地方がどうありたいか

うーーん、今日は暑かった。というか今も暑いと感じる今日この頃笑
今日はなかなか書くことが・・・と思いながらPCに向かっている。 

先ほどまで平成の大合併を考える話を聞いていた。
平成の大合併。

功罪いろいろあるけれど、当初は地方の主体的な合併が促進されるべきという風潮から、政治家の思惑も絡み、財政的視点から合併しないともたない、するなら今、そして合併特例債という「アメ」と地方交付税の削減という「ムチ」を使い大規模に推進されていったように思う。

近年の圏域議論も踏まえ、地方視点からするとどうしても押しつけられた感覚が非常に強いのだろう。行政しかり住民しかり合併に対するアレルギーが強いのは間違いない。圏域議論も合併の延長線上というのが透けて見えるため、非常に感情的な反発につながっているように感じる。

本来は、地方自治体の担う、果たすべき役割はなんなのか。うちの地域ではなにを提供していくのか。もちろん国家として一律の行政サービスの提供を考えなければ行けない面はあるけれど、どういった手段を選ぶのかは地域が主体となって選択していかなければならないのだろう。

それは、どこまでいっても地域のことは地域に関わる人でしかわからないからであり、サービスの提供先は、地域に関わる人だからだろう。

ある方がこのようなことをいっていた。

東京で育ち、生活していて、東京発信の全国メディアのニュースに触れていて、東京の人と会話していたら、東京が日本のスタンダードと認識してしまう。
でも、地方にいった時に、東京とは全く違う光景がそこには広がっていた。
面積的にいっても日本のスタンダードは、この地方の実情そのもの。
そこは決して忘れてはいけない。

本当にその通りだなと思う。

僕も東京ではないけれど、大阪市に生まれ、奈良県北東部で育った。
奈良県自体は、都市部とは言い難いけれど経済圏としては、大阪市を中心とする三大都市圏の経済圏の中におり、奈良県南部の様相など知るよしもなかった。

ここにきてみたけれど、今でも正直わかり切っていない部分はあると思う。

東京にいる人からすればもっとだろうなと思うのである。

市町村合併にしろ、圏域構想にしろ、もう実現は難しいかもしれないが道州制議論にしろ、構想の思考の発信地点は地方でなくてはならないのだろうな。

だからこそ、国の人に対しても地方の実情を真に伝えていく努力は必要だろうし、地方自身がどうしたいかをまとめていくことが必要なんだろう。

だからこそ、解決方法は総務省から示されるものではなく、地方自らが示していくものなんだろうな。と思う。その上で全体を考えた上でその示されたものをいかに実現していくかは国と共に考えていくべきことなんだろう。

そして、合併議論の前に、東京一極集中のシステム自体がもう限界に来ていることを解消していかないといけないんだろうな。

国の機関を完全リモートにし、全国に職員を配置するってのも面白いよね。
勝手にいってるけど。

まあでも本気で中央集権的システムを変えていくことが必要なんだろうと思う。

そのために、やっぱり僕たちは学び考え発信していかなければならないし、地方自身がどうありたいか、どうしたら持続可能なのか考えまとめていくことが必要だと思います。

今日も一日ありがとう。

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