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桐の花との再会
朝、いつものようにラジオのスイッチが入ると、PM2.5は飛んできているものの、大阪はよく晴れた一日になるらしいと伝えていた。
ちょうど去年のいまごろ、ようやくぼくは「思いこみコロナ」からぬけ出し、久しぶりに小一時間ほど近所の川沿いを散歩した。
毎朝、通っていた作業所への行き帰りのルートの半分ぐらいを往復したのだった。
三か月、引きこもっていて再スタートのルートにその川沿いを選んだのには、いくつかの理由があった。
車の行き交いがすくないこと、慣れた道なので電動車いすの運転のフィーリングを取り戻すには適当なこと、そして、再会したい桐の花の咲く季節だった。土手に上がると、つぼみは膨らみはじめているものの、あの薄紫のゆさゆさと揺れる枝いっぱいの優雅な花に再会することはできなかった。
ぼくには、片想いのヘルパーさんが何人かいる。
そのひとりのAくんには家族ができ、生活のためにミュージシャンの道を捨て、小学校の教師をめざして、ときおり考えこみながらもスタートラインに向かって歩んでいる。
彼が教師になるためのステップとして小学校の講師の籍が決まったとき、つまり、ミュージシャンの副業のヘルパーで働く最後の日、天六のすし屋激戦区で上にぎりをオリに詰めてもらい、トンボ帰りして二人だけの壮行会をした。
彼との出逢いは衝撃だった。部屋の壁にかけてあった七十年代フォークの高田渡さんや友部正人さんや、その人たちに影響を受けた真心ブラザーズやザ・ブルーハーツなどのCDを見つけて、驚きまじりの笑顔で「好きなんですかぁ?」と一言。もう、ぼくたちにはなんの紹介もいらなかった。
平日のお昼の介助が終わると、夜はグループホームのバイトをしていたので、できるだけ近くで安くておいしい店を探して、急いで食べて別れた。
お得な店をいくつも見つけた。
ぼくが通っている作業所でも、物腰のやわらかさとだれともフラットにつき合える天性の人柄で、障害のあるなしに関わらず女性陣の心をつかんだ。
みんな、彼が来る日を心待ちにしていた。
ぼくが出席するいくつかのイベントでは、いつのまにか紹介する彼の方が想いを言葉にこめて語るようになった。
ぼくの片腕だった。
初めにぼくの「片想い」と書いたのは、うまく連絡がつながらないからだ。
いまでも、集会などでマイクを握る彼の話は脱線が多くて、危ない橋を渡ることもある。まるで、自分を見ているような錯覚さえしてしまう。
教師をめざすにしても、どんな仕事をするにしても、あえて矛盾を大切にしながら、前向きになったり、後ろ向きになったり、Aくんらしく世の中と対話してほしいと思う。
元気にしているのだろうか?
川沿いの桐の古木が花の房を揺らせるころ、毎日、ぼくはそこに立ちどまり、しばらく時間をやり過ごした。
蜂が羽音を鳴らして、飛びまわる午後もあった。ヘアバンドが両目にかかり、立ち往生した夕方もあった。もちろん、何事もなく家路に着く日が普通だった。
なによりも、ぼくひとりでそこにいる時間を大切にしたかった。
電動車いすが故障して、修理から返ってこない。
桐の花が満開になると、暮れ際の夕空と紫色の濃淡をつくるひとときがある。
去年の出逢いは早すぎて、またひきこもってしまったこともあり、晩春のつかの間のひとときに立ちあうことができなかった。
またまた、再会は絶望的になった。
ただ、生き延びるだけでなく、この部屋から三十分ほど電動車いすで歩いたところにあるあの場所まで、ひとりで往復する体力を維持するように、なにかが執着を与えてくれたのだろうか。
いまどきの人ではないぼくは、スマホの写真ではお茶を濁したくはない。
その写真が執着を増殖させるのであれば、うれしいけれど・・・。
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