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背負いつづけてきた記憶②

 十歳ごろだった。
 施設には、毎日のように学生ボランティアが訪れて、食事やお風呂の手伝いとちょっとした勉強を教えていた。
 お風呂の曜日の午前中は、寝起きする部屋で昼食も順番に済ませていく。
 スタッフひとりとボランティアひとりで、六人の介助を進めていた。
 病院の相部屋と同じように、部屋の真ん中に通路があり、その両側に三台ずつベッドが並んでいた。

 六人は、言葉が話せなくても生活に必要な内容はほとんど通じあえたので、いつごろからか順番はジャンケンで決められるようになった。お風呂の日の昼食は、スタッフとボランティアのふたりでの介助だったし、順番が後になってもスープも冷めきってはいなかった。それに、若い女子大生が来たりすると、それだけでにぎやかになった。

 その日の昼食は、なぜかよく覚えている。おかずは魚のフライとおみそ汁だった。
ぼくは、男性ボランティアに食べさせてもらっていて、となりのベッドでMくんがベテランスタッフの介助を受けていた。

 唐突に、ボランティアの彼がベテランスタッフのJさんにむかって、はっきりした口調で切りだした。ぼくを指さしながら、
「彼が大人になって、女性を抱きたくなったら、それは許されることですか?」
まわりのスタッフが一目置くほど気丈だったJさんは、キッパリと言いきった。
「それは、許されないことです!」

 その後、話は進展せずに、沈黙が続いた。
 十歳前後だったぼくには、深い意味はよくわからなかった。一週間ほど経つと、もう忘れてしまっていた。

 十五歳を過ぎたぼくは、養護学校の中学部へ入学し、思春期の誰もが経験するのと同じように、睡眠時間をのぞいた残りの三分の二ほどをひとりの胸の中で、また悪友と、異性との他愛ない一瞬一瞬のかかわりに、一日一日の余白を塗りつぶしていた。

 たしか、日曜日だった。友人たちは、近所のスーパーへ買い物に出ていた。

 寄宿舎の自分の部屋でぼんやりしていると、施設での忘れたはずのあの記憶があの日のままにフラッシュバックしたのだった。

 その後、恋愛のままで終わったとはいえ、幾人かの女性と真剣に向きあう時期を共有してきた。
 一人ひとりとの感情はそれぞれに喜怒哀楽がつまっていて、まとめられるものではない。また、それぞれとの日々のあぶり出しは、はかり知れない自分自身の思いあがりと、巻き添えにしてしまった人たちを思うと、文字にできるものではない。

 ただ、恋愛だけでなく、十歳前後の記憶がいろいろな行動の足かせになってしまったことは、残念ながら否定できない。

 本当は、障害を受け容れられずに生きてきたのだろうか。
 このルートからは、本丸へ駆けあがれずに投げだしてしまうのだろう。
 もうこの歳になれば、諦めざるを得ないのかもしれない。

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