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ジャズに明るいイメージがない人のための私の暗黒のジャズ黒歴史

ジャズに明るいイメージがない。
私が中学生の頃、吹奏楽部の顧問の影響で、吹奏楽部はジャズっぽいバンドを志向してやっていたのだが、私の同級生みんながジャズの領域で輝ける人たちばかりではなかった。はっきり言って、ジャズは私の肌に合わなかった。というか、そもそもジャズに対して明るいイメージが私は微塵もなかった。ジャズは、私にとっては争いの元であり、流派の違いが露骨に出るものだった。そういうわけで、私は所属していた吹奏楽部を1年で辞めてしまった。もちろんこれには先輩からのいじめも理由の一つに含まれていたのだが、今思い返すとあれはその先輩の彼女に比べて才能がある私に対する嫉妬の発露だったのかもしれないなどと思う。私は耳がそれなりに良い、聴力検査でそれなりの良成績を叩き出せるにもかからわらず、カクテルパーティ効果が上手く働かなかったせいか、合奏中に先輩の声が聴こえない、ということがあった。何度も検査したが異常はなかった。私は音に対して極端に敏感で、敏感であるがゆえに、人とは違う苦しみを抱えていた。例えば音に集中すると人の声が聴こえなくなるなど。どうして、そういう苦しみがあったのかは、今でもはっきりしない。今となってはある種の特殊才能だったのかもしれないが、音楽の中を生き続けている人だったのかもしれないなどと自分のことを思う。
私は実の師匠である小出義嗣先生に、個人レッスンを小学校6年生から高校1年生までだったか、実に4年近く指導してもらっていた。そこに通う契機となったのが、所属していた小学校のマーチングバンドが非常に劣悪な環境で、代表の息子が同級生を怪我させたり、また学校側にその実情を相談しても対処してもらえなかったりなどの惨憺たる事態に直面したためであった。父の話では、習う前一曲も吹けなかった私が、半年で10曲も吹けるようになって嬉しかったと言っていた。そこで小出先生に、絶対音感があると認められて、私は最初のうちその意味をわかっていなかったのだが、そもそも絶対音感があると、人生というものに対する意味合いが本質的に変わってくるのだということを考えるようになってから、より実感をもって人生を楽しいものにできるようにと心掛けられるようになった。
そんな屈折した環境下であったために、所属している吹奏楽部に明るいイメージなどあるはずもなく、吹奏楽のコンクールなどクソ喰らえだと思っていたのだが、最近になって色々と聴き返してみると、これが意外と面白い。当時の私にとって何が肌に合わなかったのかもよくわかる。

例えばこれ、私の中学校1年生のときの自由曲だった『コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディ』だが、サミー・ネスティコ作曲のアメリカ風ジャジースタイルを取り入れた狂想曲になっていて、私が好きでなかった理由が一番はっきり現れている作品だ。この曲一曲だけなら、なんでもないのだが、この曲のひとつひとつの音の打ち込みだとか、そこにトランペットの時空が歪むような反響が入り込んでいて、まるで時を渡る船のようだったと思う。当時の私はまだ現実主義的で、SFも全く読まない、読むのは東野圭吾や湊かなえのような推理小説といった類であったのだが、その現実的なところがこの作品の構想的な意匠に満ちたところにフィットしなかったのだろうと思う。私はこのタイプのジャズではなく、どちらかというとマイルス・デイヴィスのテイク・オフのようなものが好きだった。

この曲が収録されていたブルーノートのアルバムは好きだったのだが、今は以前CDを廃棄したときに捨ててしまった代わりに、iTunesのサブスクリプションでいくらでも聴ける。ところが、このマイルス・デイヴィスには色々とあって、小出先生は「下向いて吹く人」と言うふうに言っていて、実際ライブ映像もカバー写真を見ても、確かに若干下向きなのである。多分先生は、真っ直ぐ吹かないところが好きじゃなかったのだろう。そして、このマイルスという人はまあ、人間的にはかなりダメダメで、薬物中毒だったという話も聴く。

しかし先生が教えてくれたビル・チェイスのようなトランペッターがみんな幸福かというとそういうわけでもないらしい。ビル・チェイスのトランペットは芯があって、真っ直ぐ吹く生き方をしているわけだが、ビル・チェイスは飛行機事故で亡くなってしまい、生き残ったメンバーが『サバイバー』を結成するというような事態まであった。
そして、iTunesのおかげで、私は中学校の頃に聴いたアルバムに再会したのだが、これは吹奏楽部の顧問に勧められて聴いた、アレン・ヴィズッティである。

しかし、曲からいっても、なんとなく夜の街というか、サイバーパンクっぽい感じがする。そういう摩天楼みたいなところが、私がジャズを好きになれないところなのである。
一方で、好きだったのもあって、チック・コリアの『スペイン』なんかは、ノスタルジーがあって、それでいて新しい風が吹いていて、とても好きだった。しかしこの辺になると、もうジャズも時代の主流みたいな雰囲気になっていて、恰幅がいい。

あの『チュニジアの夜』みたいな、暗ーい感じもない。要するに、そういう時代じゃなかったのだ。

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