つながるということ

最近ずっと考えていることがある。
それは人とのつながり方である。

私は一人で過ごすことが多い。だからこそなのか、
本当はいろんな人と話したり遊んだりして関わりを持ちたいという気持ちは
たくさん持っている。けれど人を心の底から信じることができずに苦しい。
人に話しかけたい、その好奇心だけは人一倍昔から強かった。
なのにコミュニケーションがうまくいかないことが多かった。

一人で過ごしていると、考えが頭や体を支配し、何もできなくなってしまう。
そして昨日もまたアルバイトで言われたひどい言葉が頭の中を支配し、
過去の悪い記憶がフラッシュバックしてしまう。
後何年この薄い黒い膜と闘い続けなければならないのか。
忘れられないことを思い出してしまうと本当に苦しい。

インスタグラムを見る。
どうやら私の友人はあまりストーリーを上げないようだ。
みんな就職活動やら、大学やら、アルバイトやらで忙しいのだろう。
私もみんなと同じようにできたらと思う。
当たり前に就職活動をし、大学に行き、日夜アルバイトに勤しむ。
そして友人と取り止めもないことを話す。
そうした生活が本来の学生のあるべき姿ではないかとも思う。

私は一日動くとその次の日はどうやら休まないといけないらしい。
充電が必要ならしい。
母はいつも私に向かって、「心が元気でないから動けないからだ。
やればできるんだ。」「もっと元気に振る舞った方がいい」と言う。
それは今の私には無理だ。元気になることも、楽しいことを考えることもできない。苦しい。
私にできるのは、こうしてパソコンで文字を早く打ち続けることと、歌を歌うこと、音楽を聴くこと。そして本を読むこと。それ以外何も持っていない。
みんなと同じように元気に体も足も心も元気であれば、容姿もみんなと同じぐらいに可愛ければ、私は卑屈にならずに済んだのかとも思う。
私は周りから見れば若いと言うことになるらしい。
その若いエネルギーが全て自分への関心へと向かっている。
内向きになっている。外に放出することが苦手なのだ。
こんなことを書いてる自分に腹が立ってくる。
でもこれが今の私の素直な気持ち。

自分を救いたい。そして何よりも人を信じたい。
初対面の人であっても緊張せずに話せるようになりたい。
どうしても人の輪に入ることができず引っ込み思案なところがある私を許してほしい。
時たま思考が暴走し、余計なことを言ってしまう節がある。
私はこのまま生きていたら多分何も持たない老けた人間になっていってしまう。
それが怖くてたまらないのだ。
これからの将来について考えると恐怖しかなく、明るい未来が何一つ描けない。
それはなぜか。
人と同じことができないからだ。
趣味もまるで人と違っている。

母に昨日こんなことを言われた。
海外に行くか?

正直私はあんまり海外には興味がない。
ただ昔から思っていた、日本にいると息苦しく、閉塞的だと。
近年こそ多様性が叫ばれているが、それでも生きにくさを感じる。
それは、果たして国のせいなのか。というか国のせいにしていいのだろうか。

話を戻すと、人と関わることがあまりにも少ない私にとって、つながるとはどういうことなのかというのを最近は考えているのだ。
先ほど言ったインスタグラムも一体何のためにあるのだろうと思ってしまう。
いいねの数が評価か?そんなものが私たちの価値なのか?
もっと他に良い生き方があるんじゃないか?
フォローという薄っぺらいものでつながっている感覚が私の不安をさらに増大させる。
私の思っていること、好きなことは他の人には理解されにくい、されがたいものだと思っている。
だから、インスタグラムにもあまり投稿はしないのだ。
SNSなんかでつながらないで、生きていくことを選びたい。
本当に一人で生きていけるようになった時、私は誰よりも大人になり、心も豊かになると信じているのだ。
まだ、己と向き合い続けることをやってみようと思う。
目の前のことから目を背けないで。
生きることは本当に辛いことなのだ。死にたいが、死ぬことより辛いことはない。
死ぬのも、生きるのも、同じくらい辛い。