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06/02- トーフへの追突

06/02 ??:??-??:??
バイトに行く。
爆発的に体調が悪い自分をなんとかするために、ゼリーを買ったりお菓子を買ったりナッツを買ったりおにぎりを買ったりしている。
こうしていると、自分をいたわることと甘やかすことと怠けていることの境界線が見えないのが地味につらい。
体調が悪くならなければこんな葛藤もないのに。都市は全力で走れる人向けにデザインされていて、自分が坂元裕二とか野木亜紀子を見る目はそこに由来している。

その水に馴染めない魚だけが、その水について考え続ける。

この言葉を思い出すタイミングがこうしてまた来る。
人類史に残りそうなクラシック的な箔のついた言葉だけれど、これが出てくる本は今年出たらしい。必ず読むのはそうとして、そんなに歴史の浅い言葉だとは思わなかった。正直どこかの言語から翻訳された言葉で、人類みんなでしゃぶり尽くされた言葉なのかなって気もしていた。言葉が人々に届くモーメントを見届けているのはなかんかすごいことに思える。

自分を介抱する一環で天一に行った。「体調が悪いときに天一行く人っているよね」というオモコロ加藤さんの言葉を信じてこういう時に行くようになったけど、エネルギー弾を食べてる感じで実際結構元気出る。


06/03 09:00-25:30
やっと病院に行けた。
採血された…!
採血は大嫌い。
採血は不安なので。
軽い貧血気味ゆえ、チクっというよりも採血されたあとに気絶するところを想像して不安になってるんだろうと思う。腕を差し出すところの儀式性みたいなところもなんか怖い。「貴様はこういう時、心の中で誰の名を叫ぶのだ」って閻魔様に訊かれてるみたいだなと思う。そこも儀式っぽい。「はい、私めの心に浮かんでいるのは、この方であります」と思いながら、誰かそばにいてくれ~、と思う。
そういえば明日はホルモンを計測されるらしい。受け取った予約票に「採血」って書いてあった。またか。
おれはK市に何ccの血を献上するのか。


先週分の日記をやっと公開する作業をしていた。明確な理由にも向き合えないまま、日記の更新がどうしても疎かになっていた。
「日記やらなきゃなー」と思いながら横たわっていてなんとなく思ったけど、少なくともちょっとしかやりたくないことからどころか、むしろやりたくもないことからやってしまう生き物なのかもしれない。重大な仕事がtodoリストに溶け残り続けるのを横目に、リスト化してもいない零細なタスクがこなされていく。でも零細タスクでエンジンをあっためて、大きな仕事にぬるっと取り掛かるのがうまくいく日の滑走路だと思う。
零細タスクはゴミ箱の中身を袋にまとめるとか、デスクトップをキレイにするとか、植物に水をあげるとか、とにかくいとまがない。むしろ服をたたんだり靴をしまっているうちに、それがテコになって大きな仕事を動かせるようになる。むしろ自分にとってペダルはそれしかない。日記もそうだし、料理もそう。
皿洗いはちょっと違う気がするのは、それ自体がほとんど先延ばしの末にシワ寄せみたいにやっているからだと思う。自動的にやれるうちにやってこそ零細で、溜めていくうちにおおごとになる。
小さな作業が大きな循環のテコになる。less is leverに基づく日常ディテール論と名付けようか。

そんなわけで、自分の5月は異常な速度で過ぎてしまった。足跡が薄いというか、人生が1ページしか増えてなさそうな情報量になったことは間違いない。
ここに書けないことはいっぱいあったけど、最近は秘密主義者が最後にこっそり笑ってるような気がする。


公開した日記の中に、「失敗するよりさよならする方が私は苦手」という歌詞のことが出てきた。「ひとりだと選んでしまう道があるだろうおまえの薄い胸にも」も、おなじく理由もなく思い出してしまうフレーズだな。そのうち何かの折に腑に落ちるだろか。


06/04 08:45-24:45
ホルモンの検査で採血されたりしてた。


やらなきゃいけないことにがっぷり四つになれる身体的環境がタケノコにより拍子抜け気味な復活を遂げた。けど、やらなきゃいけないことのフォーマットが思ってたのと違くてちょっと困った。結局こういう怒りみたいな感情が1番燃料として効率がいい。けどやっぱり使いたくはない。安定した喜の燃料をくべ続けたい。そういう仕事に就きたいし。とにかくいまはPanic。

06/05 07:00-27:00

本を見漁りに都内へ出て、昨日Youtubeで見たつけ麺を吸い込んで学校へ。体調のせいかは知らないけどオモチャン見たらものすごく“小麦”を摂りたくなってしまった。やすべえ、隣の人がもの凄い勢いでチャッチャ言いながら麺を吸い込んでたり妙に江戸前だった。


tofubeatsをまだ妙に聴き続けている。

この部分に感動して気づいたけど、たぶんこの記事読むの2回目だ。なんど見ても新鮮な感動がある。ピンとくるってこのことかな。

three the hardwareも見ている。

パラデータ解説も見た。音楽の果てしなさに呆然としている状態が好き。

homeworkのやつも見ている。ぶっちゃけ水星のrollerdisco mixのライブ映像も見ている。はやく音源にして罪悪感から逃がしてほしい。
とにかく見せ方がうまいというか、些細なものを面白く見せるのがうまいところが好きだなと思う。クリエイターとして好きな人ってなかなか足りない。


spotifyで1位の曲だな~くらいにしか思ってなかったLONELY NIGHTSのフィーチャリングがKEIJUなのも今日知った。アーティストにずっぷりハマる時にはこういうコインシデンスがある。KEIJUにはJJJとの仕事で恩を感じている。

↑大豆田を見返してしばらく経つけど、これが印象に焼き付き続けている。なんとなく色んな人と会う日々が続いていて、みんなそれぞれ坂元裕二が好きな人で、折に触れて「人は手に入らなかったものでできている」という言葉を出していた。
周りを見回したとき、「もしかしたら願いすぎたものは手に入らないようにできているのかな」とか思うようになっていた。有利に運ぼうとしない大人は、いつの間にかゲームに勝っているからかっこいい。何食わぬ顔で生き続けたい。だって必然の関係には掛け違えるボタンすら存在しない。拍子抜けな安心感の正体であり、事変が「もうニルヴァーナか」って言ってた魂胆かもしれない。
昼に書く日記じゃなかったな。自省にもあんまり身が入らない。

06/06 09:00-27:00
アドレナリンに身を任せてこんな時間に。忙しさに背突かれてタイピングする腕が光ってた。私が光ってなんにも見えないって言いたい。脚光を浴びるよりもそっちの方が快い。

06/07 09:00-24:00
寝落ちするくらい忙しかった。人の成功体験に立ち会った。成功体験って胸が熱くなるんでした。悲しいけどすっかり忘れてましたね。

06/08 08:00-27:00
↑27:00就寝増えてませんか?
船であれやこれやが起きる夢を見た。最近は夢の中の色んなことが船の上が舞台になってる。しょっちゅう自分が自分の状態の喩えとして出してるからだろうか。

自分の持たされてる手札が何なのかをずっと把握し続けて、うまく忙しめるようになりたい。

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