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統一運動《4/7 今日は何があった?》

1948年 真のお父様、社会秩序紊乱罪で5年刑の判決後、平壌刑務所に移監👇
1972年 ヨーロッパ巡回 イタリア、ローマ
1974年 アメリカ32か都市巡回講演 ファーゴ、ホリデイ・イン
1995年 祝福家庭に関する宣言、ジャルジン、新しい希望農場👇
1998年 真の家庭運動アメリカみ言訓読大会 ダラス、ハービー・ホテル
1999年 アメリカ、真の家庭世界化前進大会 ブリッジポート
2001年 真の父母様アメリカ50州巡回訓読大会 ナシュア、マリオット・ホテル
2007年 天宙平和神文明開闢宣布韓国大会 仁川、桃源室内体育館
2010年金元弼氏が日本で昇華(4/7 日本・教会本部で帰歓式、4/10 韓国・ソウルの前世界本部教会で世界昇華式)

《1948年 真のお父様、社会秩序紊乱罪で5年刑の判決後、平壌刑務所に移監》
真の父母経p231
イエス様の使命を全うするための蕩減路程

 興南監獄の試練は、再臨のメシヤとして、イエス様の使命を全うしていかれるための蕩減摂理路程である。再臨のメシヤは、クリスチャンたちが反対する中で、イエス様の使命を全うしていくために、十字架によって亡くなられずに、生きて監獄から出てこなければならないだけでなく、イエス様が失ってしまった十二人以上の弟子を、十字架上(監獄)で探して立てなければならない。北朝鮮の興南監獄は、人間を徐々に殺す十字架と同じであったが、真のお父様は、イエス様の使命を全うしていくための蕩減路程を勝利的に締めくくられたのである。特に、周辺の人に対して伝道することはできなかったが、霊界にいる囚人の先祖たちが子孫に夢で現れ、真のお父様に特別に良く接し、侍るようにと教え、真のお父様が監獄から出てこられるときには、十二人以上の弟子をもつようになられたのである。そして、興南監獄に収監されたのち、最初の二、三週間は、食事の半分を他の囚人たちに分けてあげ、定州にいらっしゃる忠母様(実母)が、定州から興南まで来て差し入れしたはったい粉と服も、すべて彼らに分け与えられるなど、人のために自らを犠牲にしながら、収容期間に三度も模範労働者賞を受けられた。毎日配給される飲料水の一部を残しておき、体を清められるなど、神様の息子であるという自覚をもって模範的な生活をされたため、天も感動せざるを得なかったのである。

1 イエス様は、霊界の地獄のどん底に行って、三日間の受難の道を克服しなければなりませんでした。イエス様が霊肉を中心とした勝利の基点をもたなければならなかったのです。ですから、道を切り開いておかなければ讒訴される立場になってしまうので、道を築かなければなりません。それゆえ、イエス様が霊界の地獄に行って開拓し、道を切り開いたのです。

 お父様はそのような原則を知っていたので、以北(現在の北朝鮮)に行って監獄に入ったのです。私が平壌刑務所で手錠をかけられて刑罰を受けている中でも、「誰々に会うだろう」ということを、すべて約束されていました。「そこに行けば、イエス様の三弟子のような人に会うだろう」ということを約束されたのです。復帰の運勢圏の中では、そうでなければ天道と合いません。ですから、手錠をかけられて監獄に行く道も、最高の希望の道でした。

 「これこれこのような人に会うだろう」という、その希望をもって監獄に入っていったのです。絶望の中で訪ねていったのではありません。私が監獄に入ったので、そこで道を築き、その苦労の功績を通して、その門が自動的に開くようにしなければならないのです。そのようにするには、完全に蕩減しなければなりません。監獄暮らしをして、獄中で祭物にならなければならないのです。それで、監獄に入っても、最も難しいことを私が引き受けて行いました。

真の父母経p733
平壌刑務所収監と公判

 共産治下の宗教抹殺政策は極限に達した。真のお父様は、キリスト教団の嫉みと誣告(故意に事実と異なる内容で人を訴えること)により、一九四八年二月二十二日、平壌内務署に拘束され、四月七日の公判では社会秩序紊乱などの罪で、五年の刑を言いされた。しかし、判決文の中に出てくる「虚構」という表現については異議を提起し、修正するようにされた。真のお父様が伝えた真理は、決して虚構ではないからである。真のお父様は、法廷を出られる際、悲しむ食口たちに手を振って、彼らを慰められた。

1 お父様が教会運動をすると、すぐに食口たちが増えました。当時、北朝鮮当局の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。また、キリスト教の牧師たちは、自分の教会の信徒たちがたくさんお父様のところに来たので、私を告発しました。その結果、三回目の投獄に遭うことになりました。平壌の内務署に拘束された日が一九四八年二月二十二日です。

2 一九四八年四月七日は、お父様にとって忘れられない公判の日です。キリスト教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策によって、二月二十二日に平壌内務署に拘禁され、二月二十五日には髪を刈られました。共産治下で宗教公判が行われるというのは、あり得ないことです。公判は、四月三日から四月七日に延期されました。四月三日は、拘禁されて満四十日になる日でした。

3 私が平壌の内務署で公判廷に立つことになった時、北朝鮮にいるキリスト教の牧師たちが来て、ありとあらゆる罵声を浴びせました。それで、「あなたたちの子供と私の子供のうち、どちらが立派になるか見てみよう。あなたたちの教える教会員と私が教える教会員と、どちらが優れているかを見てみよう。死んでも私のほうが優れているだろう」と考えたのです。

 そのような、人が知ることができず、人が感じられない衝撃を、いまだに忘れていません。寝ながらも、そのようなことを考えるのです。その場で、天のみ前に私が孝の道理、忠の道理を尽くそうと誓ったその誓いを、どのように実践するのかというのです。疲れようにも疲れていられません。くたびれようにも、くたびれている暇がありません。忙しいというのです。ですから、彼らが考えもつかないことをするのです。話もせず、じっとしているからといって、意気地がないのではありません。私の行く道が忙しいので話さないのです。正しくないことを見たら我慢ができない人です。

4 お父様が平壌の刑務所に入っていくとき、食口たちは自分の夫が死ぬよりももっと切実に心配しながら、「先生、今行ってしまったら、いつまた来られるのでしょうか」と言いました。しかし、お父様は、「私が行って会わなければならない人がいる」と答えました。その時、そこに行けばある人と出会うだろうと約束されていたのです。足が震え、嘆息し、痛哭する怨恨の道であるにもかかわらず、その道を行きました。それは、希望する天国に行く道だからです。このように喜びの心で行けば、地獄も天国に変わるのです。神様もそのような心をもっているでしょう。それで、そこで出会わなければならない人たちとすべて会い、新しく決意しながら第二次の出発をしたのです。

《1995年 祝福家庭に関する宣言》
「祝福家庭に関する宣言」
奇知外記サイトより
 真のご父母様は一九九五年四月七日(陰三月八日)、世界の指導者たちが集まったブラジルのニューホープファーム(ジャルジン)の早朝集会で、「サンパウロ宣言」と「ニューホープファーム宣言」に次いで、第三の宣言となる「祝福家庭に関する宣言」をなされた。
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202208020001/
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