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まさおちゃん

まさおちゃんとは私のお父さんのことだ。
昭和10年生まれ。
もう亡くなって8年くらいになるのかなあ。
8人兄弟の末っ子で親戚の人は親しみをこめて「まさおちゃん」と呼ぶ。
お父さんに向かってはもちろん「おとうさん」っていうけど、兄弟、特に8歳下の弟とお父さんの話をするときは「まさおちゃん」。

お父さんに向かってなんだ!

世間同様、親に口答えした時に発せられるワード。
怖い顔をして、薄っぺらな唇をへの字口にして下から睨みつけてくる。下から…というのはお父さんの背が低いから。
私が高校生の時にはお父さんの背を追い抜いていたし、当然兄や弟も私より大きいから必然的にそうなってしまう。そうなると怒っていても締まらない。
余計、腹が立ってくるんだろうな。
お父さんはお母さんにも口では勝てない。お母さんのパンチある言葉には誰も勝てない。お父さんのこのフレーズはお母さんに対しては「親父に向かって…」と変化するのだ。

ぶっただくぞ!

※ぶっただく=叩くの強めの言い方
さっきのワードがあまり効いていないと思うとこのフレーズが出てくる。
でも私がたたかれたのは後にも先にも高校2年の1回だけ。兄はのび太くんチックだったので何度かぶっとばされているのを見たことがあるが弟は口がうまいので上手にはぐらかし一度も叩かれたことはないと思う。

パンチが効いたお母さんは実は結婚したての頃、叩かれたことがあったらしい。お母さんのお母さん(私のおばあちゃん)が言っていた。

「顔を腫らして帰ってきたことがあったんだよ。本人は言わないけどね。ありゃあ、相当ひどいことをまさおちゃんに言ったんだよ、きっと。あんなにおとなしいまさおちゃんが叩くんだからよっぽどだよ」
実の親がこういうんだから、お母さんの暴れん坊ぶりは想像できる。

だからこのワードは決して脅し文句ではないのだ。でもまさおちゃんが実際に手をあげるのはよほどの時だけ。

私が叩かれたエピソードはこちら。
お父さんが職場の宴会で「黒田節」を踊るから私の剣道着の袴を貸してくれと言ってきた。反抗期真っ盛りの私は当然拒否。それでもしつこく「貸せや」「誰のカネで買ったんだ」などと私の後ろで言うもんだから。袴をむんずと掴んで玄関から外に投げ捨ててやった、無言で。
お父さんは裸足で外に出て袴を拾って戻ってくるなり、バチーン!
ほっぺたがジンジン。涙がでたなあ。
2月雪の上に裸足で出て行ったお父さんの足を見たら真っ赤っか。

後日、宴会の後、ほろ酔い気分で帰ってきたお父さんが「ありがとう」といって袴を返してきた。受け取ったけど、当然無言。

どっちも「ごめん」なんて言わないし、その後もこの話をお父さんにしたこともない。

このあま。だからお前は馬鹿なんだ!

あのパンチお母さんが正論を振りかざしてお父さんをやりこめることがある。(ある…というより、しょっちゅう、毎日)。

子ども心にもあのお母さんに勝つなんて考えること自体無駄だとわかるが、まさおちゃんは負けたくないのだ。もしかすると勝てるかもしれない、というわずかな希望をいだいてしまうのか、反論を続ける。

そしていよいよ、言葉がなくなった時にでるワードがこれ。
「このあま、だからお前は馬鹿なんだ」

ある意味、敗北宣言のようなものだ。
私たち子どもはこの言葉を聞くたびに、夫婦喧嘩が終わった安堵感と、まさおちゃんの弱さを痛感し、さみしいような複雑な気持ちになるのだ。

かわいそうになあ…

弟が35歳のときにガンで入院した。
大きな手術を終えた病室でまさおちゃんはこう言って弟を激怒させた。

家族以外にはこの感情は理解できないだろう、字面は同情し心配しているのだから。

説明するのが難しいのだが、まさおちゃんの言葉には心がないように感じるのだ。まさおちゃんは言葉の意味と反対のことを言っているように聞こえるのだ。

・よかったなあ → たいしたこともないことで自慢しやがって
・大丈夫か? → なにやってんだ、どんくさいな
・かわいそうになあ → オレには関係ないけどな

弟の病室でこの言葉を発したまさおちゃんの顔はいつものように飄々としていて瞳には感情が見えなかった。
「お父さん‼️💢」
痛みに悶える弟にそれ以上喋らせないように私が代わりに黙らせた。

当時まさおちゃんは75歳。
人に誤解されて、そして理解されないことに腹を立てて「チクショー」と言い続けた人生だった。

おとうさんはよお

まさおちゃんは80歳、寒い冬に亡くなった。
亡くなる半年前から軽い認知症になっていたようだ。駐車場でポールにクルマをぶつけて、ケガはなかったがお巡りさんが言うには様子がおかしかったらしい。
離れて暮らしていた私はかなり心配したが、母は「何言ってるの!いつもおかしいこと言ってるじゃない」と。

それでも気になり2週間ほど休暇をとって様子を見に行った。
やはりおかしなこともあったので、持病の通院にあわせて大きな病院で認知症についても診てもらうことにした。
その頃にはクルマのキーも取り上げていた。
病院の待合室で知り合いを見つけると「こいつ(私のこと)がよお、おれのクルマのキーを隠しやがってよお」と大きな声でこれ見よがしに文句を言うもんだから恥ずかしかった。診察室では若い先生に「オレはガンだろう、死ぬのか」としつこく聞いていた(実際はガンではない)。

診断結果は「軽い認知症」

薬局に寄って散歩しながらまさおちゃんとたわいもない話をした。

「おとうさん、癌じゃないよ。まだ死なないよ」
「そうか…。なんか疲れるんだよな。帰ったらマッサージしてくれよな」
「おとうさん、甘えん坊だね」
「末っ子だからな。おふくろが甘やかして、すぐに死んじゃった」
「じゃあ、おとうさんが悪いんじゃないね、おばあちゃんが甘やかしたからこうなったんだね」
「そういうことだな(苦笑い)」

おとうさんはよお、弱い男なんだよ…

そう小声でつぶやいていたが聞こえないフリをした。

末っ子である父の葬式には、すでに亡くなった兄姉の代わりに父の甥姪にあたる親戚が集まってくれた。私の従兄弟にあたるのだろうが、年齢は父と変わらない面々。口々に「まさおちゃんが・・・」と言っていた。

・まさおちゃんは頑張り屋だったなあ
・まさおちゃんは甘えん坊だったなあ
・まさおちゃんは格好つけだったなあ
・まさおちゃんは幸せな男だったなあ

母は父がいなくなっても、しばらくはパンチのある言葉で強がっていたが、1年ほど経った頃から「もっと優しくすればよかったなあ」「好きなものを好きなだけ食べさせればよかった」などと言うようになった。

私たち兄弟も「まさおちゃんだったらこう言うね」などと「まさおちゃん語録」で言葉遊びをしている。落ち込んだ時でも悩んでいる時でも「まさおちゃん」を思い出すと不思議と笑ってしまう。
きっと「まさおちゃん」は「ぶっただくぞ!」と怒っているだろうな。

今年のお盆も感染症が気になって実家には帰らなかった。

「おとうさんはよお」
今日も聞こえてくる、まさおちゃんの声。