抽象的なものがわかるようになりたい

私は職を変えることで発想を変えてきたのだろうと最近考えるようになりました。
20代の頃に営業をやっていた時は「足で稼ぐこと」が重要であると言われた歩き回っていました。アルバイト時代には難しいことを簡単に理解するためにどうしたら良いのだろう、私と同じくらい理解力のある子が一緒に業務に当たってくれたらチームワークが発揮されそうだと考えて「頭を使う」ことを工夫しました。

30代に入ってからは体力が低下したので「体力をつけるため」の仕事をしました。去年転職してからはパソコンを使う業務をしているので再び「頭を使う」仕事になりました。一緒に働いている人は複雑な仕事は好きではないので体力の必要な仕事などをやってもらうことが多いです。

私は今は統計を勉強しています。数字に強くなればもっと抽象的なものを理解することができるようになります。数字に強くなれば「正しくリスクを取る」ことも可能になるのだろうと考えることがあります。

体力や拘束時間を価値に変えることには限界があるということを自覚しています。私は有限の資源を使うことから次元を変えていきたいと考えています。80%の努力をして20%の人が担っている役割ができるようになれたらいいなと思っています。私はマジョリティーになることはできなかった。そして競争で上がっていくことに興味を持つこともできません。できる限り全員が勝てるようなゲームに参加したいと考えます。少しかっこいい言い方をすると安心ができる関係性と成長が見込める環境づくりができる場所に身を置きたいと考えています。それは可能なことであると私は思っています。

競争はわかりやすくてエンタメ性があるしお互いの成長に繋がることもある。とはいえ最近は余力のない世の中になりつつあるので本当にコストをかける必要があるのか考えることも時には必要かなと思います。またAIなどの技術発展が著しいので「今までのやり方を捨てて新しくゼロベースで発想する」ことをやっていきたいです。既存の当たり前を疑ってもっと合理的な方法があるならばやり方をガラッと変えることを私は積極的にやっていきたいです。私と親世代では全く違う価値観を持っていることがあります。

例えば育児と仕事に関する取り組み方を私は構想することがあります。私は早く仕事に復帰したいと考えています。その意見に対して「そんな取り組み方は間違っている。親としての愛情が欠けている。意味がわからない」と言われます。
私は大人が子どもにできる最大のプレゼントは「環境を整えること」だと思っています。最高の環境を整えるためにはお金が必要です。自分自身が社会に価値を与えている存在であると自信を持つためには働いて対価を得ることが有効な手段であると考えています。長時間ただ一緒にいることが愛情であると訴えることは長時間就業することが愛社精神であると説かれていることと同じであると主張されているように私は感じてしまいます。

資本主義のルールに則ってしっかりとお金を稼ぐこと、自分よりも年上世代に対して合意を取れるように働きかけをすること。この2つのアプローチを並行して進めていく必要があると考えています。簡単なことではないですが一歩ずつ確実に前に進めていきたいと考えています。

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