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私が伊豆大島で家庭的保育所を作ろうとしたわけ②

皆様こんにちは。
東京都の伊豆大島で家庭的保育所おひさまを経営している、わこと言います。

前回の続きです。↓

私は年子(一歳三ヶ月差)で二人目を生みました。はじめのうちは二人ともかわいくて仕方なく、忙しいながらも幸せでした。

ところが、二人目が生まれて半年後くらいから、体に異変が起き始めました。
まずは原因不明の高熱です。およそ月に一回くらい、40度近い熱が出るのです。
そして、それと前後して、腰や股関節のあたりの違和感が出始めます。立ち上がったり座ったり、歩こうとすると痛みやひきつり、痺れが起きるようになりました。

私は2ヶ月続けて高熱が出た辺りから、これはおかしいと思い、病院を受診しました。島の病院では原因がよくわからず、内地の病院で色々検査をしてもらいました。
そして、体の異変が起きてから半年くらいたった後、診断がおりました。

膠原病でした。

主となる病名はシェーグレン症候群。
これがわかるまで、何回も内地に通い、血液を何本もとったり、下唇の内側を切開して細胞をとって検査したり、長い待ち時間を不安に過ごしたり…その他にも色々検査をしました。

ようやく病名がわかった頃、下の子は一歳になろうとしていました。そろそろ卒乳(断乳)かな、と考える時期でした。
私は正直、疲れ果てていました。日々の家事・育児に加え、病院通いの日々。そして上の子も一歳くらいで卒乳できたので下の子もそれくらいでできるだろうという思い。でも思い通りにいかない。

そして…

まずは涙が止まらなくなりました。全てに泣けてくる。なんで私ばっかりこんな苦しいの?なんでこんな何回も何回も内地の病院通わなきゃいけないの?なんでこんな痛い思いしなきゃいけないの?なんで病気になったの?なんで子どもたち思い通りにならないの?断乳したいけど泣かれるからかわいそうでできない、どうしたらいいの?

友達に相談しても、みんなそれぞれ大変よ、と言われ、子どもは思い通りにならないよ、と言われ。今はその言葉もわかります。でも、その時の私は、ただ共感してほしかったんだと思います。アドバイスも一般論もいらない、ただ辛さをわかってほしかった。

でも、その病気の辛さはその病気にならないと本当にはわからない。その人の辛さはその人になってみないと本当にはわからない。

そして次第に私は無気力になりました。なにもしたくない。あんなに楽しかった家事・育児が楽しくない。子どもたちといる時間もつらくなってきて。何もできない、いつも泣いている、そんな私になっていました。

そして私は膠原病を診断された総合病院の心療内科にかかり、うつ病と診断されました。

つづきます。

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