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07/14- 機械の細部と全容の生命

07/14 08:00-26:00
妙に体が元気になってきた。そのメカニズムは自分でもよくわからないまま。

07/15 09:00-26:00

浅草でご飯とか食べた。これは大事な時間。

07/16 05:00-29:00
体が重〜くてこの朝日がだるい2024にノミネートする感じの午前だった。危機感は当然あって、とりあえず歯だけ食いしばっている。

新宿に行ったら目当てのお店が閉店してて、思いつきで乗った電車は反対行きで、その電車で傘を忘れた流れでだいぶ勢いは殺されたけどなんとか家へ。1日の後半はやることをやるのがクールかなと思って、短歌くださいのページとかを見ながら帰った。自分の作っているものの全貌なんて把握する必要はないんだろうなと思う。東大生のお笑いが面白くないだの、楽理をマスターした人の作る曲がダサいだの、俺の作るものがうまくいかないだの、すべては理屈で細部を完璧にしようとしてるからだと思う。もうひとつの車輪・審美眼でもって全容を調整すればいい。

たとえば「三番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」とか「こんなにも人が好きだよくらがりに針のようなる光は差して」みたいな言葉が理屈で生まれると思うか。もしかしたらここの具体例は都度都度変更していくかもしれない。

平日の街を1人で歩くのが一時的にだいぶ辛くなっている。まだまだ頑張る。


家に帰ったらその晩は眠れなかった。
自分が自分であることを罰せられているような気持ちになる日がたびたびある。眠れない夜ってほぼ糧にならないのが分かっているから嫌。遠回りですらなくて、停滞でしかない。

あの時精一杯生きてきた者同士永遠にってテンパレイは歌っている。おれもその「同士」と呼ばれる精神的共同体に入れてもらえるように頑張りたい。


06/17 11:00-26:30
不眠が祟って体が痛かった。あんまり心はニコニコしていないけど、不機嫌にしていたら絶対好展開は舞い込まないのでとりあえず自分のムードを社交性のチャンネルにつなぐ。

今日は別に働いてないけど、最近特にお客さんが自分以外に話しかける。カウンターでこそこそ仕事していることが気持ち増えているのがよくないのか。それとも自分が口を固く結んでいる時間が長くなって平常時の表情がちょっと険しく、また「おいしいご飯が」の芦川さんの可愛がられメソッドに学ばないといけないのか。単純にひげを蓄えてから声をかけられにくくなっているような気もする。なんでもいいけど、とりあえずまたお客さんと仲良しな日々を過ごしたいとは思っている。
あんまり性急さが勝つと今度は品性を失って気の利かない電気屋さんの早口な店員さんみたいになっちゃいそうだ(いい人も少なくないけど)。品性は絶対にゆっくり話す人に宿るだろう。ちょっと期待してた政治家の最近のSNSでの立ち回りを見てても思うけど、相変わらず沈黙は金らしい。けっして衒わず、相手の出した話題をこっちに無理やり引き寄せない。

ほれ見てみろ。穂村弘もゆっくり喋るらしい。引用元はどの本なんだ。


07/18 09:00-25:30

タバコは生活の句読点と言うけれど、美容院もそこそこだと思う。


今シーズン追えてたのはTTHWだけだった。色んなことを学んだ。「クリエイティブの終わりは納期だけ」だの「結局仕事は納期とクオリティだけや」だの、胸板が薄い人がなるというストレートバック症候群だの、横向きティーポットだの。人生の半歩先の具合を教えてもらっている。


でかいタスクをやる前のミニステップとして、chromeのタブを消化し始めた。

なんといってもこの1136という数に圧倒されたからである。ちょうど今「すぐやる」論がアツく部屋が綺麗になり始める過渡期にもいて、ちょうどいいからやっている。年単位で過去の自分が興味を持っていたものに対するズレを通じて今の自分の関心の本懐を確かめられるのが結構心地いい。一応読めるものは読んでいるから、文字通り消去ではなく消化活動なのも気分が良い。今の自分も変わらず興味を持っているものに関してはしっかり深化していて、そのタブを上書きするかたちで関連する内容を調べたりもしている。健康的。今日の時点で1075個まで減ったらしい。


07/19 09:00-27:00
講評会で後輩のがんばりを見た。ちょっと前に知り合いがベンチャー的な発表で表彰されてるのも見た。たぶん知り合いがSDレに選ばれた。げに刺激に満ち溢れた日々になってきた。
自分はただ粛々とものを生み出すのみ。家に帰ってクリエイティビティを発揮したい時間を寝落ちに使ってるのはもったいない。粛々とできない時は堂々と人に寄りかかりたい。もろもろ追い込まれはじめて、このところ依存先を削減する流れが自分に来てしまっていて息苦しい。

07/20 09:00-25:30

帰宅してすぐ、部屋が冷えるまでの間にお風呂に入っちゃおうと思ったけど寝落ちして失敗に終わった。チャレンジ自体はよかった。アラームをちゃんとかけたとしても、昼寝でも2度寝はあるのを胸に刻もう。

今週は体調がだいぶよくなって、全部のパーツを完璧主義で把握しようとしないおおらかなやり方にも目がいくようになった。
手書きで文字を書く機会が増えていて実感があることだけど、綺麗に書いた各部位をつなげても綺麗な字はかけない。それはむしろレタリングとかの域であって、自分の心を表現すべきお手紙とは全然違う。
むしろ全体の呼吸とか筆運びでもってバランスのいい字が生まれるのは、太鼓の達人みたいにただアタックの瞬間だけを処理しても音楽はできず、むしろ休符に呼吸が宿ってフレーズに生命感が宿るのに近い。「パーツ」はディテールよりも大きくて全容よりも小さい。今年の春にディテールの連動に宿る完全性に気づけた上で、今度は「全容」の存在を見出せた。ふつうの人は言語化せずに体で掴むことかもしれないけど、こだわるべきスケールは今のところ自分にとってその2つしか見えていない。やっとこんな状態になれた。とめどない細部の連動が機械的なら、部分部分の印象操作じゃなくて、全体をうまく統合するのが品性だと思う。いい加減に身につけないといけないし、身につけたとき自分の周りに生まれるものも生命的だと思う。

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