【教師】【塾講師】【習い事の先生】の違い

僕は学校の先生になりたかった。
でも今は日本語教師(習い事の先生)になりたいと思っている。

僕の思う違いを話せたらなと思う。

熱量の違い

僕が思う【教師】と【塾講師】と【習い事の先生】の違いは熱量だと思う。
それは教える側も教わる側も総じて言えること。

皆さんは、「ちゃんと教えてるんだから、話聞けよ!」って言ってくる学校の先生に会ったことはないだろうか?
僕はよく言われた。それに対して、僕は「楽しいと思える授業を作ってくれ」と生意気ながら思っていた。こう思っている人は少なくないだろう。

しかし、最近新たな意見を持つようになった。
それは
熱量を持った生徒に教えたらいいのではないか?
というものだ。

簡単に言うと、

習い事 > 塾 > 学校

左から右に行くにつれて生徒の熱意は減っていると思う。それは、学校は反強制だか、習い事は行きたくていくものだからだ。そして塾は人によるかなと言う印象。



僕はこの3つの職業には熱量の違いがあると思う。


教える側と学ぶ側の熱量

3つの職業と熱量の関係については先ほど話したが、次は【教える側】【学ぶ側】の熱量の関係について書きたいと思う。

結論を先に言うと

僕は学ぶ側の熱量によって教える側の熱量が変わると思う。

当たり前だが、意欲的なものには熱量がこもる。
そして、生徒の熱量に比例して教える側の熱量も変わると言うのが僕の考えだ。


教える側は、最初は誰でもやる気満々だが、生徒が聞いてないと思うと手を抜く人が多いと感じる。
どんなに本気になっても向こうが本気になってくれなかったら
「何に本気になってるんだろう?」
と思ってしまうものだ。


僕は人に教えることが小さい時から好きだった。わかることの素晴らしさを共有できると言うことはとても素晴らしいことだと思う。

だから昔は学校の先生になりたかった。

でも、僕は
熱量のある人に熱量を持って教えたい
これが僕のやりたいことだと気付いた。

だから僕の夢は
学校の先生でも塾講師でもなく、習い事の先生だったのだ。

なぜ日本語教師が夢になったのかはまた別のnoteで書こうと思います。


今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。

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