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閑話休題 - break time

noteを投稿し始めて少し経ったこの頃、自分の投稿文を最初の「初稿」から見直してみた。

「今語りたいことあんま無い。そんな暇ない。」

あれからバリバリ語ってるじゃん、ひゃあ恥ずかしい笑

他にも見るだけで共感性羞恥が発動してしまうような文章構成は沢山ある。ほんとに自分が書いたの?これ笑
もんのすごく恥ずかしいんだけど。心が痛い…

文才の無さが窺えるが、じゃあ恥ずいから書かない見せないだと、それも違うと思う。良い文章が書きたいのはあるけど、自分の考え、感想を可視化する事に意味がある。

かつての自分が拙い、幼い、恥ずかしいと感じるなら、それは成長してるという事なのかもしれない。少なくとも、過去の自分を見て「昔の方がイケてた」と思う方がまずいのではないか。退化してるじゃんそれって。進化してるからこそ、過去の自分は恥ずかしいものなのかもしれない。だから逆に、あの頃は幸せだったとか、あの頃はよく頑張ってたとか、過去を振り返りたい衝動に駆られた時は、今が充実してないサインでもあるのか。夢中になるほど今が充実していたら、そもそも過去を振り返ろうなどとは思わないと思う。今が楽しければ、過去に用はない。よく瞑想とか精神療法とかで「今」を意識していくのは、結局「今」を大事にできないと、過去も未来も悲観的になるからだと思う。今この瞬間は、過去であり、未来の姿。今を大事にしていけば、過去も未来も素敵なものになるんじゃないかい。そういう結論になったので、これでこの話はもう終わります。

これからもテキトーに、殴り書きの如くnote書いていこうと思う。


#bgm  04

Matatabi - Blue Flowers



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