![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/107169520/rectangle_large_type_2_33e5bda929fd7a38f57447edf8e94b14.jpeg?width=1200)
氷川神社を知る
![](https://assets.st-note.com/img/1684996005130-RonNFbwg2K.jpg?width=1200)
なんとなくお詣りしたり
祭りになれば仲間が集まった
慣れ親しんだ氷川神社。
大宮の氷川神社が総本社で
埼玉から都内にかけて
武蔵国に数多く点在している。
新幹線も止まる"大宮"の地名
大いなる宮…
氷川神社から付いた地名と解る。
![](https://assets.st-note.com/img/1684996816158-3hrd7pzsXr.jpg?width=1200)
御祭神
スサノヲ
クシナダヒメ
オオナムチ
出雲大社の分霊を勧請との事。
この地に流れてきた出雲族が
新たな拠点を置いた歴史は
ご祭神からして察しやすい。
ヤマタノオロチとしても有名な
出雲を流れる川"斐伊川"から
"氷川"と名付けた説もあるそうで
![](https://assets.st-note.com/img/1685180939498-k6KvGVjzct.jpg?width=1200)
氷川神社を巡っていると
立派な龍の彫刻を見掛ける事がある。
神社には龍…
子どもの頃は当たり前と思っていたけど
それは身近が故の勘違いで
龍伝説が残る神社以外では
必ず見掛けるものではない。
では何故、氷川神社は
龍と関係しているのだろう
![](https://assets.st-note.com/img/1685620267133-ETlBemp9ub.jpg?width=1200)
大宮氷川神社境内の神池は
見沼の名残と言われていて
蛇の池の龍神伝説が残っているそう。
出雲族がやってくる以前は
アラハバキを拝む地だったろう
痕跡を残している大宮氷川神社
(アラハバキにも龍神説はある)
神の坐す地は自然界からの発生が
古来の自然な流れであるから
見沼を依り代とした自然崇拝
それがこの地の始まりなのかなと
神の名も無い古代の頃を想像してみる。
そしてやってきた出雲族。
出雲も龍蛇神信仰の歴史をもち
龍蛇族を名乗っていたとの逸話も…
龍神という共通点で
違和感なく融合したのかもと思えた。
![](https://assets.st-note.com/img/1685615899170-ya3HNPiptM.jpg?width=1200)
氷川神社の繁栄した地域
Mapを眺めて調べてみると
"見沼たんぼ"と呼ばれる
芝川が流れ、自然豊かで
見沼の痕跡を残す地域に多く
また、荒川の流れに沿って
信仰が広がっていった事が伺える。
見沼たんぼ地域は縄文時代の貝塚も
多く出土している事から
この地域は出雲族が来る以前から
見沼と密接に関係する信仰が
古くから続いていたのかなと感じた。
その考えを裏付けしつつ
氷川神社の面白さに気付く
切掛になったのが
もう1つの氷川神社
![](https://assets.st-note.com/img/1685618039061-I4sgk5rRCJ.jpg?width=1200)
氷川女體神社
古来から見沼と深い関わりをもち
見沼に坐す女神として
拝まれていた歴史ある神社だ。
見沼周辺を見渡せただろう高台に鎮座
歴史の深さを今も感じる事ができた。
大宮氷川神社
中氷川神社
氷川女體神社
この三社を合わせて
武蔵国一宮 氷川神社
そう呼ばれた時代もあったそうで
今も氷川三社参りとして
その時代の名残が残っている。
その内の1社がここ氷川女體神社。
水辺に坐す女神=龍神
この氷川女體神社こそ
氷川における龍神信仰の核
そう言ってもいいかもしれない。
独特の空気を感じる氷川神社だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1685618334545-hkJvBKk5ku.jpg?width=1200)
氷川三社を訪れたことで
龍神に近づいた感覚はありつつも
何かしっくりしない違和感も
新たに抱くことになった。
1つ目が、"三社合わせて"
熊野三山や出羽三山など
山岳信仰の色を感じないし
何かを護る又は何かに対する結界?
何のための三社か解らず
この"三社"には違和感があった。
東国三社参りが江戸時代から流行した
新しい信仰対象のように
氷川の三社も
いつの時代からか後付けされた予感
そしてもう1つ
![](https://assets.st-note.com/img/1685618486611-iGuVnmnYne.jpg?width=1200)
中氷川神社(中山神社)のご祭神
オオナムチ
スサノヲ
クシナダヒメ
この流れなら氷川女體神社も
同じ三柱がご祭神かと思えば…
氷川女體神社のご祭神
クシナダヒメ
ミホツヒメ
オオナムチ
…スサノヲがいない。
この歪みに何かありそうな予感
氷川女體神社の過去を遡れば
何か答えに辿り着くかもと踏んで…
![](https://assets.st-note.com/img/1685618936103-sB4f0RjVvm.jpg?width=1200)
ビンゴだった。
昔、氷川女體神社は
女體宮と呼ばれていた。
"氷川"の名は見当たらない。女體宮。
この何気ない気付きが重要だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1685750635627-UFjJavYraQ.jpg)
大宮氷川神社の過去絵図を確認すると
男体宮(スサノヲ)と女体宮(クシナダヒメ)
社殿の分かれている時代が長く続いた。
いつしか相殿に纏められた。
大宮氷川神社を男体宮とした時の対として
女神であった見沼の神
女體宮を"氷川の女体宮"とした。
…この考えがいつからか生まれた事により
女神をクシナダヒメとする流れと
社号も氷川女體神社に改められた。
氷川女體神社は
昔は、氷川神社ではなかった。
祭神にスサノヲがいない理由として
辻褄の合う流れになるし
大宮氷川では薄く感じていた
龍神信仰が色濃くなった理由
何故に三社?という後付け感
様々な違和感が解消されて納得できた。
![](https://assets.st-note.com/img/1685620079045-p91I3npqcV.jpg?width=1200)
大宮氷川と氷川女體の中間に位置する
中氷川神社(中山神社)
夫婦の間に子(オオナムチ)が鎮座する…
という構図に当てはめて
中氷川神社の立ち位置も
氷川女體神社と共に
確立していったのかもしれない。
何故に西を向いているんだ?
という中氷川の疑問は結局解らず
次回へ持ち越しの謎も残しつつ…
![](https://assets.st-note.com/img/1685623953199-pYni3wDhzN.jpg?width=1200)
中氷川神社にも荒脛神社として
アラハバキが地主神だったろう
記憶が残っている。
大昔の信仰対象は
大宮氷川神社と同じだったかもしれない。
感覚の話でしかないけれど…
中氷川神社は大宮氷川と
似ている空気を感じていた。
氷川女體神社はソレと違って
先ほど独特の空気と述べたように
大宮氷川とは違う空気が漂っていた。
アラハバキの姿も見つからなかった。
痕跡がないのは当然の事かもしれない。
元の地主神は、見沼の女神だから
(アラハバキを女神とする説もある)
私が見つけられなかっただけで
元は三社とも同じだったかもしれないし
真相は解らない。
![](https://assets.st-note.com/img/1685628152658-rOhGQ2lFTq.jpg?width=1200)
氷川三社
氷川神社のレイライン
武蔵国のパワースポットとか
…お決まりの話をする事は簡単だ。
そこをもう一歩踏み込んで楽しむ。
といいつつ、気になっていたけど
近場が故に放置していたこと…
やっと重い腰を上げて
頭ん中を纏める事ができたかな。
![](https://assets.st-note.com/img/1685628058208-YR4MMUsAtQ.jpg?width=1200)
神社は面白い。
お詣りだけじゃ気づかなかったこと
もう一度訪れる事で
まだ知らぬ地へ訪れる事で
視点を変えてお詣りする事で…
点と点を繋げていくと
氷川とは何かを知る事ができた
ルーツの違いに気付いた
氷川神社全体の
見え方が大きく変わった。
謎は必ず残るもので
この先、新たな発見があり
氷川の話に続きがあるかもしれないし
私の勝手な想像の世界であって
大きな勘違いに気付くかもしれないし
それも面白い、神社の歴史を探る旅
![](https://assets.st-note.com/img/1685752638579-snyyogJds1.jpg?width=1200)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?