もしにーちゃんいたら一緒にサッカーやってたかな?なんて思ったりしてました。

母は難産だったので私も仮死状態で生まれ、7個下の弟も帝王切開でした。私が生まれたときに産声を上げなかったため、また死産か・・・と一瞬絶望の淵に追いやられたそうですが、注射をしたら声をあげたので、ほっとした、とだけ子供の時に聞いていました。

大人になって今それを想像すると、とんでもないよな・・・生命の誕生ってすごいよなってしみじみ思いました。

そうして生まれたので、ものすごく神経質になっていたんでしょうね。母は。私は体も小さくてガリガリだったし、食も細かったので季節ごとに高熱を出していました。「弱いから気をつけなくちゃ」という意味で言ってたんでしょうけど、こどもだった頃は自分は体が弱いと思い込んでしまいました。

今は、どんなウィルスも退治したる!って信じ込んでいるので、滅多に倒れません。たまーにどうしても精神的に負荷がかかるとぶったおれる・・・ということはありますが、たいてい1日ぐらいで回復します。

20代ぐらいまでは一旦風邪をひくと10日以上は体調悪い状態が続きましたので、当時を知っている人たちは私の変貌ぶりに驚いています。性格もですけど。小学校4年生までは大人しくてしゃべらない子でしたが、中学で女子中に進むと友達とわいわい騒ぐのが好きな子になっていました。

でももともと社交的だったのかもしれません。大人しくても友達はけっこういたかもしれません。半分は男子でした(男子はあまり会話が必要なかった。感覚で単語を交わすというか)。野球とかサッカーの人員要請で呼ばれるんです。もう一人の女子はお父さんが京都で甲子園出場のツワモノでしたので、この子と女子ツートップでスポーツ班に入れられていました。

スポーツ得意なのに体が弱い・・・自分でも不思議でしたが、環境が落ち着いていると元気に走り回っていたようです。

病の木にも書いたように、人って心持次第でどうにでも変わるんだな、いや体をつかさどっているのは心で「心身」というのは思っている以上にリンクしている、心が健康でいることはすべての基本だなと感じています。

この世に出たかったけど、生きることのなかった命。それを乗り越えて誕生した命なんですから、大事にしないと。

沖縄ではぬちどぅ宝っていうんだそうです。命は宝っていう意味です。

無駄に悲観しすぎたり、自分を責めたりする必要はないんです。かといって他人を責めすぎてもいけない。たまたまやっかいな人が目の前を通過しただけ。アンラッキーは続かない。備えて対処すれば、いろんなパターンを想定できる。一人で抱え込まないで、強力なサポーターをみつける。

人間は常に考えてバージョンアップできるものであり、それを怠ることはもったいない。せっかく与えられた貴重な生命なんですから。

これを魂と表現するなら、つねに磨いて、切磋琢磨したら、次のステージではレベルアップしてるのかもしれない。輪廻転生を信じると仮定すれば。信じても信じなくても人それぞれですが、そう思うことで心が強くなるのであれば、プラシーボ効果十分じゃないかな。

さて。2022もあと1日と半分。

今日はなにしようかな。ロイスのマシュマロチョコとコーヒータイムを終えたら大掃除でもしましょうかね。オリジナルおせちはきのう9割作り終えたので、ネトフリみながらゲームは昨日で一旦終了。

がんばる人を応援したい隊長もいろんな人に支えられ感謝の1年でした。

チンシムロ、サラゲ!!


サポートしていただきましたら、きっといいことがあるでしょう!少なくとも私から多大なる感謝を持って、心より敬意を表します。ありがとうございます!!