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私が伊豆大島で家庭的保育所を作ろうとしたわけ③

皆様こんにちは。
東京都の伊豆大島で家庭的保育所おひさまを経営している、わこと言います。

かなり間が空いてしまいましたが前回の続きです。↓

うつ病と診断されたあと、大島には戻らず、2ヶ月ほど実家で療養することになりました。
一歳になったばかりの次女と二歳三ヶ月の長女を置いてひとり。娘たちは主人と保育園に任せ、休むことに。
薬を飲んで、寝ている日々。娘たちの様子が心配で、そばにいられない罪悪感でいっぱいで、もう死んでしまいたい。苦しい2ヶ月でした。

薬がききはじめて、だいぶ気持ちも楽になり、体も動くようになってきて、大島に戻ってよいということになりました。
久しぶりに会う二人はやっぱりかわいくて、涙が出ました。
ひとまず平日の日中は保育園に引き続き二人を預かってもらえることになり、私はできることをできるときにやる、ということで、主人が家事も育児もほとんど担当してくれました。

ところが、それでも「私がやらなきゃ、私が何とかしなきゃ」という気持ちが徐々に大きくなり、また苦しくなってきました。
大島に帰って二ヶ月後、また娘たちと一緒にいるのがつらくなり、離れに避難することになりました。
なにもする気にならず、死にたい、でも死にたくない。自傷行為。食事を運んでもらって、ひとまず食べて生きているだけ。なにも楽しくない。自宅から聞こえる娘たちの泣き声に追い詰められて耳を塞いで泣く日々。
せっかく元気になったと思ったのに、もう私はもとの私に戻れないんじゃないかと恐ろしくなりました。

つづきます。

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