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育ててくれて、ありがとう

環の会では「テリング」を大切にしています。
テリングとは、育て親が、産みの親の存在や自分たち 家族の成り立ちについて、迎えた時から子ども本人に伝え続け、また、子どもの思いに耳を傾け続けることです。

テリングをして育った明子(あきこ・仮名)さんの投稿

今年の春から大学生、自分の憧れていた看護師という道への進学。
親元を離れて過ごすという不安もありますが、今はドキドキワクワクという気持ちが大きいです。
そして6年間続けていた塾も終わり、学校も卒業前でほとんどなく、バイト三昧の日々を過ごしています。
私はあまり人前で話すのは得意ではなく、説明会に行かせていただいてもママとしか話さない、よく大人しい子と言われていました。
しかし仲の良い友達や親の前では私の方がよく話す方で、友達にも「明(あき)ちゃんこんな話すんや」とよく言われます。
私が受けたテリングの話をしたいと思います。

まず私が聞くことを全て包み隠さず、何時間も私が理解するまで話してくれたことが一番だと思います。
もう一人お母さんがいるということはもちろん、今では家庭を持っておられるということなどなど話してくれました。
また、環の会の行事にも出来るだけ連れて行ってくれました。そこで私みたいな環境の子は沢山いるんだなぁ、一人じゃないんだという安心感というのも感じることができ、自分のことを理解できました。
小さい頃からテリングを受けていたこともあり、あまり混乱などはしなかった記憶があります。
多分自分の中でも、産んでくれたお母さんと今育ててくれてるお母さんとを分けていたのだと思います。
友達関係など自分がイライラしてる時、「育てれんくせに産みやがって」など、あまり産みの親のことをよく思わない時期がありました。
しかしその時はママが、「産みの親がいなかったら明はおらんかったのよ」などと言ってくれました。その時、今、自分が嫌なことも楽しいことも全て感じ過ごしているのは、産みの親が私を産んでくれたおかげなんだと思いました。
テレビドラマで、未成年で出産し、子どもを手放すシーンでお母さんが号泣しているのを見た時、お母さんもこういう気持ちだったのかなと思ったりします。
本当に産んでくれて有り難いなと感じるようにもなりました。

そして今私の身近で支えてくれてるのはママ!
少し前、私に初めて会った時に私を抱っこしている写真がありました。そのママの顔は最高の笑顔で、なんか私はママに育てて貰えて良かったです。
小学高学年から高校一年にかけての反抗期、私はあまり覚えていないのですが、今聞くと本当に申し訳なかったです。
こんな私をここまで育ててくれてありがとう。

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