性別は、わたし。

いきなり意味深なタイトルで申し訳ございません。学生時代に専攻し、今もずっと興味深い私なりのジェンダー観について思うことをシェアできたらと思います。

子どもの頃から、性別がどちらかに偏った振る舞いをすることが苦手でした。服や髪形こそかわいらしいものやピンク色が好きでしたが、人前でおとなしく、行儀よくするように言われてもしっくりこない事のほうが多かった気がします。成長するほどにその違和感が増し、世の中で言う「ヘテロセクシャル、シスジェンダー」的な枠に自分を当てはめようとする度にとても息苦しくなりました。面白いことに、私はスカートやドレスを身に着けることが好きであると同時に、かっこいいレザーのジャケットやデニムを身に着けるのも同じくらい大好きなのです。男女のどちらかに自分を当てはめたいというよりは、「どちらでもあるけど、どちらかではない」と言う中性または両性的な認識に落ち着きました。現在も働く服装として、中性的なデザインのものを身に着けていることで自分らしくいるなあ、と心が和らぎます。

ジェンダー論を学んでいて面白いのが、本来は生物学的に与えられた性別がもつ偏見から解放されようとしているにも関わらず、いつしかその中で派閥ができているところだと思います。同じようにジェンダーを学んだ友人とも、旧来の女性らしさである「専業主婦像」を理想とする人もいましたし、そういう方からすれば私の様な存在はさぞ奇妙であったことでしょう。どちらにも属さず、心を通わせあった者を性別関係なく選び、それぞれが別の人格として生きることを推奨することが私にとっては心地が良いのです。そう思うと、ジェンダーと一口に言っても個々が持つ考えで言えば社会でSpeak Upされている数を大幅に上回るくらい、多様であると考えて申し分ないのかもしれません。

そう考えると、確かに今の段階で身体的な性別に違和感こそないけれど、自分の社会的な性別を問われたら「わたし」と言える社会にしていきたいなとつくづく思います。好きなものを身に着けて、その日によって好きな自分になれて、好きなご飯屋さんにふらりと一人で立ち寄って(一人ご飯も大好きなので、別ポストでまたお話しします)、いろんな国の人と話せたらどんなに幸せだろうなあと。理想論と言われてしまえばそうかもしれませんが、どこか桃源郷の様な幸せな未来が、その人によって多様に変化して生きづらさを解消したらどんなに良いことでしょう。

ジェンダーを語ることが、まだ私のいる国ではとても難しく感じます。しかし意外とそこまで堅苦しくもなく、少しでも生きててもやっとすることがあった時に自分のアイデンティティを問い直す意味ではとてもいいものなのになと思います。自分の苦しさに向き合った後に、様々な理由で苦しむ周りの人に一声かけられたなら、今の閉塞感にあふれた社会がもう少し優しく買われるのかもしれませんね。

もし同じように、または違った考えをジェンダーについてお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひゆっくりお話ししたいなと思うばかりです。

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