友部さんのこと3

  こんなにたくさんの人が生きているのにという
 ぼくは一度も聴いたことがなかったし、親友の射場くんは「大阪へやってきた」しか知らなかった。そんなふたりだったから、感動がより深くなったのかもしれない。

 友部さんと友部さんの唄にはじめて出逢った磔磔の夜。
ほとんどなにも語らずに、ときどき我に返ったように「ありがとう」とつぶやき、つぎの曲のタイトルを言って、唄いはじめる。
とても淡々としたライブの進行だった。
 けれど、その時間の連なりを構成する一つひとつの唄は、友だちのこと、日々の暮らし、自分自身の内面などを絵本の頁をめくるように、さまざまな情景として、ぼくの気持ちに杭を打っていくみたいだった。
 ずっと探してきたものに、出逢った気がした。

 The Request Times(ファン向けの新聞)をライブの合間に読んでいたぼくたちは、すっかり京都といっても市内ではなく、丹波の山あいの町で友部さんのライブを企画する、まさに「その気」になってしまっていた。
 とにかく、聴いてほしいいろんな顔が頭に浮かんでいた。

 ライブが終わって、お客さんが引くまですこし待って、射場くんが友部さんに声をかけに行くと言って席を立ち上がった。
 もう三十年以上前なので、そのときのことはうまく思い出せない。
 ただ、ぼくたちは初対面の友部さんに、出逢ったばかりの唄の感動を高ぶった気持ちのままに伝えた。
 それから、たくさんお客さんを呼べないかもしれないけれど、自分たちの町へ唄いに来てほしいことを素直に話した。
 具体的な段取りは追々にすすめることにして、とりあえずは友部さんをぼくたちの町へ招くことが決まった。

 今夜は、もっと書き進める予定だった。
 友部さんに唄いに来てもらった日時を確かめようとネットで検索したら、当時のThe Request Timesが上がっていて、なつかしくて、なつかしくて、読みふけってしまった。

 あの磔磔のライブで、ぼくは思春期に抱いていたもどかしさや、やりきれなさと切なさに、どこか救われたような穏やかな気持ちで再会していた。
「こんなにたくさんの人が生きているのにという そんな悔しさに襲われることはないかい」
「そしてぼくも君も この地球の上でわかりあえないまま距離ばかりを大切にしている」(遠来より)
「ずっと先の方を歩いていく奥さんとの距離が ぼくには彼の体格のようにみえる」
「笑うとなんだか笑えなくなってしまう こんなふうに笑う人もいるんだな」(中道商店街より)

 その後、五回も地域の公民館へ唄いに来てもらった。
 「友部正人さんをぼくらのとなり町へ招く寄り合い」と名づけられた主催者が、友部さんの人柄の良さをいいことにして、お願いした無理難題の数々にまつわるエピソードと、打ち上げなどで出逢った心に残る言葉を拾っていきたい。

 今日の夕方、半時間ほどヘルパーさんに手続きに出てもらった。
ひとりきりになった。
ちょうど、「中道商店街」や「水門」や「大道芸人」が流れたので、久しぶりに口ずさんだ。
 思いのほか、呼吸の道がひろがって、我ながら伸びやかな唄声だった。
 それだけで、ほっこりした一日になった。

 このつづきは、いつアップできるだろうか。

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