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私が伊豆大島で家庭的保育所を作ろうとしたわけ④

皆様こんにちは。
東京都の伊豆大島で家庭的保育所おひさまを経営している、わこと言います。

前回の続きです。↓
うつ病は、この一旦元気になってからまた落ちることが怖くて。その後も元気になったかな?と思ったらまた落ちる、というのを繰り返していました。
夜間につらくて子ども家庭支援センターの夜間電話に電話したこともありました。

そうしている間、だんだんつらい時期が短くなってくるような気がしました。私は少し希望を持てるようになりました。
ちょうど次女の育休が空ける時期で、復職することにしました。担任ははずしてもらって特別支援と低学年の図工をさせてもらいました。
久しぶりの現場は楽しく、心配していた子育て、家事との両立も主人の助けでなんとかうまく行っていました。
しかし、頑張りすぎたのか、またパニック発作で学校に行けなくなりました。

私はまた打ちのめされました。私は何てダメな人間だろうと苦しくて。今思うと、その時期に異動の話があって、遠い学校に配属になり、その後の通勤時間などが不安で、再燃が引き起こされたように思います。
私はまたその後一年くらい新しい学校に籍をうつしたけれど休職することになります。

一年が経ってまた休職を延長するかどうかということになり、私は考えていました。そんなとき、娘の保育園の第三者アンケートがきました。私は書きながら、要望のところに、休日や夜間に預かってもらえる場所が大島にもほしい、と書きました。
書いているうちに、あれ?これ、自分でやればいいんじゃない?私の子はもうすぐ小学生になるし、落ち着いたらできるのでは!

これを思いついたときは、もう自分が大天才のような気がして、保育園の娘の担任の先生に、思わずこんなことやりたい!っていいに行きました。その先生はすごくいい先生で、私の話をうんうん、ときいてくれてすごい!いいじゃん!と言ってくれました。

私はすぐに、大島の北部で家庭的保育をしている方に話を聞きに行きました。

つづきます。たぶん次で完結です。

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