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統一運動《5/11 今日は何があった?》

1951年 真のお父様、獄中の弟子、金元徳の槐亭洞の家で『原理原本』執筆開始 👇
1955年 梨花女子大生14人退学事件 韓国、ソウル
1968年宝塚に「重生祈祷院」開設。責任者:久保木会長、(山路みち子さん、熱海房子さん、佐藤初子さんら精誠祈祷をささげる)重生祈祷院開設の際に、松本道子役事が10日間の断食
1969年 ドイツ協会長にパウル・ベナー、オーストリア協会長にピーター・コッホ任命
1970年WACL躍進国民大会(普門館)6000名参加👇
1974年真の御父様、日本統一教会幹部への御言
1975年 韓国、「希望の日」大講演会(各2日間)清州、忠北体育館
1981年「日本超教派基督教協会」設立 会長:松下正寿氏、事務局長:天野哲也氏が就任 👇
1985真のお父様、アメリカのショー神学大学から名誉神学博士号を受ける1986年真のお母様、東京教会で歓迎会 👇
1989年第9回「国際キリスト教学際学会」(韓国)
1990年 モスクワ大会勝利帰国真の父母様歓迎大会 釜山、社稷体育館
1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会 仁川、室内体育館 👇
1999年 世界真の家庭世界化前進大会 コスタリカ、サンホセ、ラディソン・ホテル
1999年鳥取教会襲撃事件(1997.6.7発生)の際に拉致された統一教会員の富澤裕子さんが、拉致監禁・脱会強要等の被害を受けたことを理由に、単立キリスト教神戸真教会の高澤守牧師を相手取り、鳥取地裁に民事裁判の訴えを起こす
1999年「旅券返還仮処分」松山地裁宇和島支部は、韓日祝福家庭の女性のパスポートを占拠した親族に対して、その返還を命じる仮処分を下す
2000年 南米・ヨーロッパ巡回講演 ウルグアイ、プンタ・デル・エステ、コンラッド・ホテル

2001年第12次「代大転換四位基台入籍統一祝福式」(韓国、天宙清平修練院)2007年 天宙平和神文明開闢宣布日本大会 札幌
2011年 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会 真のお父様、イギリス、ロンドンヒルトン・メトロポール・ホテル/真のお母様、イギリス、国会議事堂
2014年 ビジョン2020勝利のための世界連合礼拝、特命総使辞令状授与、清心平和ワールドセンター

《1951年 真のお父様、獄中の弟子、金元徳の槐亭洞の家で『原理原本』執筆開始》
真の父母経p249

2 凡一洞にいる時は、粗末な服を着て、頭はぼさぼさのまま、男性二人で土窟のような家で過ごしました。他の人からは、哀れに見えたはずです。金元弼が「お金を稼いでくる」と言うので、私は「そうしなさい」と言いました。その当時は、『原理原本』を書いていましたが、同志一人がどれほど貴く、従ってくる一人の人がどれほど貴かったか分かりません。

  皆さんも、このように、人に対する味を知らなければなりません。ですから、金元弼が会社に出掛けるときは、必ず一キロ以上付いていったものですが、そのようにして初めて気が楽になりました。また、夕方になって帰ってくる頃になると、必ず迎えに出たのですが、その会う時の気持ちは、言葉では言い表せないものでした。そのように帰ってきて夜眠るのですが、布団がなくて、おくるみ一枚だけをかぶって寝たものです。その時は、そのように暮らしました。

《1970年WACL躍進国民大会(普門館)6000名参加》
日本統一運動史(光言社)p306


 1970年5月11日に東京・ 杉並区の普門館で、 『平和を祈る音楽の祭典』WACL躍進国民大会が6000名を集めて開催されました。 冒頭、自民党副総裁川島正二郎氏が、 佐藤総裁に代わってそのメッセージを代読しました。
 「内外共に激動が予想される70年代初頭に、世界各国から代表を迎え、日本においてこの大会が開催されますことは、まことに意義深いものと考えます。 WACL日本大会が、成功を収められますよう期待いたします」。
 立正佼成会の東洋一の音楽堂と呼ばれる普門館で、かつて立正佼成会を脱会した久保木修己会長の責任でWACL躍進国民大会を開催したいという要請を受け、立正佼成会内では大騒動となりました。
 久保木修己会長の両親、 久保木仙蔵氏とヨシさんは「5000名入る会場に数百名しか集まらなかったら・・・」 と、 毎日大会の成功を祈って仏前で手を合わせたといいます。 しかし、久保木仙蔵氏は大会の5日前の5月6日に脳内出血のため他界されました。真の御父様は、 久保木仙蔵氏の死はこの大会のための供え物であると語られました。 それを裏付けるかのごとくに、亡くなる前日、真の御父母様に最初で最後の手紙を出されていました。 久保木仙蔵氏は「息子が長い間お世話になっているのに、申し訳ない」 と一筆書かれ、その後、ヨシさんに相談しながら合作で書き上げました。
 このようにして、天と真の御父母様と教会員の汗と涙、 そして陰にあっては久保木仙蔵氏の犠牲の上に6000名の人たちが集まり、また世界各国13か国の代表を迎え、 大会を成功させることができました。

《1981年「日本超教派基督教協会」設立 》
日本統一運動史(光言社)p386

 キリスト者が教派を超えて相互理解と交流を深め、 キリスト教界一致運動を展開することにより、 世界における神の御旨の実現に寄与することを目的として、 「日本超教派基督教協会」 が設立されました。会長には松下正寿氏 (元立教大学総長)、 事務局長には天野哲也氏が就任しました。 さまざまな教派の牧師、 神学者、 クリスチャン大学教授らを招いて 「定例研究会」を開催したり、 機関誌 「オイクメネ」 を定期刊行しながら、 諸教派の一致のための活動を展開していきました。また、アジアにおける諸教派の交流のために 「アジア超教派会議」を毎年1回のペースで開催したり、 「統一主義に関する米国牧師会議 (米国牧師団)」 が来日した際には日本の諸教派を渉外して、キリスト者における国際交流の場を積極的に提供していきました。

《1986年真のお母様、東京教会で歓迎会》
日本統一運動史(光言社)p415

 真の御母様が御来日された翌日の5月11日早朝、東京教会で歓迎集会が開かれました。その日は「母の日」であり、小山田秀生氏(当時、副会長)は「母の日に、お迎えすることができて本当に嬉しいです」と歓迎の辞を述べました。 真の御母様は「最近、恩進様の聖婚を前後して、 韓国・女性雑誌に私のことが載りました。 そこに 『聖女オモニ』と書かれており、母親として通じるようになった」 ことなどをお話しになりました。

《1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会》
真の父母経p1429

韓国・日本大会

「世界平和女性連合」の韓国二十一市・道大会が、一九九二年五月十一日、仁川を皮切 りに、六月二日まで、二十一ヵ都市で開かれ、続いて、全国的な基盤造成のための韓国全土の市・郡・区大会も、六月十日から三十日まで、四十ヵ地域で開催さ れた。真のお母様は、大会で「理想世界の主役となる女性」という題名の基調演説をされた。続いて、一九九二年九月二十四日から十月六日まで、日本の主要 十ヵ都市で「世界平和女性連合」の大会を開催された。

1     私は、七十年の生涯をかけて基盤を築いてきました。私が築いたそのすべてのものを、七ヵ月間でお母様に相続させてあげるのです。お父様が築いた基盤を、女 性解放とともに、お母様に伝授してあげるのです。七十年の間に築いた実績を、七ヵ月の間に伝授してあげるというのです。一九九二年四月十日から始めて、五 月、六月、七月、八月、九月、十月、十月になれば、「世界平和女性連合」の大会が終わります

 すべての女性を解放してあげようとしているのです。女性が解放されなければなりません。✍️

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