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20240630

こんばんは
わきゅうです

プログラマーに転職して2年経ちました
ここ最近は担当している開発がなんだか難しくっていつもより多く働いてしまっている。プログラミングという仕事の方法論なんてものはまだまだ見えてこないし、正直よくわからないままキーボードをカタカタ…。実現したい処理を言語化してAIにコード起こしてもらって、問題なさそうであれば動かしてみたり、それで動かなかったり。

自分の時間を割いて働いているというのは確かなのだが(実際今日も20時から2時間働いた)、なんだか全て自分が働いているわけじゃないのだ。肝心なところは人工知能任せで、PAINに伴うGAINが感じられないような、ふわふわと長時間働いている。

それでもソースコードやプロダクトと向き合い、正しく制作物を納品するために頭を悩ませているということは変わらない。ただちょっと、便利になりすぎて、寧ろ遠回りしているような感覚さえある。正しく努力するためには自分で悩むだけじゃなくって、上位者に相談したり、そういう人間的な、昔からある仕事の作法というのがあったりする。それがなぜか、全部AIに聞いてしまうのだ。お手本になるソースコードも、正しく旗を振っている上司だっているのに。今はまだ、スマートフォンを手にするには早くて、ガラケーを使った方が(時間は掛かってもきっと)早いのだ。楽な道に流れすぎるのには、ちょっと気を付けていきたい。

<!-- 閑話休題 -->

不動産屋に行ってきた。次の家を見にいく。
次の街は随分とくたびれている。大型商業施設が駅前にふたつもあって、ラーメン二郎も豚山もあって、コメダ珈琲もふたつあって、BOOKOFFもあって、三路線走ってて、一路線は始発駅で。現在の街に比べて優れているところを探すのはちょっと難しい。あたらしく住むことになるであろう家は、駅からの距離は3倍、家の広さは2倍、家賃は1.5倍、23区でもない。

なんだか少しずつ東京から追い出されていくような感覚がある。別に、住む場所がその人を定義するなんてことは無いと思うけど、妙な寂しさがあったりするのは、心のどこかで、自分を構成するもののうちに東京という街を感じているからなのかもしれない。

友達がいる街東京、それでも付き合いのある人は微増微減を繰り返しながら、少しずつ減っていく。本当に大事にできるものなんて、数える程もないのだ。理由はわからないが、友人の住処は東西南北に散っている。どこに住んだって皆んなを採れるわけじゃかったら、住む場所は自分で決める。友達に会う時間がどんどん貴重になっていく。

<!-- さいごに -->

6月は祝日が一回もなくて。仕事は一度も休まずいった。
だから今月はとってもくたびれました。
連休が恋しいね。
こんなに苦しいのにこれといった成果も上がらず、
ただ積み重なっていく時間と、確かな老いの中で
ちゃんと生きていたいなって思います。

noteで繋がってる方達の文章すきだなーーって思って読んでます、
それで今日は思わず文章書いてしまいました
おやすみなさい🌝

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