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ぼくの日常

 サポーター(ヘルパー)のAさんは、ごはんを冷凍するときにラップでくるんだほうがいいという。
 サポーターのBさんは、タッパーに入れたほうがいいという。
 Aさんはラップだとかさばらないし、レンジで温めるときに容器が耐熱かどうか、いちいち確かめなくてもいいかららしい。
 Bさんは毎食のようにレンジを使うぼくにとって、タッパーは消耗品ではないから経済的だし、サッと中身を取り出せるから準備がラクだという。
 Cさんは、値段が高くてもサランラップが使いやすいからと、買いものへ行くぼくにことづける。
 Dさんは「安いほうが助かるんと違うの」と、ぼくの顔を見る。

 冷凍ごはんの件にしても、ラップの件にしても、Aさん派とBさん派に意見が分かれ、Cさん派とDさん派に色分けされる。
 AさんとBさんは別々の曜日に家事に入るし、CさんとDさんもいっしょになることはない。
 同じ家事サポーターだから、時間帯がいっしょなので、ぼくのところではぶつからない。

 ぼくは、どちらかにはっきりさせてほしいわけではない。
日常のすみずみまで、事細かに決められたらたまったものではない。
 ラップの値段の差はさほどでもないし、最近はタッパーもだいたいが耐熱用になっているし、それほど段取りよくしなくても、終了時間ギリギリになってしまう日はたまにしかない。

 こうして文章をつくるぼくにも、細かいこだわりがある。
できるだけ断言することは避けたいとか、漢字ばかりが並ばないようにしたいとか…。

 サポーターさんには個性の部分を差し引いた上で、できるだけ仕事モードを薄めて来てほしいとか、日常生活に関わることになるとキリがない。

 一人ひとりが自分の領域で、ポリシーや理屈のつかないようなこだわりにあわせて、精神的にも、身体的にも負担がかからないように考えて実行すればいい。

たしかに、調理道具の置き場所などのこだわりは、調整しないとややこしいけれど…。

 ただ、たったひとつだけお願いしたいことがある。
自分と意見の違う人のいないところで、相手をけなしたり、顔をしかめたりはしないでほしい。
苦笑ぐらいで止めておいてほしい。
 けっこう、こちらはボディーブローになる。
 といっても、来る人来る人ニコニコされたら、それはそれで堪えるけれど。

 サポーターさんと食べ歩きに励んでいたころ、ハマりにハマったラーメン屋があった。
豚骨でもまったく臭みがなくて、クリーミーなスープがたまらなかった。
いつも細麺をバリカタでお願いしていた。
梅田から三十分ほどかけて、わざわざ食べに行きたくなるラーメン屋だった。

 ある日、午後の混まない時間帯に足を運んだ。久々だった。
店に入ると、おばちゃんと同年代のパートさんらしきふたりが厨房で、休みだと思われる若いバイトさんの悪口に夢中になっていた。
 出されてきたラーメンはバリカタで注文したのに、なぜかフニャフニャで、これぞ「へっぴりゴシ」だった。
 クリーミーなはずのスープも、水臭かった。
それから、何度か足を運んで偶然を願った。
けれど、期待は裏切られつづけた。

 大阪へ出てきて間もないころ、一日に二時間だけしかヘルパー制度が使えなかったころ、リカちゃん人形みたいな顔をしたヘルパーさんがいた。
彼女が入るまでに、チームリーダーからお願いされた。
「来週から入るAさんね、いい子なんだけど、あちらこちらのお宅でいろいろと苦情が出てるの。ここで鍛えてほしい。ベテランさんと来させるから」
 たしかに、わざわざ事前にお願いされるだけのなかなかの彼女だった。

 そのころ、彼女だからということではなくて、同じ時間帯に「身体介護」と「家事介護」に分かれてふたりのヘルパーさんに入ってもらっていた。
 彼女が「身体」の日は、着替えにしても、トイレにしても、だいたいのノウハウは自分で説明できたから安心だった。
相棒ヘルパーさんも、家事の合間にフォローに入ってくれた。

 ただ、彼女が家事に入る日は気が気ではなかった。
自宅で料理をしないらしくて、味つけが濃すぎたり、薄すぎたり、バラバラだった。
ここでも相棒ヘルパーさんがフォローに入ったり、ぼく自身も味見をしてあれこれ伝えたり、いろんな工夫をしてくり返した。
それでも、なかなかうまくいかなかった。

 ところが、奇跡が起こった。しかも、説明ができない奇跡だった。
 その朝、雨音で目が覚めるほどだった。
 いつもなら、ごはんを仕掛けてもらって、味つけのいらないお浸しをつくる程度をお願いすることにして、あとは自分でお惣菜を買ってきたり、外食で済ませたりしていた。
 
 さすがに、外出はつらかったので、シチューをお願いすることにした。
煮込みものなら、時間のあるときにボランティアさんと味の調整ができる。それに、シチューの素もあった。
 彼女が帰ってから、さっそく味見をしてみた。
どううまかったかは忘れたけれど、とにかくうまかった。
ひっくり返るほどうまかったと書き足したくなるぐらいの衝撃だった。

「この間のシチューうまかったわぁ。正直言うて、これまでおいしくなかったし、あんまり頼みたくなかったんやけど…、またいろいろとお願いするわ」
彼女が次に入った朝、言い過ぎを自覚しながら、そんな話を正直に伝えた。
 それから、どんなメニューでも絶妙な味加減になった。

 失礼だと思いながら、ぼくは彼女に訊いてみた。
「あれからずっとおいしいんやけど、なんか勉強してるんやろか?」
大きな瞳をまばたきしながら首をかしげていた彼女は、なにかに思いあたったようだった。
「そういえば、ひとつだけこれまでと違うことがあります」
ベッドに横になったぼくは、心を乗り出すように次の言葉を待った。
「以前は、ただ料理をつくっていただけだったんです。でも、最近は『おいしいものを食べてほしい』って思いながらつくるようになりました。ほんとうに、これまでとやっていることは変わらないんですよ」
彼女自身が不思議そうだった。
 味見を多めにするようになったわけでもなく、自宅で料理をつくるようになったわけでもないと話してくれた。

 ほんとうに、心の変化で味が変わるのだろうか。
そんな非科学的なことがあるのだろうか。

 今日、いろいろと物の置き場所を変えることが重なってしまった。
わかりやすくするための工夫が、記憶を混乱させることが多くなった。

 今夜は、ずっと気持ちが言葉に変換できないままだった。
明日は、今年一番のややこしい予定が入っている。
 
 こんな夜更かしして書くつもりはなかったのに。

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