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統一運動《6/6 今日は何があった?》


1946年 真のお父様、平壌到着、景昌里集会所でみ言を伝える 👇
1993年 「真の父母と成約時代」宣布アメリカ巡回講演 メイン州、ポートランド、シェラトン・エアポート・ホテル
1999年第17回「統一慰霊祭」開催(尾瀬霊園)、主礼:大塚克己会長、全国から約1400人が参加
2006年 天一国本殿聖地霊肉統一祈願祭、天一国国民誓約式、天正宮博物館 👇

《1946年 真のお父様、平壌到着、景昌里集会所でみ言を伝える》
真の父母経p218

み言の伝播と押し寄せる信徒

 一九四六年六月六日、平壌に到着された真のお父様は、景昌里(キョンチャンニ)に一間の部屋を借り、そこで祈りの精誠を捧げながら教会活動を再び開始された。その時まで平壌には多くのキリスト教会があり、篤実なクリスチャンが大勢いた。真のお父様は、周囲から刺すような目で見られていたが、早く、多くの生命を救うためにみ言を伝えなければならないという一念で、新しい食口を探し求められた。終日、門の外を見つめながら、食口たちが来るのを待たれたことも多かった。自分の足で真のお父様がいらっしゃる所に訪ねてきた人々がおり、また、彼らを通して他のクリスチャンたちが集まってきた。特に、真のお父様が到着されたのちに、真のお父様に関する啓示を受ける人たちが現れた。霊界の導きによって、篤実な信徒たちが訪ねてきたのである。それで、真のお父様は、彼らを中心に礼拝を導かれた。真のお父様のために、以前から準備された人々が大勢おり、その中には、真のお父様の聖誕前から、真のお父様に出会うために準備されていた人もいた。霊界は時空を超越するため、心情世界の絆がそのように奥妙に結ばれていたのである。そのようにして縁をもった人々は、真のお父様の裾に触れさえすれば、飛び上がるほど感激し、踊りを踊るほど真の愛に感化された。真のお父様は、老人はもちろん、誰が訪ねてきても、夜を徹してみ言を語ってくださった。

6 解放後、三年間、混乱時代が訪れました。キリスト教の混乱、政治界の混乱など、混乱時代が訪れて、すべてのものが定着できませんでした。キリスト教自体も、主が来るのか、み旨がどのようになっているのか、分かりませんでした。その時、再建教会や高麗(コリョ)派などと称して、様々な教派が現れました。互いに自分たちが正しいと主張しながら、競争した時期でした。お父様が、地下から出てきてキリスト教徒たちを収拾しなければならなかったのですが、彼らは「主は雲に乗って来る」と信じていました。「人として来る」と信じている人は一人もいませんでした。ところが、許浩彬派と金聖道派と白南柱派は、既にそのことを知っていました。彼らは成約的準備派です。その人たちは、主が人として来ることは知っていますが、会うことはできません。いくら主に会ったとしても、その人が主のようには思えないのです。それが難しいのです。直接教えてあげることはできません。

 必ず、このような窮地に入っていって自分で探し求めなければなりません。神霊的な人も神霊的でない人も同じなのです。神霊的な人は、霊界から教えられて初めて動くのであって、教えてくれなければ微動だにしません。また、通じることができない人は、み言を聞いて歩まなければなりませんが、み言といっても、キリスト教ではすべて「雲に乗って来る」と言うのに、一方では「人として来る」と言うのです。ですから、その言葉もまた信じられません。このような渦中で問題が起きたのです。お父様は、平壌に行って、キリスト教の四十以上の教会から最も賢い人たちを引き抜きました。当時は、聖書のみ言で教えてあげなければなりませんでした。別な話ではいけません。その時は霊界が役事してくれました。 霊界が連結してくれるのです。天があらかじめ準備して、神霊的な人たちを送ったのです。

7 平壌にいる時、サタンの役事がどれほど多かったか分かりません。そのような中でも、お父様は食口のために精誠を尽くしました。朝、ある食口のために祈ってから、その食口が来るか来ないか待ってみると、間違いなく来るようになっています。このように神霊的な雰囲気の中で祈ってみると、祈りには、どれほど価値があり、どれほど効果が現れるのかが分かります。それでこそ、仕事をしてもおもしろく、神様が共にあるという信念をもつようになるのです。

真の御父母様の生涯路程2(光言社)
「三十八度線を越えろ」(一九四六・五・二七)

 先生は今や、自分は自分としての行くべき道を決めたので、最後のあいさつを兼ねて、当時金百文氏が修道院を造って、特別集会を開いていた沈山へ出発しようと考えました。それでも人間の道理があるのです。人が会ったのち、別れる時は、「行きます」というあいさつでもして行かなければならないのです。
 その時、私はソウルにいました。ソウルの上道洞に家が今もあるでしょう。その時、鹿島組というのがあったのです。日本では大きな電気会社でした。当時、会社にも通い、教会も預かっていましたが、解放直後だから米がないのです。
 先生はその時、黄海道の白川に米を買っておきました。それで、その米をトラックに積んでこようとして、行く途中、車の中で「三十八度線を越えろ!」という天の命令を受けたのです。五月二十七日に命令を受けて出発して、六月六日に平壌に到着しました。
 ある朝突然、行くべき道に出発したのです。その時、聖進が四月二日に生まれて、私が五月二十七日に出発したので、一ヵ月と少しになるでしょう。
 出発する時、三十八度線を越えるのが難しいので、全部天が教えてくれるのです。このような話をすれば信じないでしょうから、すべては話さないのです。三十八度線をどこから越えるか、直接案内を受けて北側に入ったのです。
 三十八度線を越える時、虹が前を導いてくれました。十二里の道を、直接導いてくれたのです。

天の命令とみ旨だけに従い

 神様のみ旨、命令に従って、先生はすべてのものを捨てました。
「このようなところに、神様の命令が必ずあるはずだ」ということを、私は知っていたのです。
 家庭のための道を行くのか、公的な神様のための道を行くのか。そこで、すぱっと切って「天のための道を行くのだ」と言って、神様の命令に従って北側に行ったのです。そのような峠があるのです。
 二つをすべてもつことはできないのです。二者択一です。安楽な家を捨てて、死の道を求めていったのです。
 そこには、援助があり得ません。神様のために、世界のために、家庭を犠牲にすることは問題になりません。「ああ、うちの息子、娘のために行けません」、このようなことは通じないのです。先生は何のためにそのようなことをしたのでしょう。可能ならば、先生は子女を捨てて北側に入っていかないのです。
 先生は、ただカナンを復帰しようという神様の理念にだけ徹していたのです。祝福が受けられる民族、祝福が受けられる地がどこか、それを探し迷ってきたのが、今までの先生の立場でした。

最低の立場、サタンの本拠地に

 下がっていく時は、必ず最低の立場まで下がっていかなければなりません。そのため、北側に行って、再び上がっていかなければならなかったのです。イエス様がヘロデ王に追われる時、イスラエル民族とユダヤ教が一つになってイエス様に侍り、ヘロデ王の意志に反対しなければなりませんでした。しかし、彼らが神様の前に果たすべき天的な使命を果たすことができなかったので、イエス様がエジプトに行ったのと同じように、先生もやはりそうした路程を歩まざるを得なかったのです。
 北側に行った時も、相対がいませんでした。いつも一人でした。
 リュックサックを担いで、「愛する妻子を残しておいて、私は行かなければなりません。行かざるを得ません」と祈祷した時を、先生は今も忘れることができずにいます。旅人の行路を歩む、天の道を探していく青年の姿は、追われ追われる一匹の羊と同じです。
 先生が北側に行ったことは、サタンの本拠地に行ったということです。それは、世界的なサタンです。共産圏に、死を覚悟して入っていったのです。
 怨讐の本拠地を訪ねていったのです。韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために、サタンの巣窟である北側に行ったのです。
 神様は、カインに対せなかったことが恨であり、カインを愛せなかったことが恨であり、カインの祭物を受け取れなかったことが恨でした。それゆえに、先生が聖進を捨てて、三十八度線を越えて北側に行ったのです。それは内的に子供を捨てて、三十八度線の北側にいる人々を愛したことになるです。

七年間の家庭的犠牲

 先生が家庭をもつようになったのは、教会を連結させ、国を連結させるべき神様のみ旨があったためです。ところが、国と連結されず、教会とも連結されませんでした。それゆえ、再び初めに戻らなければなりませんでした。
 分立する業をしたのです。そしてこの分立した基準を中心として再び取り戻す時まで、蕩減条件を立ててきたのです。
 手紙が来れば門前で、全部送り返したり、破いてしまいました。私に便りが来ることを怨讐のように思ったのです。
 聖進のお母さんも、聖進をおぶって歩きながら、りんご売りもしたのです。警察に追い回されながら、いろいろなことをしました。そのような話を聞きながらも、私は心が動きませんでした。
 これを知ってみると、聖進のお母さんも、すべて、一つの峠を越えながら再び取り戻してこなければなりませんでした。七年路程を歩まなければならないのです。赤ん坊と共に母子協助しながら、この地上において、エバの運命は、縦的基準を立てられなかった夫を探していくのです。この地球上において、七年間、赤ん坊を抱いて、その赤ちゃんを、この地上のどんな王子よりも大切に育てなければならないのです。国家を代表して世界を代表して越えるべき七年路程が残っているということを、私は婚約段階でみな話したのです。「このような私であるが、このような公的な道を行く人であるが、この道を行くことができるか」と、その時すべて話しました。それが実際そうなるだろうとは思わなかったでしょう。しっかりそのとおりになったのです。

四 「東洋のエルサレム」平壌開拓伝道(一九四六・六・六~一九四八・二・二二)

キリスト教信仰の中心地 平壌

 平壌は、「東洋のエルサレム」と言われるほどキリスト教徒が集中した所です。それゆえに、平壌に行って、この道を出発したのです。
 当時、平壌では解放を迎えて、新しく教会を再建しながら、歴史的な使命を果たすために新たに出発した時でした。このような環境にある時、先生が平壌に行って新しい原理運動を展開したのです。当時、キリスト教界では、この民族の前に訪れた解放の喜びとともに、日帝時代に圧政を受けながら悲しい信仰生活をしてきたすべての恨を取り除いて、新しい望みと希望に満ちあふれ、教会の再建と信仰の新しい革新運動が起こっていました。
 そのような環境の中で先生が伝道をしていると、既成教会の中心になる信徒、あるいは特別な恩恵を受けた人たちが、所属していた教会に行かずに先生の前に集まり出しました。そのため、当時平壌で問題視され始めました。その時は、先生は西門に近い景昌里で伝道をしながら、統一教会の出発の基盤を立てていた時でした。

景昌里集会所

 私が平壌に行ったのが、二十六歳の時でした。とても若い青年でした。聖書を教えるのですが、ローマ書だとか黙示録を解釈するので、みな目がひっくり返ります。世上万事(世の中で起こるすべてのこと)に関して現在までその人々が生きていたならば、「いやー、文総裁! 千年史をみな知っていたんですね。どのように知ったので、みな当たったのだろうか」と、そう言うことでしょう。
 賢い人を引き抜くのです。引き抜けというのです。うまくいかなければ、直接会って説得するのです。このようにして青年会長たち、言葉の巧みな人々、熱心な執事たち、賢い人々、全部選び抜くのです。一つの教会から四、五人だけ引き抜けば、その教会が崩壊するのです。
 平壌で章臺?(山偏+見)教会という大きい教会がありました。昔、吉善宙牧師がそこで復興会をしたり、祈祷をして恩恵を受けた所です。その教会には千から千五百名近く集まるのですが、そこから賢い人を十五名引き抜くと、崩壊したのです。ですから、長老たちが「大変なことになった」と大騒ぎしたのです。そのようなことをして、平壌で私は悪口を言われたのです。
 「ここに天が引き抜くほどの人がどれくらいいますか。義人が五名だけいてもソドムとゴモラを滅ぼさないと言われましたが、その義人になれる人がどれくらいいますか。いなければ、何ヵ月か待ってください、私がつくり出します」。ですから、どんなに忙しいでしょうか。

子供を愛する

 先生は、二十六歳の時から論難の対象になりました。平壌に行けば平壌が大騒ぎになり、ソウルに行けばソウルが大騒ぎになるのです。その時、私が行く所すべて、問題になったのです。
 それは、なぜ論難の対象になったのでしょうか。町に行けば町の人たちが寝ないで、私がいる部屋にだけひっきりなしに来ようとするので、論難の対象になったのです。
 なぜ、そうであったのかというのです。子供たちに会えば、本当におもしろい童話を聞かせてあげるのです。ひたすら、御飯を食べることも忘れさせてしまうのです。御飯を食べることを忘れて楽しく遊んだのです。一日で何十種類、何百種類のことを考案して、子供たちを連れて、楽しく遊んだのです。
 平壌で、下宿した家に行って、そのようなことをみなしたのです。三歳になる子供と出会えば、敬礼したのです。幼子に対して、天のように侍ったのです。幼子のようでなければ天国に行くことができないために、子供たちからしたのです。彼らが涙を流して「そのようにしないでください」と言うことができる立場まで高めてあげながら……。
 幼子を愛しなさい。天のようにあがめながら愛せというのです。それゆえに、幼子に対して詩を詠んで、歌を歌って、神様の息子であると称賛できるためには、尊敬語をもってほめたたえることができなければなりません。そのようにすると神様の公認を受けてその子がほめたたえることができるのです。それで相対的圏をつくっておいて、彼らが喜んでそのようなことを相続して、行うことができる基盤になったために、初めて私は先生の位置に立ったのです。

食口たちのための精誠と恋しさ

 先生が平壌にいる時、サタンの役事がどんなに多かったか分かりません。そうした中でも先生は、食□のために精誠を込めました。朝、ある食口のために祈祷をして、その食口が来るか来ないか待ってみれば、間違いなく来るようになっています。
 先生が平壌にいる時、食口が恋しくて、一日中、門の外を眺めながら待ったことがありました。
 先生は、年を取ったおじいさん、おばあさんを連れて、夜を徹して話してあげられるのです。我々統一教会の若い指導者たちは、「ああ、年を取った者は嫌だ」と言いますが、人間の待遇をそのようにできなくては駄目なのです。人が精誠を尽くすために来た時、私が精誠で対してあげられなければ、私が負債を負う者になるのです。
 先生は、ある特定の摂理的なおばさんを引き抜くために、一年半の間、その家に訪ねていって、その夫とその家の家族全員を伝道したこともあります。夫が、「殺してやる」と、とても憎んでも、反対できませんでした。間違ったことがあればこそ反対するのです。腹の中ではうんうんうなっているのですが、息子や娘がみな、先生を好きになるようにしておいたので、反対すれば、結局お父さんが悪いという結論が、ぱっと下されるのです。それで一年半の間、その家の御飯を、さじでぎゅうぎゅう詰めて、ぱくぱく食べながら伝道しました。

霊界の導きで訪ねてきた人々

 先生がこのようなことをしながらも、本当に有り難いのは、神様が、既に先生のために一生を懸ける人々をたくさん準備していたということです。先生が生まれる前に先生を見て、生まれる前から先生に侍って、この道に準備した人々がたくさんいるのです。
 私が北側の平壌に行っている時のことです。私より年齢が高い一人のおばさんに会いました。私よりも約二、三十歳年上です。
 そのおばさんが堂、と、「私が先生に会ったのは、霊界で教えてくれたからです」と話すのです。そして、「自分にはそれが謎だ」と言うのです。「自分が二十四歳の時、先生の指導を受けた」と言うのです。先生が、まだ生まれもしなかった時なのにです。それは平面的には、理解できない話です。
 心情を主管する神様は、未来でも会うことができる因縁を常にもっているために、霊界は時間を超越しているのです。未来が今であり、今が永遠なのです。そのような心情の世界観があるために可能なのです。
 私が平壌にいる時、おぱあさんたちが霊界から全部教えられて、統一教会に入ったのです。霊界で教えてくれて集まったおばあさんたちは、先生の服のすそを、ほんの一度触って行くようになれば、その日は帰って踊りを踊ったりしたそうです。服のすそでも一度触って行くようになれば帰る時、ひらひら飛んでいくようだと言うのです。なぜそうなのでしょうか。それは、何かの妖術を使うからではありません。真なる愛の雰囲気に浸って、そうなるのです。

平壌時代に因縁を結んだ食口たち

 玉世賢ハルモニにしてもそうです。誰かが伝道したのではありません。主が来ると祈祷して、大騒ぎして、霊界を通してみると、「主は雲に乗って来るのでなく、人として来る」と神様が教えてくれるのです。ですから誰かが信じるなと言っても、絶対信じるようになっているのです。
 その時、景昌里で由緒ある金持ちの家の長老の奥様として、十人の息子、娘たち抱えて、羽振りよく暮らしていた身分の高い人でした。ところで先生に会ってからは、その夫をけって、自分の息子、娘をけって、従ってきたのです。
 章臺?(山偏+見)教会といえば平壌で有名な教会ですが、その教会の長老夫人がこのようになるので、その家門は滅びたと、平壌が突然ひっくり返ったのです。
 この池承道ハルモニも無学なおぱあさんです。先生が彼らを連れて今まで何十年、共に来ましたが、今も証してくれるのです。私が誇らなくても、そのような人々が誇ってくれます。それを見ればおもしろいでしょう。けれども、そこから新しい創造が起きるのです。
 そのような人が先生のところに来て、先生の手をつかんで「ああ! 恋しい!」とキスをするのです。この世的に考えれば、それはどんなに気持ちが悪いことでしょうか。
 「私が若い時には、一日に三度、先生に会わなければ狂うほどで、御飯も食べられなかったのですが、今もそうなのです。なぜそうなるのですか。今も私は一人で生きられません。先生に会わなければならない」と、そのようにしているのです。
 また金仁珠もそうです。先生が平壌に行っている時、このおばさんの舅はキリスト教の長老ですが、頑固な長老でした。「長男の嫁が出ていって、統一教会の文総裁に狂って、自分の家門を滅ぼす」と言って、手錠をかけて、むちで打つのです。
 そのような中でも、統一教会に行き、先生の服のすそでも見ようと、泣いて夜を明かすのです。そのようなことを、皆さんは知りません。それをどうしてさえぎることができますか。愛の道は遮ることができないのです。
 そして、皆さんは知らないですが、歴史的背後において摂理の内容と一致した点があるために、金元弼を私が今まで伴っているのです。それは霊界だけ知っているのです。そうして鄭達玉、その父親も牧師で、お兄さんも牧師だったのです。そのような家柄です。父親であるおじいさんの牧師が来て、どれほど達玉を迫害したか知れません。
 逸話が本当にたくさんあるのです。そのように過激に反対した怨讐の娘を、私が一番愛する人と祝福をしてあげたのです。それが、怨讐世界を一つにするための一つの始まりだったと、このように見るのです。金元弼より八歳も年上です。そのように歴史的路程を経てきながら、先生のみ旨にたくさん協助して、苦さ、甘さ、すべて味わったのです。ひたすらに忠実な人です。

懐かしき過去の因縁

 ここにおいて、この人たちは自分の子供よりも何よりも、国のために、そして公的な面のために尽くすことにおいて、「私たちは死んでも行かなければならない」という心情が芽生えるようになったのです。むちで打たれて、足が折れて、頭が割れて、見るも哀れなそのような立場でも、「私は死んでも、私たちは滅びても、先生が願うみ旨を、神様が願うみ旨を成すべきではありませんか」と言ったのです。復帰は、ここから出発します。
 今は、昔、過ぎし日に因縁をもった人が懐かしいのです。数日前、私は、誕生日の膳を前にして、「そのおぱあさんたちが生きていたら、私が牛を何十頭つぶして、全国の山河に膳を整えて、そのおぱあさんたちに、一度、よくもてなしをすればどんなにいいだろうか」と、そのような思いをもったのです。
 統一教会の昔を思えば、そのような人がたくさんいます。先生が監獄で苦労している時には、監獄に訪ねてきたりしました。そのような歴史的事実が、走馬灯のようにすーっと過ぎていくのを思う時、私は多くの人の前に負債を負った人であると思うのです。
 先生が今までこの道を来るのにおいては本当に孤独でした。孤独だったのです。この世に友達が一人もいませんでした。その時の食口たちは、本当に悲惨で、あまりにひどい時に出会ったので、私はその因縁を残してあげようと思っています。

《2006年 天一国本殿聖地霊肉統一祈願祭、天一国国民誓約式、天正宮博物館》
日本統一運動史2(光言社)p403



1.開会式
 2006年6月6日、 「天正宮博物館奉献式および天宙平和の王真の父母様戴冠式」 の開会式である 「天一国太平聖代祈願祭および天一国の民誓約式」 が、 韓国の天正宮博物館前広場で開催されました。 広場には約1500人の代表者が集い、 それ以外の約2万人は天宙清平修錬苑などに準備された特設会場でスクリーンを通して参加しました。

 式典では、 天地を再創造する象徴的な儀式が行われ、 後天開闢時代の幕開けを告げました。 午後7時、 天地人真の父母様と、 孝進様、顯進様、 國進様、 善進様ら真の御家庭が御入場。 黄善祚会長の司会で始まり、真の父母様への花束贈呈、 敬拝、 劉正玉総会長による代表報告祈祷、 郭錠煥会長の開会の辞と続きました。
 郭会長は、真の父母様が人類を復帰するために、 苦難と迫害の歴史をたどられた過程を一つ一つ証ししながら、 「天一国創建のために、祝福活動、訓読会を通して氏族的メシヤ、 国家的メシヤの責任を果たし、全世界に神様と真の父母様、 真の御家庭を証ししましょう」と訴えました。
 続いて、真の父母様によって天地が再創造される象徴的な儀式が行われました。 初めに、 神様が光を創造されたように、 後天時代の光を意味する聖火の点火が行われました。 聖火は江華島 摩尼山 (6月1日)、 ソウル前本部教会 (2日)、 釜山・ポムネッコルの涙岩 (3日)、麗水・烽火山 (4日) の4か所で採火 (太陽光で点火) されました。
 聖火は韓国、日本、米国、 ヨーロッパを代表するランナーから孝進様、顯進様、國進様、 善進様に捧げられ、 最後に、 真の御父様と真の御母様が持たれる聖火棒に点火されました。 真の父母様が聖火台に火を入れられると、 一つになった聖火は力強く燃え上がりました。 この聖火は式典が行われた8日間、 燃え続けました。
 続いて、 陸地と海を再創造する儀式として、 韓国、 日本、 北米、 南米、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカ、中東、 東北大陸から集められた土と水が、 それぞれの代表によって真の父母様に捧げられ、父母様がそれを復帰されたエデンの園である清平の土と水と混ぜ合わせた後、再び各大陸の代表に分配されました。この土は各大陸の聖地にまかれることになっています。 また、 残った土は天正宮博物館に保存され、真の父母様が記念樹を植える土として使われます。
 さらに、天一国の花が、 全世界に授与される儀式が行われました。男性を象徴するバラは真の御父様が、 女性を象徴するユリは真の御母様が、 各大陸の代表者に手渡されました。
 天地の再創造を象徴する儀式の最後に、 天一国の民誓約式が行われました。 二世公職者の夫婦が祝福家庭の代表として立ち、六つの宣誓
文を力強く読み上げ、 全体で宣誓しました。


 ① 天一国の民 誓約文
「天一国の民として召命された私たちは、神様と勝利された平和の王天地人真の父母様の戴冠式を迎え、 実体的平和理想世界王国時代の出帆を慶祝申し上げ、 天命に従い、 神様の創造理想世界を天上天下に完成することを誓い、次のとおり宣誓します。
 一、 私たちは、 心と体の一体化を通して正午定着の人生を実践し、 永遠なる天一国の民の資格を確立していくことを誓い、宣誓します!
 一、 私たちは、 純潔の愛の実践によって真の愛の伝統を相続し、 天の祝福結婚を周辺に連結する家庭理想を完成することを誓い、 宣誓します!
 一、 私たちは、 真の心情文化実践と定着を通して、 天の伝統を相続した共同体を形成し、 すべての血族と民族を指導できる天一国民族のアイデンティティーを確立することを誓い、宣誓します!
 一、私たちは、 勝利された平和の王天地人真の父母様を中心とする一つの主権、一つの民、一つの国土、一つの文化を形成し、 永遠なる太平聖代の平和王国を創建することを誓い、 宣誓します!
 一、 私たちは、分裂と対立でつづられた先天時代を終え、 天が開いてくださった後天時代の新しい秩序と平和を守護する先鋒部隊となり、世界一家族時代を開いていくことを誓い、宣誓します!
 一、私たちは、霊肉一体化を完成することにより、 神様の創造理想である天宙大家族を形成し、 永遠の天宙平和理想世界を完成することを誓い、宣誓します!2006年6月6日 」
②御言
「感謝、感謝、感謝します。 今日まで食口たちが一心同体となり、その上に天が共に一体となられて、 摂理の解怨の一日を願って苦労したすべての情緒の実が今日のこの奉献式および戴冠式を中心としたこの環境のためだったと考えます。
 それらの精誠とすべてに天が感動して、一つになって動くそのすべての実績は、もはや永遠に天の国と地上の私たち万民が、天の国の相対的な位置で一体化できるように努力することにあっては、霊界が中心ではなく、 地上が中心なので、 霊界の霊人たちよりも皆さんが先祖です。祝福行事は、真の父母から始まり、 地上で成して天上まで拡大したので、 霊界と地上界が一つになるにおいては先頭に立たねばならず、侍奉(父母に仕えること) の基準を立てなければならないのは、天上ではなく、今から地上になるということを皆さんは知らねばなりません」 (2006.6.6) ✍️

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