ハッピーセカンドライフプラン(古賀コン4/テーマ「記憶にございません」ルール:一時間で書く)

ハッピーセカンドライフプラン
                        和生吉音

「おふたりさぁぁん…そろそろお腹がすいたでしょ…あったかぁぁいトン汁とおにぎりが出来ましたよぉぉ…」
半地下になった倉庫室の、短い階段の上のドアが開いてか細い老女の声がする。室内にいる三人のうち、立っている二人が同時にそちらを見上げた。残りの一人は、雑然と物が積み置かれたコンクリート床の隅に身を縮めた格好で横たわっていて動かない。
「もうすぐ組長さんが戻ってらっしゃるでしょ…それまでに召し上がっておいたらいかがぁぁ…?」
でっぷり太った禿頭の男がそちらを見上げて
「いや、俺らコイツを見張っとかないといけないんで」
と首を振り、頬に傷のある柄シャツの方が続けて
「ていうかシズエさん、もう代替わりして五年スよ、組長じゃなくて社長って呼ぶように何度も」
と諫めかけるが、先の代より料理の腕を買われて住み込んでいる家政婦は動じる様子もない。
「でも冷めちゃうからぁぁ…」
と老いた喉から絞りだすような高い声を洩らしつつ、碗や皿のぎっちり載った大きな盆をプルプルと震える鶏ガラのように痩せた両腕で支えて半地下へ降りてこようとする。慌てた柄シャツが階段を駆け上がってそれを受け取り、そこから立ちのぼる温かな湯気に靡いて
「じゃあちょっとだけ腹ごしらえしとくか、社長が戻ってきたらそいつを叩き起こして姐さんのヘソク…実物財産をどこへ隠したのか吐かせなきゃならねぇ。長丁場になるからな」
などと呟く。
「じゃ、じゃあ俺が見張っとくから交替で」
漂ってきた香ばしい海苔の香りに唾を呑みながら禿頭が言うと、
「あらぁぁ、あったかいうちがおいしいのよぉぉ…ここはあたしが見てますからぁ…二人でちょっと休憩してらっしゃったらぁぁ…?」
小柄な体躯を手摺りで支えつつ、家政婦がほんの五、六段のステップをよちよちと降りてきて
「お茶のお替わりはテーブルのポットに入れてありますからねぇぇ…」
とにこにこ微笑む。
「───まあ、こいつはオネンネしてるだけだしな。じゃあシズエさん、俺達上に居るんで、なんかあったらすぐに鳴らしてくださいよ」
禿頭は壁のインターフォンを指し、柄シャツの後に続いて階段上のドアの向こうへ行った。
「はいはい、分かりましたよぉぉ…」
にこにこにこ。
ギィと自動で重たい鋼板ドアが閉まると、丸まっていた老女の背筋がスッと伸びた。
ツカツカツカと確かな足取りで荷物の積まれた部屋の隅に転がっている男に近づき、赤い室内履きのつま先でその体を蹴る。したたかな打ち込みに男がウッと呻きを洩らした。
「だらしないねぇ、潜入捜査中の警察官がそんな体たらくでどうするの、得意なのは寝たフリだけかい?」
男は痣だらけになった顔をしかめ、信じられないものを見るような目で老女を見た。
「あんた…知って…?」
老女はハハッと乾いた笑い声を立てる。
「皆も薄々不審に感じちゃいたさ、ポリ公の兄さん。あれだけコソコソ嗅ぎまわってりゃあたし以外の人間にバレるのも時間の問題だったと思うね。そしたらこんなもんじゃ済まなかっただろうよ。さっさと消されてるか、サツとの取引材料に使われて社会的に死ぬはめになってるか。それが今はあんたの怪しい動きはみんなチンケな盗みの下調べだったんだろうってことになってる。あたしがおっ被せてあげた盗みのおかげで一応まだ生き長らえてるんだって分かったら感謝してほしいわね」
男は苦し気に身を捩って向き直り、更に驚愕の表情で老女に向かって呟いた。
「あんただったのか、奥様のヘソクリを盗んで現場に俺の髪の毛を落としておいたりしたのは」
老女は先ほどから男の傍に屈みこんで粗雑に積み上げられている荷物の中から何やら予め用意してあったらしい物を次々に引っぱり出しては作業をする手を動かし続けている。
「ハハ、あの女、先代に色目を使ってたのに坊ちゃんが継いだらさっさとその妻の座に収まっちまってねぇ。遣り手なのは構わないけどあたしを追い出そうとしてるのは気に入らないね。いただいたのはまぁ、退職金代わりってところだよ。金塊だの宝石だの、換金しやすいモノばっかりだったのは大助かりだった───リタイア後はハワイにでもロングステイと洒落こもうかねぇ。
さ、出来たよ。こんなもんだろ」
半ば呆然としていた男がハッと振り向くと、そこには彼の着ているものと同じ生地のスウェットとチノパンが、古布を包むようにしてちょうど人間めいた膨らみを形作って置かれていた。奥の方に向いた頭部にはご丁寧にウィッグまで。一見するとまるで自分が寝ているようだ。説明を求めるまでもなく、老女はこれから男が為すべきことを立て板に水の勢いで話しはじめた。

 外での仕事を済ませた社長は、ゆっくりと事務所の半地下の倉庫へ降りていった。柄シャツと禿頭の部下が「お疲れさまです」と頭を下げてくる。部屋の隅に目をやると、新入りながら目をかけてやっていたのにあろうことか屋敷の中で盗みを働いた不届き者が、部下達の仕置きを受けて床の上に伸びている。社長は咥えていた煙草をそちらの方にピンと弾き、
「そいつを起こせ」
と冷たい声で命じた。
と、その時、パァンと上階で音がした。明らかな銃声。一同が一斉に階段の上の扉を見る。間髪入れずに柄シャツと禿頭がそちらへ走る。社長も扉の方に向かおうとして、一度背後を振り返る。足が止まる。そこに転がっていた筈の男がいない。

 「いいかい、今からあんたはこのテグスの端を持ってそこの中に入るんだ」
階段を支えるコンクリート部分を示し、老女が指先で宙を叩くような操作をすると、何の変哲もないように見えていたコンクリートの前面が板状にスッと地面に引き込まれた。驚く男に
「白内障の眼内レンズを入れた時、ちょいと空間コンピューティングってやつを仕込んでいてね」
と口の端で笑ってみせ、
「この非常脱出口のことは先代の秘密だったから今となってはこの存在を知ってるのも開閉パスワードを知ってるのもあたしだけ」
とつけ加えながら老女は素早く片目をつぶる。
「帰ってきた社長がこの人形を見たタイミングで上で発砲音の録音を鳴らして、その後ここをもう一度ちょっとだけ開けるから、あんたはテグスを引っ張って布切れ全部その中に引き込んで。布は全部繋げてある。しくじるんじゃないよ、それが済んだら外に出てあんたの本来のお仲間にすぐ通報だ。会社(ここ)の悪行の証拠は全部挙げてある筈」
フリルのついた割烹着のポケットから男のスマホを放って渡し、hurry up! と急き立てた。
男は柄シャツ達に取り上げられていたスマホを握りしめ、これで令状が取れることを確信して老女に向かって強く頷き、階段下の秘密スペースに身を隠す。老女の操作でコンクリート板が上がり、その後ややあって柄シャツと禿頭が戻ってくる。
「ごちそうさん、やっぱりシズエさんの飯はうまいな」
「何もなかったかい」
「えぇえぇ、なぁんにもありませんでしたよぉぉ…」

「何でもいい、何かあっただろうがおかしな事が、人間ひとりが消えてるんだ何かあった筈だ思い出せ!」
社長の怒号に脂汗を浮かべながらしどろもどろな返答をする部下二人。
「ええっと、そうですね、なんつーか…あいつ、ユーレイだったとか…?」
「おい馬鹿、何言ってるんだよせよ、あっ、あのう、なんか俺、手品見たことあります、でけぇ箱に人が入って開けたらいなくなってる、みたいな。だからそのー、なんか仕掛けが」
「だからその仕掛けを見つけて奴を連れ戻せっつってんだろうがよォッ!」
社長が丸椅子を蹴り倒す音が倉庫のコンクリート壁に響く。
「まぁ、まぁ、どうしましょうぅ…もう何が何だか…、社長がお戻りになった時はあたしはお台所にいましたし、ここで見てた時にはとくにおかしな事なんて、なぁんにも覚えがないですわねぇぇ…」
おろおろと声を震わせる老いた家政婦。その語尾に混じって遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえはじめる。                          〈了〉

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