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身構える

 介護される側などとひとまとめにされると、繊細すぎる話かもしれない。
たいがい、介護を受ける場面では第三者に身体のどこかの部分を触れられる。
 ひょっとしたら、太極拳の使い手であれば離れたところから介助する術を編み出すことができるのだろうか。
 けれど、そんな神技を駆使できない凡人にとっては、体に触れなければ何もはじまらない。

 おとといの夜から今朝にかけて、すこしだけ気を使う介護者がつづいた。
 コーディネーターさんに訴えるほどでもなく、日常茶飯事程度の範囲だったので、そのままスルーしていた。

 朝食を済ませてから、横向きに寝返りさせてもらって、お昼の介護者が来るまでウトウトすることにした。
 ところが、お願いしてから取りやめにしてしまいたくなった。

 自分でも、何がなんだかよくわからなかった。
 ずっと仰向きのままでいると、背中にだるさが広がってしまう。
 それに、うたた寝の体勢としては、横向きになることが抜群に心地よい。すぐに、夢の中へいざなわれてゆく。
 
 しかし、気持ちは進まなかった。
 
 テクニックのある人たちだから、あれこれと考えているうちにイイ感じに横向きにして、安定する状態に持っていってもらえた。

 うたた寝のつもりが背後の彼と雑談が盛りあがって、眼は冴えるばかりになった。

 そのうちに、意識は雑談から遠ざかり、ひとつの疑問にまっしぐらになった。

 なぜ、横向きになりたくなくなったのだろう?
仰向きのままよりは、はるかに楽なはずだった。
気を使うといっても、技術はハイレベルだから、あっという間に完璧な体勢がつくられる。

 しばらくして、思いあたるフシが見つかった。
 体に触れられることに対して、わずかな抵抗を感じたのだった。

 どんな場面でも、他人から体を触れられる瞬間には、無意識であっても呼吸を止めたり、感覚を確かめたりしようとしている気がする。
 体調が思わしくなかったり、精神的に落ちこみがちになったりしていると、そうしたささいなストレスから身を守る本能がはたらくのではないだろうか。

 話は変わる。
 ベテラン介護者のBさんは、いっしょにまちを歩いていても、自分の存在を消してしまうことが理想だという。
 自分のペースで風景を楽しみ、お気に入りの品物に立ち止まる。
 「ぼくのことなんて、忘れてもらったらいいんですよ」
 さらに、彼はつけくわえる。
 「必要なときに、その人の手足のかわりになれたら、それがヘルパーだと思うんです」
 
 Bさんとなじみの魚屋へ行った。
 大将と品定めをしているとき、彼はすっかり「ひやかし客」になって、新鮮な魚介を目で楽しんでいた。
 ぼくの品定めが済んで、レジへ行くと背後に気配が感じられた。
 もちろん、ひやかし客から介護者へふたたび変身した彼だった。
 手際よく支払いをして、ぼくたちは店を出た。

 技術にこだわるストイックな人がいてもいい。
 人間関係を大切にして、楽しくはたらく人がいてもいい。

 ただ、介護にとどまらず、お年寄りや障害のある人たちと世の中をつなぐジョイントの役割を意識してほしい。

 社会のあり様の答えはひとつではないだろうし、ジョイントの方法もおたがいの関係性によって色合いを変えるだろう。

 わが家の今夜の献立は、初めてのチキン南蛮だ。
 締めくくりを迷っていたら、こんなベストな一行がうまれた。
 
 自分の考えを押しつけたくはない。
 
 それにしても、おなかが減った。 
 

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