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おいしい店に逢いにゆく

 コロナで引きこもる以前、ちょっとした時代の変化を実感するようになっていた。
 ぼくは、とても気が小さい。あまりコトを荒げるのは苦手だ。
そのわりに好奇心だけは人一倍旺盛で、食べることになると度合いはドンドン増していく。

 偶然なのか、必然なのか、二○一八年~二○一九年にかけて常連として通いつづけた「ぼくの名店」が立てつづけにシャッターを降ろしてしまった。
 ご主人の体調が思わしくなくなったり、不景気の煽りをうけたりしての原因がほとんどだった。
 格差とか、高齢化とか、それらをまとめた表現は容易でも、その味を守ってきた一人ひとりの表情を思い出すと、もっと血の通った言葉にこだわりたくなってしまう。

 こうした経緯があって、友人とヘルパーの境界線をウロウロする気の合った人たちと通りすがりの「ぼくを呼んでいる店」を何件か訪ねることがあった。

 あまりにも分母が少ないので、かぎりなく説得力は乏しい。
それでも、以前にはあまり出逢わなかった対応が三~四件つづいた。
 「ぼくを呼んでいる店」は、大通りから二筋ほど入った住宅街にたたずんでいたり、繁華街にあってもそのまま過ぎて行ったりしてしまいそうなところが多い。
 それから、しゃれた店構えであっても、玄関先に書き出されているメニューがお得な場合もある。

 いずれにしても、イカツイ電動車いすが入れるか、微妙な入り口の幅であったり、無事にそこを通過しても席までたどり着けるか、初見の人ではわかりにくい。
 もちろん、こちらは経験豊富だから、だいたいの判断はできる。

 ゴリ押しなどはしたくない。
 だから、店の主の手がすくのを待って、相談させてもらうことになる。

 はじめのほうで書いたように、ここからの対応にうれしくなるケースがつづいた。
 三十代~四十代のご主人がほとんどだったように記憶している。

 こまかく分けると、ふたつのパターンがあった。

 ぼく
「車いすで入らせてもらって大丈夫ですか?」
 ご主人
「ちょっと難しいかもしれませんねぇ」
 ぼく
「ちょっと試させてもらっていいですか?」
 ご主人
「どうぞ、どうぞ、クリアできたら喜んで」
 これがパターンA。

 ぼく
「車いすで入らせてもらって大丈夫ですか?」
 ご主人
「とにかく、チャレンジしましょう!」
 ぼく
「ほんまに、ありがとうございます」
 これがパターンB。

 以前は、どうがんばっても心のシャッターを降ろしてしまう人たちと、ウエルカムな人たちにキレイに色分けされていた。

 ちゃんと対応しないと、炎上がコワイからという意見も耳にする。
たしかに、無機質にマニュアル通りの対応を実感したこともあった。
けれど、二~三年前に立てつづけに出逢った人たちは、丁寧に記憶をたどっても、おいしいものを提供したいという想いが伝わってくるばかりだった。

 ぼく自身が体調を崩したり、咳きこみやすくて外食が憚られたりするようになって、じつは「かならず来させてもらいます」と入店できるかの確認だけして、そのままになってしまったところもある。

 もうすこし世の中が落ち着いたら、誕生日の予約をとったシャレたエスニックの店に顔を出してみよう。自宅から徒歩で四十分だ。

 炎上がコワイからかどうかは、肌感覚を信じたい。

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