昔から思っていたこと

今私は22歳。

生物学的な性別は女性だけれど、
他の人から、女性と見られたくないという意識があった。
これが男性であっても、女性であっても。
あとは、「男」や「女」ということばを使っている人が苦手。
(小説や歌詞ならまだOK。あくまでも話し言葉の男、女というのが苦手。)


過去の恋愛経験や見てきた男性にトラウマがあるからなのかもしれないと考えることがある。

女性に見られたくないという意識もありつつ、
男性と女性という二つの枠組みに当て嵌められたくない、(男女二元論的(最近調べて覚えたことば。人間は男女いずれかのジェンダーに属するという意味。)な考え方が苦手なのだと思う。)「私を私としてみて欲しい」というのが、本当のところなんだと思う。

この話を母にすると、「そんな、深いこと考えなくていいのよ」と言われて悲しくなる。
そして、母に、話を受けてめてもらえなかった。と落ち込むのである。

そんな言葉をかけられるたび、私と他の大多数の人の感覚は違うのだと突き付けられているようで、心がますます鋭くなり脆くなってしまう。

私は自分のことを客観視した時、繊細なところとめんどくさいところが多々あるのだと思う。
ラインのやり取りひとつとっても、書かれている言葉に敏感に反応するし、人と話すときひとつとっても、その人の仕草や声色、声の大きさが気になったりしてしまう。
自分の繊細さというのが嫌で嫌で仕方なかった。嫌だったから服とかメイクで無理に強くなろうとした。
なぜならその繊細さというのが、多くの人の共通認識では、(少なくとも私の家では)「女々しい」というものになるから。

辞書で女を引くと、
優しい、しとやか、繊細、という特質とされる意味含んで使われる場合もあると書かれているのだ。

最近友人から恋人の話を聞くことが多くなった。
その度にいつも思う。置いてきぼりにされているという感覚はありつつも、私にはまだ恋人はいいか。と。
なぜなら恋愛すると私が私らしく生きられないのではないかと思っているから。
そして私が抱いている「男女どちらにも当てはめたくない」(これをノンバイナリーというらしい)という考えを許容してくれる人でなければならないから。

恋人になるということは、相手の方が男性であるということ、そして、自分自身が女性であるということを強く認識させられるからだと思う。
それに性行為に関しても、今はしたいとは思えないのだ。穢らわしいものだ思っているからかな。
だから性的欲求がある程度あるだろう同い年くらいの男性にはとくに申し訳ないと思ってしまうし、自分には恋愛する資格がないと思ってしまう。
そして恋愛するといい意味でも悪い意味でも影響を受けるし、心がますます不安定になり揺らいでしまう。
だから私は恋愛をしない。

いつかそれでも私は幸せな恋愛を経験したいと思う。
それまで自分の好きなことに費やす時間や文字に潜る時間を増やして自分を高めていきたいな。
ゆっくりと。