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小説「シャリ神戸」

ケツが、冷たいし痛い。都会の人間は冷たいと誰かが言ったが、俺としては真冬の駅の床の方が何倍も冷たいし硬いような気がする。
眠気が振り切れない瞼を擦り、高校の入学祝いで家族に買ってもらったフルメタルの腕時計に視線をやると、時刻は4:34。始発すらまだ出ていない時間に、俺は目を覚ましてしまったようだ。


便宜上、ここで軽く自己紹介を済ませておく。俺は小麦崇(こむぎ たかし)。香川県の県立普通科高校に入学したものの、2年生の時に文化祭実行委員としての仕事でヘマをしたことでみんなからハブられ鬱になり、ほぼ強制的に自主退学をさせられた。 それから8年、俺は中卒なりにそれなりの生活と親孝行のすべを探し続けていたのだが。


 三ノ宮駅、神戸方面のホームへ続く階段の麓である。わが生家からの最寄り駅である香川県の坂出駅と比べてとても流動的な三ノ宮駅の中でも、とりわけここから神戸間の路線を利用する人の数は佃煮に加工できるほどおびただしく、そして皆忙殺されたような顔をして、地べたにみすぼらしくへたり込む俺の横をスルリと、時には人間濁流を成してドロリと通り過ぎて行く(休日は明るい雰囲気も微妙ながら含まれている)。
 


三ノ宮駅よりも1歩早く目を覚ました俺は、だからといってどうするでもなく、焦点を合わさず重力に抗わずただ、眠れるがらんどうの隅の階段脇に、ポツンと取り残されているばかりだった。
ポケットに手を入れると1000円札が1枚、ぐしゃぐしゃになって入っている。これを認識した俺の頭の中では、こんな紙ゴミ1つが今更何になるのだろうかという悲観と、いつかこの1000円に命救われる日がくるやもしれぬという淡く白飛びした期待とがせめぎあって結局、俺の思考回路は環状線の如く帰結した。 
 起床してから30分が過ぎると1人、駅にサラリーマン風のスーツを着た白髪混じりの男が入ってきた。俺の両目がそれを捉えたとき、ようやく外部からの刺激で脳が回転を始めた。太陽は徐々に東の底から顔を出し、冷えきった藍色の大気を貫通して、今にもこの鬱蒼とした文明の街を照らし出そうしている。俺もまた、太陽の公平な光に曝される対象ではあった。
その男はこちらを見向きもせず、きっぷ売り場の前に立った。タッチパネルを操作する無機質な電子音が三ノ宮駅の2人を包んだと思えば、その電子音はシャボン玉のように刹那、消えてしまう。有機と無機には、不可侵の差があることを、このきっぷ販売機は教えてくれる。
俺は目を瞑って、瞼から真っ赤に透ける太陽を感じながら、電子音を体に打ち付けながら、もう一度眠りにつこうとした。


 

 

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