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私らしくリウマチとうまくつき合うための20の方法〜30年間で得た寛解までの道〜

はじめに。

これは、リウマチを発病して絶望的だった私が、
寛解(かんかい:病気の兆候や症状が軽減、または消失すること)
にたどり着くまでの体験をまとめたものです。


「いったい、人生のどんな罰ゲームなの?

・・・・・・私ってそんなに悪いことした?」

「関節リウマチです。」

と医師から宣告されたとき、

思わず心の中でこうつぶやいていました。

医師は、どんな病気か説明していたけれど、

全く頭に入ってきませんでした。

ただ、今の医学では完治は難しい。

とだけ、理解しました。


なぜ私が?


本当に治らない病気なの?

と、頭の中は疑問と不安でいっぱいになりました。


あまりにも突然のことで、信じられず、
全く受け入れられませんでした。


もしかして、誤診かもしれない。と思い、

3つの病院で検査しました。


結果はすべて同じでした・・・・・・。


そこから私の日常は一変しました。


毎日、毎日、激痛。

水滴が指の上に落ちるだけで、すごく痛い。

手に力が入らない。

お味噌汁が入ったお椀を持つ。

落とす。

お味噌汁が床一面にぶちまかれる。

またやってしまった。

ため息が出る。

床をふきんで拭いて、洗っても、手が痛くて絞れない。

痛みで身体に力が入る。

疲れる。

痛みで眠れない。

そんな毎日。

そして、
どうせ治らないのなら、治療をやめてしまおう。

治療をあきらめた時期もありました。


こうした心の葛藤を経て、

周囲の人たちに助けられ、

治療を再開し、

「私は健康になる!」と決め、

病は好転。

医師から寛解のレベルであると認めてもらうところまで、たどり着きました。

現在、国内だけで約80万人いるリウマチさんたちと、
リウマチさんを周りで支援している方々に、
少しでもお役に立てたらと願って書きました。


簡単に病気の説明を。

関節リウマチとは

自己の免疫が主に手足の関節を侵し、これにより関節痛、関節の変形が生じる代表的な膠原病(免疫の暴走が原因で発症するいくつかの病気の総称)の1つで、炎症性自己免疫疾患である。
四肢のみならず、脊髄、血管、心臓、肺、皮膚、筋肉といった全身臓器にも病変が及ぶこともある。

Wikipediaより

関節リウマチは、今の医学では完治ではなく、寛解を目指す治療です。


リウマチは、私が発病した当時に比べると、新薬が開発され、
寛解の割合はかなり増えています。

具体的には、

2001年時点では寛解の割合はわずか7.8%でしたが、
20年後の2021年にはなんと60.8%にまで急増

慶應義塾大学医学部:驚くべき進展を遂げたリウマチ治療 次なる課題の克服へより


完治も夢ではないと思っています。


私の病状

私は当時25歳、妊娠9ヶ月の時に発病しました。

最初は、両手の人差し指が真っ赤に腫れ、痛みました。

腱鞘炎かなと軽くとらえていましたし、そのうち治ると思っていました。

出産後、痛みはさほど出ず、

やっぱり腱鞘炎だったのだと思っていました。

しばらくは育児に専念していました。

しかし、出産から3年後、痛みが再発しました。

病院へ行き、関節リウマチだとわかりました。


あれから29年が経過しました。

途中、病気と向き合えず、3年間治療を放棄したこともありました。

その間に病状が進行しました。

主な痛みは、利き手の右手首です。

手首の関節同士をつなぐ軟骨がなくなり、

手首は曲がらない状態になりました。

そして今から2年前、右手首の関節に、

繊維状の細胞が奇跡的に発生し、

軟骨の代わりを果たしてくれました。

痛みは消え、寛解に至りました。


しかし、寛解後、リウマチが再発。

右手の指の腱が切れ、半年前に、縫合手術をしました。

実は、寛解レベルに達したとき、あまりにも嬉しくて、医師の了承のもと、

投薬の間隔を少しずつ延ばして、断薬を試みました。

しかし、途中で右手首に痛みが再発。

そして、指の腱が切れてしまい、手術をする結果となってしまいました。

こういった失敗も正直にお伝えすることで、

一人でも多くのリウマチさんたちが、

寛解の状態を維持できるようにと願いを込めて書きました。

現在は、以前はできなかった、2リットルのペットボトルを片手で持つ、

キャップを開ける、ビンの蓋を開ける、雑巾を絞る、パソコンを打つ、

こともできるようになりました。

日常生活に支障はほぼなく、安定している状態といえます。

現状、生物学的製剤(バイオテクノロジー(遺伝子組換え技術や細胞培養技術)を用いて製造された薬剤)の注射を投与し、

血液検査で経過観察をしています。

リウマチさん同士でも、症状も体質もそれぞれなので、

治療法はこれ以上、本文では触れていません。

また、これからご紹介する

「私らしくリウマチとうまく付き合うための20の方法」も、

私の体験談であり、寛解をお約束するものではないことをご了承ください。


リウマチさんそれぞれが、

ご自身の体調に合わせてご参考になさってください。


私らしく、リウマチとうまく付き合うための20の方法


1 睡眠時間は7~8時間とる

これは多くのリウマチさんの共通事項だと思います。
私にとっても、最優先です。
睡眠不足は一番ダメージがあります。
私の場合、睡眠不足だと翌日に痛みがあちこちに広がることもありました。睡眠がきちんと取れていれば、最小限の痛みで済むことが可能です。

2 歩く

散歩が大事です。
荷物を持たず、スニーカーを履き、30分程度歩くと調子が良いです。
もちろん、足に痛みがあるときは無理はしませんが、
調子の良い時は、徐々に歩行時間を延ばしました。

すると、どこに行っても歩くことが苦にならず、
結果的に歩くことが定着しました。

ただ、姿勢が悪いまま歩くと関節に負担がかかるので、
同時にヨガもしています。

3 ヨガ(ストレッチ)をする

身体や関節が固まらないように、柔軟性を維持します。
姿勢も関節を支える上で大事なので、ヨガをしています。
呼吸も深くなり、気持ちもスッキリします。
身体に負担がかからないポーズのみを、
オンラインで自分のペースでやっています。

4 メタルフリー(銀歯除去)

奥歯の8箇所に銀歯がありました。
銀歯には水銀など身体に悪影響を及ぼす有害金属が含まれています。
免疫力の低下によるアレルギーの発症や、発がんのリスクも高まります。

リウマチの人は、溶けた有害物質が弱っている関節に蓄積されると
ある医師に言われました。
銀歯の他にも、歯の根幹にもネジのような金属が入っていたので、
全て除去しました。
全て取り終えた時に、痛みが軽くなったことを覚えています。
お金も時間もかかりましたが、根気よく治療してよかったです。

5 生ものは50度のお湯に浸す

生ものには寄生虫がいるそうです。
これも体内に蓄積されていくので、
50度のお湯に浸けることが良いそうです。
葉野菜は2分程度浸します。

本来は、刺身、納豆なども袋に入れて浸すのですが、
私は面倒なので基本は葉野菜と、
皮ごと食べる苺やさくらんぼなどの果物だけ行なっています。
継続・習慣化することを重視し、
あまり神経質にならず、できる範囲でやっています。

6 電磁波を避ける

現在の生活で避けることは難しいです。
寝室には電化製品やスマホを置かないで寝ることが理想だそうです。
手首に痛みのあるときは、スマホを持っていると痛みが強くなる時があります。
電子レンジはほとんど使用せず、食べ物を温めるときは、蒸しています。

7 北枕で寝る

地球の地表面では北から南へ流れる磁場が発生しているそうです。
これにより牛や鹿などの動物は、自然に北に頭を向けて眠るそうです。
人間も、北枕にして眠ると、頭から磁場を受けて足に抜けると指摘されています。
どこまで好影響があるかはわかりませんが、
自然の動物たちがみんな北枕で寝ていると聞いてからは
真似するようにしました。
熟睡できるようになったと思います。

余談ですが、アーシング(海や草の上で裸足になること)も似た効果があるそうです。

8 腸活する

長い間、リウマトレックスという薬を服用していました。
その間、慢性便秘でした。
当時は、薬が便秘の原因だとわかりませんでした。
薬の効果がなくなり、やめた途端、便秘は解消しました。

それを機に、腸の重要性を実感し、腸活を始めました。
キムチ、納豆、ヨーグルトなどの発酵食品や、食物繊維のもずくなどの海藻類や、きのこ類を積極的に取り入れるようになりました。

その結果、20年間患っていた花粉症がかなり軽減され、
ほとんど症状が出ないまでになりました。
アレルギーにも効果的でした。

9 甘い物を控える

私は甘いものが好きなので、甘いものを控えることに苦労しました。
慢性的にならないように注意しながら、たまに食べます。
慢性化を止める方法は、2週間甘いものを我慢する。

甘いものの代わりに果物を食べました。
バナナや苺を氷らせて、豆乳とミキサーにかけると、ジェラートができます。
料理でも砂糖は使わず、みりんで甘みを代用しています。
2週間経過すると、甘いものを自然と欲しなくなりました。

中毒性のあるものは基本的に、避けたほうが良いです。
ここから中毒症のあるものが続きます。

10 添加物を避ける 

疲れていたり、冷蔵庫に食材が無いと、自炊が面倒になって
ついスーパーのお惣菜や、コンビニ、外食で済ませたくなります。
たまにはうまく活用すると楽で便利ですが、
普段は時間的、精神的な余裕を持つように心がけています。
心の余裕が、添加物を遠ざけるコツだと思います。

11 小麦粉を控える

私はモチモチした食べ物が大好きで、パンも麺も大好きです。
だからたまに食べますが、小麦粉食品を多く摂ると便秘になります。
腸管にネバネバと小麦粉がくっつくそうです。
それをイメージすると、過剰摂取は控えようと思います。
今は米粉でできたパン、麺もだいぶ入手しやすくなりましたので
それで代用しています。

12 アルコールを控える

仕事終わりにビールを一杯飲む。
まるで儀式のように、それで1日を終える。
という日々を、以前は過ごしていました。

しかし、これも単なる習慣だと思い、
まず、ビールの喉ごしに似た感覚を味わうために、炭酸水に変えました。
それで十分満足できました。
炭酸水に慣れた頃、水に変えました。
特に違和感はありませんでした。

飲み会でも、最初からソフトドリンクを頼むようになったら、
飲まないの?と聞かれ、うん。と答えると、それ以上は何も言われません。

飲みたくなったら飲もうとゆるく設定していますが、
結果的にお酒を飲まず、定着しました。

13 カフェインを控える

「夕方にカフェインを飲むと眠れなくなる」
と自分に暗示をかけています。(笑)

眠れないのは一番嫌なので、カフェインは摂取しないようにしています。
コーヒーは毎日2杯飲むので、ノンカフェインにしています。
味も普通のコーヒーと変わらず、十分美味しいです。

14 乳製品を控える

一般的な牛乳は、牛が早くお乳をたくさん出すようにホルモン剤が使用されています。
牛乳を豆乳に変えました。
豆乳は、少し癖がありますが、
ラテをソイラテに変えるとことから始め、慣れました。

チーズも大豆由来製品があります。
バターは摂取量が少ないので、代替品にはせず、たまに普通に摂ります。
あまり神経質にならないようにしています。

15 断捨離、片付けをする

これは人生が変わるほど、良い効果がありました。

まず、家の中がスッキリしていると、
目から入る情報が少なく、とても落ち着きます。

また、身体が痛む時に物を探したり、掃除をすることは大変です。
物が減れば、掃除も楽です。

物が減れば、取り出す時にも身体に負荷がかかりません。
特に重い鍋や、皿を処分することは大事です。

服も量が多いと、出かける際に何度も着替え、
身体の負荷が増えるので、半袖と長袖それぞれ、3コーデ分だけ持つようにしました。

16 医師任せにしない

30年間で5人ほどの医師にお世話になりました。
そこで医師任せにせず、
自分の意思を持って治療することが大事だと学びました。

具体的に4つご紹介します。

① 自分に合った薬を見つける

先述した通り、慢性便秘に悩まされていました。
しかし、あまりにも長く薬を飲み続けているため、
薬が原因だと気づきませんでした。

すでにその薬の効果もあまりなく、
医師に言われるがまま飲み続けていました。

自分で色々と調べ始めた結果、
生物学的製剤を試してみようと思いました。

医師に提案し、生物学的製剤の自己注射に切り替えました。
その結果、便秘が解消され、薬も効きました。

② 生活や目的に合った治療を選択する

13年間私の主治医は、リウマチ内科の医師でした。
投薬を始めた生物学的製剤は、月に合計3万円かかっていました。

しばらくすると、薬は増量しても徐々に効かなくなり、
主治医からは、別の生物学的製剤の提案を受けました。

そうなると、費用は月に5万円に上がります。

「そこまで高額な薬は支払えませんので、他の案はありますか。」
と伝えると、

主治医からは

「別に私がマージンを取っているわけではない。」

と心ない答が返ってきました。

治療方法も、自分の意思で治療をし始めると、

健康を目指す私と、

現状維持に重点の置いた主治医とでは

考え方にズレが生じてきました。

病院の変え時が来たと思いました。

そして、新しい病院を探し、主治医を変えた結果、

今は月に8千円程度の薬代で済んでいます。

リウマチさんは、長期的に薬が欠かせないため、
生活を考慮した投薬が重要です。

③ 相性のあった医師を見つける

病院や医師を変えることは、今まで蓄積した治療情報などが、
ゼロになるので簡単ではありませんし、勇気が入ります。
どこが良い病院かもよくわからない。
毎回通院できるかも重要です。

私は先述の通り、13年間通った病院を変えました。
しかし、最初は新しい病院をどう決めたらいいか分かりませんでした。

結果的に、私はネットで見つけた
「口コミの評判の良さ」と「通いやすい場所」だけで
新しい病院を選びました。

その新しい病院は、今までの病院よりも近く、待ち時間も数分でした。

医師も説明が丁寧で、看護師さんもとても優しく、
私は大切に扱ってもらっていいんだ・・・・・・。と思い、
採血されながらウルッときました。

無意識にずっとがまんして、麻痺していた感覚が、溶けて癒されました。

もっと自分を大切にしよう、自分の気持ちを優先しようと思いました。

④ リウマチでも内科医と整形外科医では知識が異なることを認識する

同じリウマチ専門医であっても、内科医と整形外科医では、
専門性や持っている知識が異なります。

両側面から見ているのは、自分だけであると痛感しました。

私はずっとリウマチ専門の内科医に通っていました。
ある時、手の甲に丸い固まりができ、触ると痛いと医師に伝えました。
しかし医師もわからないようで、何の処置もなく半年が経ちました。

そして、治療方針の違いから、病院を変えました。

その後、新しい病院への通院が始まった頃、

突然、右手薬指と小指が自力で動かなくなってしまいました。

それは、手指の腱がすでに切れていたからだったと
手術をしてわかりました。

手の甲にできた丸い固まりは、腱が切れ、丸まっている状態でした。

新しい内科では、すぐに、整形外科を紹介してもらいました。

私自身、リウマチは関節が破壊される病気と思い込んでいたため、

腱が切れる可能性があることに関して全く無知で、想定外でした。

整形外科医からは

「至急手術をしないと、残りの指の腱も切れてしまう可能性がある」

と言われました。

すぐに断裂した薬指と小指の腱を、他の指の腱に縫合する手術をしました。

また、指の腱が断裂した原因が、腱が手首の関節に擦れていたことでした。

再発を防ぐために、手首の骨を切断し、位置をずらして釘で止める手術を

同時に受けることになりました。

17 「私は健康です」と決めたら、実際に健康になった

私は、本気で健康を誓いました。

医者任せにしないと決めたら

「病気を治す!」という気持ちが強くなりました。

それを娘に伝えたところ、

「本当に健康な人は病気を治すとは言わないよ。健康です、と言うよ」

と言われました。

確かに。と思いました。

そして「私は健康になる」と決めました。

寝る前に毎晩、常に健康な状態をイメージしました。

半年後

なんと痛みは消えました。

そして、医師からは「奇跡だ」と言われるようなことが起こりました。

それは、右手首の関節同士をつなぐ軟骨の代わりに、

繊維状の細胞が軟骨の役目を担っていました。

医師からは、通常あり得ないことだと言われました。

そして痛みが消え、医師からも、「寛解状態」と言われました。

それがもう嬉しくて、この調子なら断薬も可能かもしれないと
心が躍りました。

通常、週に1回の投薬の間隔も、もう1週間、次は2週間、その次は3週間と空けていきました。

しかし、4週間、投薬の間隔を空けたとき、
右手首の痛みは再発してしまいました。

その後、指の腱が断裂してしまったのは、先述の通りです。
もう少し慎重に投薬しておく必要があったかもしれません。

18 人からの助けや想いを「受け取る」

自分で何とかせねばならぬ、との意識が強めの私は、
人から助けを受けることがあまり得意ではありませんでした。
何かしてもらうと、必ず何かを返さなきゃと思ってしまい、
返せないと相手に借りができてしまうような感覚もありました。

そんな私が、家族や、周囲の人たちのおかげで、
助けや想いを受け取ることを学びました。

家族は、私がリウマチになったことで、自分を責めていました。

母は「健康な身体で産んであげられなくてごめんね。
代われるものなら、代わってあげたい。」

と私に言いました。
代わってあげたいと言ってくれる人は
世界で母一人だけだと思います。

また、元夫も自分を責めていました。
私の実家に、一人で離婚の報告に行ったときのこと。

彼は、私の両親に「僕のせいで、彼女を病気にしてしまいました。申し訳ありません。」

と言っていたそうです。
それをしばらく後になって母から聞き、
そんなふうに思わせていたのだと知りました。

そして、一番助けられ、一番辛い思いをさせたのは、
ずっと私のそばで見ていた娘です。

娘が小学校3年生の頃、離婚をし、娘と二人暮らしが始まりました。
二人でスーパーへ買い物に行った時のこと。
娘は、みかんを箱ごと買ってと言いました。

私は「重くて持てない」と言うと、
娘は「自分で持つ」と言いました。

そして私は手ぶらで、
小3のまだ小さい娘は「重い・・・・・・」と言いながら、
みかん箱を抱え、途中で何度か休みながら、家まで持ち帰りました。

このシーンは、周りからはきっと虐待に見えたでしょう(笑)

そして、もう一つ、私が学んだエピソードをご紹介します。

あるとき、私が「痛い」と呟くと、

娘は
「痛いと言われても、どうしたらいいかわからないから、やって欲しいことを言って」

と言いました。

本当にその通りでした。

痛いと言えば、察して動いてもらえると思っていた
私の甘えだったと気づきました。
それからは、ちゃんとお願いすることにしました。

痛みがあると、自分だけが大変、と余裕がなくなり、
つい視野が狭くなります。

しかし、私だけが苦しんでいるのではなく
周りの大切な人たちも、自分ごとのように苦しんでいる。

素直に助けや想いを受け取ることが
相手への敬意にもなる。
と、家族から教えてもらいました。

19 貢献する

リウマチになって、周囲の方々に助けてもらうことはあっても、
私がリウマチになったことで貢献できることがあるとは
思っていませんでした。

発病してちょうど10年が経ったある日、友人から
「医療関係者に向けて、病気について講演をして欲しい。」
と依頼されました。詳細内容は任せるとのことでした。

私は、医療のプロの方々へ何を話したら良いかわからず、困惑しました。
しかし、自分自身のリウマチ生活の振り返りにもなるし、
もしお役に立てることがあるのなら、と思い直し、
お話しする機会をありがたく引き受けることにしました。

講演の参加者は40名ほどで、医師、看護師、製薬会社の方々と、
そのご家族が中心でした。講演時間は45分。

何を話そうかと思いながら、リウマチ生活を振り返ってみると、
一つのイメージが湧きました。

それは、自分がリウマチになってから今までに
「心の変化が段階的にあった」ことでした。

最初は、全く病気を受け入れられない否定期から始まり、
他責期、自責期、逃避期、前進期、貢献期、感謝期へと
心が変化していったこと。
それを話そうと思いました。

この心が変化するプロセスは、
病気だけではなく
人生の大きな転機に起こる
感情の変化と同じだと気づきました。

講演でお話しした、心の変化につきましては、
また別途書きたいと思います。

講演の機会は、私にとって、
初めてリウマチになって良かったと思えるほど、
思いがけず、大きなことを得ました。

まず、リウマチになったおかげで、講演の機会をいただけたこと。
そのおかげで、自分の心の整理ができました。

そして、講演後、聞いてくださった方々が、
私の前に列を作り、順番に感謝の言葉をかけてくれました。

「今のタイミングで聞けて良かったです。」とか、
「勇気をもらいました。」
などのお言葉をいただきました。
涙を流している方もいました。
感謝をたくさんいただきました。

そのおかげで、私もリウマチになったこと、家族、周囲の方々など、
全てに心から感謝する気持ちが溢れました。
リウマチになったことで、人に貢献できることがあると気づきました。

20 感謝する

感謝が湧き出ているときは、身体にとって、とても良い状態です。
エネルギーが高い状態だからです。
リウマチにも効果的だと思っています。

いつも支え、助けてくれている家族。
今まで私と関わり、支援してくれた多くの方々。
コンビニの店員さんに、ペットボトルのキャップを開けてもらったことも
一度や二度ではありません。本当にありがたいです。

発病した時には本当に絶望で、
まさかリウマチを通じて感謝が溢れることなど、
全く想像しませんでした。
不思議だなと思います。

さいごに

私は、成り行き任せだった人生が、
リウマチを通して人生を自分ごとに捉え、
健康である!と決めてから、寛解を体験することができました。
一つ一つ向き合い、私らしい人生にすることができています。

もし、健康体だったら、この全ての経験は無かったと思うと、
私には必要な経験だったのだと思えます。

決して罰ゲームではなく。笑

娘をはじめ、親や、多くの方々に支援してもらいながら、
ここまでやってこれました。

貢献したいと思ったら、講演の話をいただき、
大勢の方から涙を流して感謝される初めての体験もしました。

リウマチになって得たことはたくさんあるけれど、
失ったことはあるかも考えてみました。

球技ができなくなったこと。

薬のない生活。

これくらいでしょうか・・・・・・。

それ以外、出てきませんでした。
案外少なかったです。

この私らしく、リウマチとうまく付き合う20の方法が、
ほんの少しでも誰かのお役に立てればいいなと思って書きました。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

心より感謝します。

より多くの方が、健康でありますように。

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