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ストレスのみなもと

 ぼくにとってはすごく重たくて、他人にはわかりにくいストレスがある。
 昨夜、気心知れたヘルパーの一人Hくんがイタズラ気分を出して、ぼくの心を逆なでしにきた。
彼はいつも否定するけど、何年か前からぼくは小さなお釈迦さまの掌の上で転がされている。

 夕食後の予定は、ストレッチと全身の清拭(身体を拭くこと)とnoteへの投稿だった。
 思いこみコロナからスタートした在宅生活で、日常的に気持ちの浮き沈みが激しくなり、薬の力を借りるようになった。
 ここ十年ほどで、一気に精神科や心療内科へ通院する人も増えた。

 ぼくも、十年くらい前から身体の硬直をやわらげるためにお世話になっていた。その延長線上で、薬の量の調整をしてもらい、まわりの人たちのこれまでと変わらない介護プラスアルファのおつき合いもあって、以前のように「まあええか」と折り合いを重ねるぼくらしい生活スタイルを復活させることができた。
 完全復活ではないけれど、文章を書くには適度に波があったほうがやりやすいし、さまざまな自分が現れるとすれば、それはそれでおもしろいかなって。

 話はもどって。
 居眠りしてしまっていた。それも一時間近く。たくさんお願いしたいことがあるというのに・・・。
 ぼくは、ちいさなお釈迦さまにグチってしまった。
ぼく、
「また寝てしもうてた!いっぱい頼みたいことがあったのに。今日も寝るのが遅うなるわ」
お釈迦さま、
「そんなにあわてんでも、これからずっと生きてはりますやん」
ぼく、
「でも、死ぬまでに書き残しておきたいことが、まだまだいっぱいあるんや!」
お釈迦さま、
「それじゃあ、どのヘルパーさんにもお願いしはったら、ええことちゃいますか」

ぼくはすっかりお釈迦さまの思うツボにハマり、声を荒げてしまう。
「そらなあ、ヘルパーの立場やから言えることやでぇ!めんどくさそうな顔されたり、つまらなそうにされたりしたら、ほんまに疲れるんや!」
お釈迦さま、
「わかってます。わたくしはヘルパーの立場で申し上げました」
お釈迦さまは食器を拭きながら、振りむいてそう言った。いつもよりもさらに低音で。

 やられたと思った。こうして、いつも彼はぼくを楽しんでいる。隙あらば、ぼくも彼にやり返して楽しんでいる。

 それから、明け方までストレスについて二人で話した。
やっぱり、介護する側とされる側の違いを解りあうことは難しい。
相手の態度や感情からくるものであれば、自分自身を相手の側に置き換えるとストンと胸に落ちるだろう。ただ、わかりにくいパターンがぼくにはある。

 その人にとって、苦手なことや慣れないことをお願いすると、当然行きつ戻りつをくり返す。すぐにスムーズにできるような雰囲気があればいいのだけれど、先が見通せない場合も多い。自分が手を出せないだけに、もどかしさは半端ではない。
 さらにつけくわえると、ひとつひとつの行程をぼくが伝えてから、相手は動くことになる。ダイレクトに行けない点もストレスに変わる。

 ぼくは直感で暮らしていて、興味がわいたり、理由を知りたくなったりすると、立ちどまって考える。
 なぜ、ヘルパーさん一人ひとりの得意不得意やぼくとの関係性によって、お願いする内容が変わってくるのか、それほど深く追求したことがなかった。
 逆にいろんなヘルパーさんが、「誰にでもお願いしたらいいのに・・・」という気持ちもわからないわけではない。

 コロナが落ち着けば、介護される側とする側が本音で話せる場がつくれたらと思った。
 相当、広いネットワークを持っている企画者でなければ、知り合いがいれば本音が出せないだろうし、、youtubeなんか使わずに文字だけにしないと、覆面しても硬直の仕方やなんやかんやですぐにバレるだろうし、こんな思いつきは闇に葬りましょう。

 最後に、お釈迦さまと話していて、いちばんのストレスに気づいてしまった。
それは「老い」。
たとえば、もう5年も前なら、noteのいろいろなノウハウを画面を見ているだけでもぼくが覚えてヘルパーさんに説明していたにちがいない。
ところが、最近はまるっきり頭に入らない。結局、そういう事実が大きな塊になって、ぼくの気持ちにのしかかっているようだ
「軟弱な小市民」で「モジモジ障害者」のぼくの本音を言えば、長髪だった若いころに戻りたい。本当に情けない。


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