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7/21- 付け焼き刃ばかり見せつけて

07/21 12:00-26:00
寝不足が祟って昼まで二度寝を繰り返していた。

「もう家にいちゃおうかな」を押し切って学校に行った。
本腰を入れてみるとまあ忙しい。欲張りで八方美人だから、クリアしなきゃいけないものが抱え切れるか怪しいほど常にある。

忙しい時期、もとい好ましい日々は、今日はあの人に気に入ってもらえるものを、明日はフォロワーに認められるものを、その次はあの人にがっかりされない時間を、その次はまだ見ぬ人に堂々と見せられるものを、っていうように、自分を軸に方位を設定して、その日ごとに違う人のいる方位を向いていくような過ごし方になる。
ルロイ修道士が言う「困難を分割する」生き方は、自分にとっては大事な存在をコンパスの周りに配置することと、そこに方位を区分することのように思える。

忙しさの実地に立たないとこんなことも思い出せない。はっきり言って忙しい状態は大好きだなと思う。


今日はたぶんやりたかった片方のことはなかなかできないけれど、それもまた方位の区分がきっぱりとついた生き方なのかなと思う。iPadでも作業できるようにしておいた方が、色んな方向に軽やかに向けそう。


07/22 08:30-26:30

・人生で今が大事なんだ曲がり角だ潮の変わり目だってずっと言っている気がする。ワンピースの作中で「来ているのだ、時代のうねりが…!!」って延々と言われているのに似ている。

・おでかけに向かう電車でエイリアンズはキリンジの弟が作ったことを知って、無限の才能を知った日になった。

・柴田聡子がすごく猛プッシュされたら、スピッツみたいに国民的アンセムを作れる可能性ってあるんじゃないか。そんな世界が見てみたいなと何十回目のyour favorite thingsを聴きながら思った。

・宮崎夏次系の漫画を誰かに貸し出すときの、自分の心のでっかいひとかけらを差し出しているような緊張感と体の内側まで風が吹いてくるような感じ。

07/23 11:00-26:30
いま、日記を書くよりも大事なものを作っているので手が離せない。←うれしい

07/24 07:00-24:00
自分の心は日々こんなに簡単に動いているのに、人の心はなかなか動かない。自分の心を動かしている人は自分よりすごいんだなーと思う。井の中のおたまじゃくしが隣の芝で干からびかけている。自分のことはもうちょっと蛙だと思ってた。
というのも、今日は初めて他の大学と合同ゼミがあった。「そして父になる」的な体験をしておしなべて不機嫌になる同期一同。

帰り際に近くで花火が上がった。心の実情と情景描写的がチグハグだと、わたしは今現実を生きているなと思う。ひたすら忙しない時に降る雪とか。


とにかく、自分は準備不足が目立つ。準備が足りないせいで上手く相手に伝達できていないことばっかり。準備を納期にきっちり終わらせることが真の能力かもしれないし、準備不足はひとえに能力不足だって言いたい。準備がもう少し早く終わっていれば発表前に内容の客観視はできていたはず。

この所の失敗続きで学んでいるのは、付け焼き刃が真っ当に通用していないことと自己評価が宛てにならないこと。「結局仕事は納期とクオリティ」の「クオリティ」に自分のやり切った感が蜃気楼を見せている。


準備不足になるのは、自分が色んなものを一度に抱えすぎているからだとも思う。人を巻き込む意識が始めからないせいで何をしても勢いがつかないのか、もっと単純に仲間づくりが下手なのか、自分の依存先がどんどん減っているのを感じる。
何かのマイナスポイントを見つけては勝手に見限って、どんどん色んなものをアテにしなくなっているのが辛い。もっと色んなものを人と共有したかったなと、チーム然としている人たちを見ていて思わないはずがない。


欲張りで八方美人だから、クリアしなきゃいけないものが抱え切れるか怪しいほど常にある。

後から見返してみたら、自分の課題の根本部分はこの日記の始まりに暴き出されてた。


07/25 08:30-25:15
7月が終わりかけている。色んなことの納期が迫ってる。


包丁を洗うのが面倒で、鶏を焼く前に筋を切って身を開く作業を手でやってみた。
有機物同士が触れてる時特有の生々しい音を聞いたり弾力を感じているうちに、目の前の肉は今まで生きていたんだな、という普段とは違う視点が頭の中に据わりはじめた。そもそもその肉の賞味期限が切れていたからこそ、なおさら目の前の食材をちゃんと食べなくては…!と思ったのかもしれない。
でも、道具や工場が介在していることで視界を遮られていることって多いかもしれない。
じゃあ国内生産の手縫いとか洗濯板に戻ればいいのか?といえばそうではない。懐古主義的な提案はそれをカバーするアップデートの塩梅が肝要だということは、えてして懐古主義に陥りがちな建築家の業界にいれば肌でわかるし、それでもまだ難しい。


07/26 08:15-24:15
バイトの代打をさらっとこなし、浅草橋へ。あるポップアップショップに行くのを目的としつつ、それだけではなんとなく楽しみきれないと思って汐留のケアホルム展も視野に入れていた。結局汐留には向かわないくらいには浅草橋で楽しんでしまった。数時間はいた。


ポップアップショップの店員さんと話し込みながら、自分がもっとブックデザインの流れを知りたいと思っていること、自分から衒学的なところをとにかく削り取りたいことに気がついた。自分のそういう仕草は実際はぶつかり稽古的な発想で、不確かなことを話すなかで面白い会話に向かっていきたくてやっている。もう少し聞く立場にいることを大事にすれば、もう少しスリリングじゃない方法で会話ができる。多分こういうカルチャー的な会話には、少なからず先攻と後攻がある。詳しくない方は質問をしつつ相手のアグレッシブを引き出す立ち回りが柔道の練習みたいにあって、別に会話は勝負ではない。



ちょっとアグレッシブになりすぎたので、帰り際「お金がなくて、この安い本一冊しか買えずすみません」的な腰の低さを出して自分の溜飲を下げようと思っていた。結局「これしか」以外に当たるほどドンピシャに買いたくなる本が見当たらず、そんな腰の低い言葉を言い忘れて出てしまった。

「衒学的じゃない、謙虚な印象」を押し付けようとしている時点で謙虚にはまだ程遠いこともわかっていないといけない。けど、頼りがいとか落ち着きは絶対に虚勢からは出ないことを周りの頼れる人を見ていると学んでいる。謙虚な上で、やることはやる人になりたい。
切れ味の悪い付け焼刃を振り回すより、自分はじっとしていて、話題が動いて勝手に斬れているようなものを腰に差していたい。斬馬刀みたいなどうしようもない武器しかまだ携えてないなと思う。ならせめて相楽左之助みたいに熱血であればいいのに。



07/27 08:30-26:00
実家にペットカメラが来た。

猫とカメラ越しに見た時の自分のひと言、我ながら的を射ている。写真自体は妹に送ったLINEの通知が映ったスクショ。妹が撮った。
リビングなのでたまに母が映る。自分が見ていることに気づくと母が変なダンスをしてくれる。猫という何も考えてない存在が家庭の中心になってくれるとこんなにもそれは上手く回るんだなと思う。
「あんたの子育ては楽しかった」と言い放ってくれた母親へのありがたみはまた増している。

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