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氷川神社を知る


なんとなくお詣りしたり

祭りになれば仲間が集まった

慣れ親しんだ氷川神社。


大宮の氷川神社が総本社で

埼玉から都内にかけて

武蔵国に数多く点在している。

新幹線も止まる"大宮"の地名

大いなる宮…

氷川神社から付いた地名と解る。

御祭神
スサノヲ
クシナダヒメ
オオナムチ

出雲大社の分霊を勧請との事。

この地に流れてきた出雲族が

新たな拠点を置いた歴史は

ご祭神からして察しやすい。

ヤマタノオロチとしても有名な
出雲を流れる川"斐伊川"から

"氷川"と名付けた説もあるそうで

氷川神社を巡っていると
立派な龍の彫刻を見掛ける事がある。

神社には龍…
子どもの頃は当たり前と思っていたけど
それは身近が故の勘違いで

龍伝説が残る神社以外では
必ず見掛けるものではない。

では何故、氷川神社は
龍と関係しているのだろう

大宮氷川神社境内の神池は

見沼の名残と言われていて

蛇の池の龍神伝説が残っているそう。

出雲族がやってくる以前は

アラハバキを拝む地だったろう
痕跡を残している大宮氷川神社

(アラハバキにも龍神説はある)

神の坐す地は自然界からの発生が
古来の自然な流れであるから

見沼を依り代とした自然崇拝

それがこの地の始まりなのかなと
神の名も無い古代の頃を想像してみる。


そしてやってきた出雲族。

出雲も龍蛇神信仰の歴史をもち

龍蛇族を名乗っていたとの逸話も…

龍神という共通点で
違和感なく融合したのかもと思えた。

氷川神社の繁栄した地域

Mapを眺めて調べてみると

"見沼たんぼ"と呼ばれる
芝川が流れ、自然豊かで
見沼の痕跡を残す地域に多く

また、荒川の流れに沿って
信仰が広がっていった事が伺える。

見沼たんぼ地域は縄文時代の貝塚も
多く出土している事から

この地域は出雲族が来る以前から

見沼と密接に関係する信仰が
古くから続いていたのかなと感じた。


その考えを裏付けしつつ

氷川神社の面白さに気付く
切掛になったのが

もう1つの氷川神社

氷川女體神社

古来から見沼と深い関わりをもち

見沼に坐す女神として
拝まれていた歴史ある神社だ。

見沼周辺を見渡せただろう高台に鎮座

歴史の深さを今も感じる事ができた。


大宮氷川神社
中氷川神社
氷川女體神社

この三社を合わせて

武蔵国一宮 氷川神社

そう呼ばれた時代もあったそうで

今も氷川三社参りとして
その時代の名残が残っている。

その内の1社がここ氷川女體神社。


水辺に坐す女神=龍神

この氷川女體神社こそ

氷川における龍神信仰の核

そう言ってもいいかもしれない。

独特の空気を感じる氷川神社だった。

氷川三社を訪れたことで

龍神に近づいた感覚はありつつも

何かしっくりしない違和感も
新たに抱くことになった。


1つ目が、"三社合わせて"

熊野三山や出羽三山など
山岳信仰の色を感じないし

何かを護る又は何かに対する結界?
何のための三社か解らず

この"三社"には違和感があった。

東国三社参りが江戸時代から流行した
新しい信仰対象のように

氷川の三社も
いつの時代からか後付けされた予感


そしてもう1つ

中氷川神社(中山神社)のご祭神
オオナムチ
スサノヲ
クシナダヒメ

この流れなら氷川女體神社も
同じ三柱がご祭神かと思えば…

氷川女體神社のご祭神
クシナダヒメ
ミホツヒメ
オオナムチ

…スサノヲがいない。

この歪みに何かありそうな予感

氷川女體神社の過去を遡れば

何か答えに辿り着くかもと踏んで…

ビンゴだった。

昔、氷川女體神社は

女體宮と呼ばれていた。

"氷川"の名は見当たらない。女體宮。

この何気ない気付きが重要だった。

参考 氷川神社三宮絵図

大宮氷川神社の過去絵図を確認すると

男体宮(スサノヲ)と女体宮(クシナダヒメ)

社殿の分かれている時代が長く続いた。

いつしか相殿に纏められた。

大宮氷川神社を男体宮とした時の対として

女神であった見沼の神

女體宮を"氷川の女体宮"とした。

…この考えがいつからか生まれた事により

女神をクシナダヒメとする流れと

社号も氷川女體神社に改められた。


氷川女體神社は

昔は、氷川神社ではなかった。


祭神にスサノヲがいない理由として
辻褄の合う流れになるし

大宮氷川では薄く感じていた
龍神信仰が色濃くなった理由

何故に三社?という後付け感

様々な違和感が解消されて納得できた。

大宮氷川と氷川女體の中間に位置する

中氷川神社(中山神社)

夫婦の間に子(オオナムチ)が鎮座する…

という構図に当てはめて

中氷川神社の立ち位置も

氷川女體神社と共に
確立していったのかもしれない。


何故に西を向いているんだ?

という中氷川の疑問は結局解らず

次回へ持ち越しの謎も残しつつ…

中氷川神社にも荒脛神社として

アラハバキが地主神だったろう
記憶が残っている。

大昔の信仰対象は

大宮氷川神社と同じだったかもしれない。


感覚の話でしかないけれど…

中氷川神社は大宮氷川と
似ている空気を感じていた。

氷川女體神社はソレと違って

先ほど独特の空気と述べたように

大宮氷川とは違う空気が漂っていた。


アラハバキの姿も見つからなかった。

痕跡がないのは当然の事かもしれない。

元の地主神は、見沼の女神だから

(アラハバキを女神とする説もある)

私が見つけられなかっただけで
元は三社とも同じだったかもしれないし

真相は解らない。

氷川三社

氷川神社のレイライン

武蔵国のパワースポットとか

…お決まりの話をする事は簡単だ。


そこをもう一歩踏み込んで楽しむ。

といいつつ、気になっていたけど
近場が故に放置していたこと…

やっと重い腰を上げて

頭ん中を纏める事ができたかな。

神社は面白い。

お詣りだけじゃ気づかなかったこと

もう一度訪れる事で

まだ知らぬ地へ訪れる事で

視点を変えてお詣りする事で…


点と点を繋げていくと

氷川とは何かを知る事ができた

ルーツの違いに気付いた

氷川神社全体の
見え方が大きく変わった。


謎は必ず残るもので

この先、新たな発見があり
氷川の話に続きがあるかもしれないし

私の勝手な想像の世界であって
大きな勘違いに気付くかもしれないし

それも面白い、神社の歴史を探る旅

武蔵野うどん

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