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統一運動《6/17 今日は何があった?》

1967年日本統一教会本部三役事の決定 👇
1967年原理大修練会(~6/30 教会本部)👇
1971年 清平修練所着工 👇

1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会全国40カ市郡区大会 慶州
1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会全国40カ市郡区大会 永川
1993年日韓トンネル研究会創立10周年記念「第2回日韓中・国際シンポジウム」 (日本)
1996年 「世界平和島嶼国家連合」創設大会、東京 👇
2000年 海洋還元宣布、ノース・ガーデン
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《日本統一教会本部三役事の決定》
日本統一運動史(光言社)p245

 1967年6月17日、 日本統一教会本部の三役事として松本道子さん、
金成治子さん、 林信子さんが決定されました。
 「3人の役事は一つの心となって日本の中心である久保木会長を助け、そのために天に祈り、何事においても四位基台を造成して相談しながら御旨に従事しなければならない」 (松本道子役事の手記より)

《1967年原理大修練会》
日本統一運動史(光言社)p245

 1957年8月15日に出版された『原理解説』 の土台の上に、 1966年5月1日、韓国で、より本格的経典である「原理講論』 が出版されました。その「原理講論」に基づく修練会が、 全国から105名の責任者クラスの参加のもとに、 6月17日から30日までの2週間にわたって、 本部教会で開催されました。
えたいと思います。」(抜粋)

 開講式における御言 (6.17)
「今、日本の現状から見れば、 一番、 国家的重大な問題とされているのは、 共産主義である。 その次は・・・日本精神を汚すような宗教的観念・・・。 それから、第三の問題は青少年問題。 ... 日本の将来の運命を決定する立場に立つ者は、何と言っても若者たちである。 この青年たちが、これが腐敗の立場に立っている。こういう人たちをいかにして復帰するかということは、 これは、日本の将来のすべてのことを解決しえるか否か、という重大な問題に引っかかっております。 こういう点を考えてみると、これらすべての解決をするのは、何と言っても我々の統一原理でなくてはならない・・・。
 アジアにおきましては、何と言っても日本と韓国と中国が一つになれば・・・ある基盤が造れるんじゃないかと思いまして、 今度、韓国と日本の皆さんがいかにして心情的に一体になるかということは、 天的から見ても重大な要求である。
 それから、この原理講義をする劉協会長さんですね、 この人に関して一言いいたいことは、 先生に対しては・・・なくてはならない重大な関係を持っておる。・・・今までの歴史のすべてを蕩減し得る堕落界のアダムの身代わりとなって、 そうして復帰し得る再臨主の前に、復帰されたアダムの基準を自分一人で完遂するような基準を立てさせなければ、新しい復帰のいわゆる完成基準が出発されないという、その重大な基準があるから、そういう使命を天から負わされて今まで闘ってきたのであります。...
 それで、そういう基準を天の方から立たさせんがために、 神の方では、 ある期間においては、 試練の家庭を通過させた。 ああいう不具なその身ぶりをもって毎日10時間以上の講義を続けて、 3年8か月・・・、長い間を忍耐深くこれを突破しました。 その間においては、いろいろな涙ぐましい場面があったわけなんです。 ある時には疲れ、 ある時には風邪をひいたり、 そういう時でも、 自分ながら辛いのを知っておる先生としても、それをそのまま同情したり、 講義の時間をのがしたりしてはいけない。 これをある目的まで行くには、 続け続け通して、 ある基準を越えなければならないというのが、天の願いであり、 人間の蕩減条件として立たさなければならないという責任であるから、 ・・・・・・死にもの狂いになってその期間を突破しなければならないという気持ちでもって、先生もそうだし、 劉協会長もそういう心もちでこの期間を突破していったんであります。 ・・・人より以上の不具の体でもって、よ
り以上の疲れる立場に立ってもそれを屈伏させていったという、 その強靭なるその忍耐力をもってこれを成し遂げたということは、天と共に、先生自身も心から感謝するんであります。
 もう一言は、この原理を研究するにおきまして重大なことは、これがただ勉強するという観念でここに参席してはいけない。それは講義する人の講義ではない。 講義されている君たちの講義である。 また、先生から賜わったその言葉じゃなくて、 君たちが直接解決すべき言葉である。 だから、 その原理を探すための立場を君たちが先に立っておるという観念ですね。 この人間の重大な問題を解決せんがために非常に悩み悩んで、どうにもこうにもできない、その泣くような立場に立って、こういう重大な問題を天から、あるいは君たちの祈りから、その解決されるその瞬間に臨席するというような気持ちが何よりも必要である。 そういう基準が、自分の悩みの涙の中でこれを解決した時のその喜び、天に対しての感謝、 自分ながらの嬉しさを感じるようなその気持ちを原理講義の中で、いかに体験するかということが何よりも重大な問題である。
 ある重大な講義の中に重要な部所がありましたら、 その間においてこの120人、 あるいは百有余の一人一人のうちで、どういう題目に対しては誰が一番心情的な感化を受けるかということを、 天の方からすみずみまで見つめている。 もしそういう人がおれば、 その人を中心として神は日本的な心情的発展を思うに違いないでしょう。••この一瞬こそは最高の供え物として、 最高の祭物として、 神につめ得る、 接し得る、こういうような二度とない絶好の機会であることを思いまして、精神共に一致させて、天が願い、 先生が願い、 講義する協会長が願う、原理自身が願う、 日本が願う、世界が願う、そういう基準にかなうように精神共に尽くしてこの期間を、 神が喜ぶような、 すべての願いがかなうような、 新しく希望を持ち得るような、 その基準を造って下さることを思いながら、 先生の話を終えたいと思います。」 (抜粋)

《1971年 清平修練所着》
真の父母経p432

清平修練所の建設


 真の父母様は、一九七一年七月十二日、ソウルの青坡洞(チョンパドン)と京畿道(キョンギド)九里市(クリシ)の水澤洞(ステクトン)に続く、摂理史の完成的聖地として、京畿道加平郡雪岳面松山里山七五の一番地に、清平修練所を建てられた。この修練所は、建坪九十三坪、講堂七十坪で、二百人以上が寝泊まりできる木造スレートぷきの建物だった。真の父母様は、梅雨期の悪天候の中でも毎日現場を訪れ、一つ一つ監督された。修練所の最初の集会は、十二日から五日間、二十八人のキリスト教牧師が参加する中で開かれた全国牧師夏季修養会だった。


13 清平に修練所を造るとき、二カ月ほどかかるところを、八日で完成させました。七月一日に「土台を築きなさい」と言って、二日から建築を始めました。ですから、一週間ですべて造ったのです。清平に造った修練所は九十三坪です。修練所の講堂だけでいえば約七十坪になるので、二百人以上は寝ることができます。
 そのような建物の建築を、一週間でやり遂げたのです。きょうまで入れれば、満十日になります。きょうは一九七一年七月十一日ですが、本来はきのうまでに終えようとしました。ですから、きょうを越えてはいけないというのです。このように、八日間ですべて終わらせ、その次には色を塗るのです。ペンキを塗って、約三、四日間で飾り付けをします。しかし、その飾り付けは、大げさにするようにはなっていません。なぜなら、今は避難する最中にお嫁に行くのと同じだからです。美しく装うことなくお嫁に行っても、新郎に会って幸せに暮らせばよいのです。

14 清平で修練所を造るのに、天気さえ悪くなければ計画どおりに進行したでしょう。ところが、梅雨になったので問題です。きょうか、あすくらいに作業が終わると思っているのですが、終わらなくても、あすはキリスト教の牧師たちが集結することになっています。きのうは、雨が激しく降り注いでいるのに、材料を購入してきて仕事をしなければなりませんでした。
 そうかといって、電話があるわけでもないので、直接出掛けて材料を購入しなければなりませんでした。仕方なく、お父様が土砂降りの雨を浴びながら船に乗って出てきました。雨がどれほど激しく降っているのか、船に乗って出てくる姿が、あたかも逃げ出す人のようでした。後ろから機関銃で撃ってくるので、それを避けるために逃げ出してくる、そのような立場と同じでした。そのようなことが、本当にたくさんあったのです。

15 天幕を張っておき、キリスト教の牧師たちを迎えて修練をするのは、私たちの教会で初めてのことです。天気は雨が降ってじめじめしているのに、テントから出たり入ったりしなければならないので、本当に悲惨だというのです。このような立場で全般的な計画を立て、「一九七一年七月八日までに修練所を建てなさい」と言ったのです。
 このような状況で、働く人々を何としてでも集めなければなりませんでした。ですから、今回、約三十人を地方に人事異動するとともに、地区長のもとにあった部長クラスのポストがなくなったので、その人々に対して、すぐに上かってきなさいと伝えました。清平で特別修練会をしながら、彼らに地面を掘るように言ったのです。


16 清平で働く人々は、今まで数十日間、地面を掘りました。そのようにしながらも、普通四時間から五時間しか眠ることができません。ですから、死にそうだというのです。きのうは、私が「負傷者は立ちなさい」と言うと、二十六人中、八人が立ちました。三分の一が負傷者でした。それで状態を見たのですが、ひどい負傷ではありませんでした。その場は、蕩減する場です。私は今回、地区を新しい編制に改編しましたが、地区で実務の責任をもっていた人々を計画的に呼んできたのです。

17 私は大工ではありませんが、何十年と家を造ってきた人がする仕事も、私がコーチをしてこそ、きちんと仕上がるのです。そのようなことを見れば、専門家というのがほかにいるのではありません。深刻な立場でその標準の価値を中心として観察するようになれば、それが合うのか合わないのかすぐに分かるのです。オンドルを敷くのも、お父様が「オンドルはこのように敷かなければならない」とコーチするのです。
 ある時は、井戸を掘る人々が来て、井戸をどこに掘るべきかと尋ねたのです。大工たちが仕事を誤って私に厳しく言われ、再び取り外して作業をするのを見て、自分たちも間違ったら(厳しく)言われそうなので、私の所にやって来て尋ねるのです。ですから、「井戸は、固い土地と柔らかい土地の境目があれば、その境目が直線に伸びて折れる所を掘れば、水が出てくる」と答えると、「いつ井戸を掘る方法をみな学んだのですか」と言うのです。私が何を学んだというのでしょうか。道理がそのようになっているというのです。
 今まで統一教会を指導する責任者として、すべての問題を解決してきたことが、今やすべて公式化されています。さっと見て、このようにしなければならない、ということがすぐに分かるのです。今はこうだが、結果はこのようになるだろう、ということが分かるのです。見るときは、一カ所だけを見るのではなく、全体を見ます。家の敷地をならすときも、全体を見てならすのです。すべてがそうです。

18 清平修練所の屋根にスレートを載せるのですが、スレートを持ってくるように三日前から契約していました。ところが、その時、連絡を取る人がどこかに行ったので、工事の最終日にもスレートが到着しませんでした。大変なことになったというのです。全国牧師夏季修養会に参加するためにキリスト教の牧師たちが来るのに、その日に終わっていなければ、あらゆるものがすべて崩れるのです。
 ですから、お父様が追い回しながら、「お金を出さなければスレートを渡すことはできない」と言うところを頼み込み、さらに小型の発動機船を借りて夜十一時半にようやく修練所に積んできました。それをすべて降ろすと、午前二時半頃になりました。ですから、発動機船は帰らなければならないのですが、既に夜が更け、通行禁止の時間になっていたので、その主人がここで一晩泊まることになったのです。
 ところが、その人が寝て朝起きてみると、夜の間にスレートはもちろん、屋根の棟まで載っていたのです。その人は、その時、雨が降っていたので、「臨時であのように載せておいたのだろう」と考えたのですが、どうしたことか、載せられたスレートの上には、働いている人が一人も見えないのです。夜中の数時間の間に、完全にスレートを載せて屋根を覆ったのです。ですから、この家には、「お化け屋敷」という別名が付きました。
 これをよく見てみれば、色を塗っておいたのでよく似合います。また、立って眺めてみると、平たいものがひれ伏して修行する形になっています。ですから、お父様は今後、この地域が世界的に有名になると考えるのです。

《1996年 「世界平和島嶼国家連合」創設大会》
真の父母経p972


21 太平洋文化圏時代になったのですが、太平洋にある国々を中心として、背負っていかなければなりません。
 この国々をすべて束ねるために、済州島でワールドカップ釣り大会をしました。その国々を連結させるためです。国連が管理できる体制をつくろうと、そのようなことをしているのです。ですから、趣味産業や、このようなすべてのものを、国連の部署に入れようと思います。
 そのようにしようとすれば、難しい問題が一つや二つではありません。国連の安全保障理事会や経済社会理事会の幹部たちを中心として築かれた世界基盤を私たちが消化するための方法は、教育をすることです。
 韓国が北朝鮮を消化するためには、教育をしなければなりません。神様をはっきりと知らせてあげ、霊界をはっきりと知らせてあげ、血統が変わらなければならないことをはっきりと知らせてあげなければなりません。知ることによって、すべての問題が解決します。
 そのような意味で、太平洋文化圏にある発展途上国を含む五十二ヵ国が、「世界平和島嶼国家連合」に入っています。この国々を束ね、一つの国家体制を中心として、国連に連結させなければなりません。

22 世界で最も複雑なのが島嶼国家です。
 島嶼国家は太平洋の中にあるので、強大国がどこに行くにしても一隻の軍艦さえ向かわせれば、完全に占領して戦場になります。ですから、小さな国々が力を合わせて一つにならなければならないのです。
 そのように一つになるためには、生活と文化的伝統、言葉や文字が同じでなければなりません。

平和経p1364
21世紀における島嶼国家の役割工》https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/155?svc=cafeapi

《2000年 海洋還元宣布》
真の父母経p1455

7 一九六三年から出発した(統一運動の)海洋事業が、今や世界的な版図を中心として、頂上の位置を望むことができるようになりました。そのようなすべての準 備をしておき、過去の日々を回想するとき、海を抱いて主人の位置で愛して守ってくれる息子、娘がいませんでした。今や、ようやく真の父母が現れてそのよう なことを知り、それをするために五大洋を中心としてさまよい、海洋圏であるコディアクで統一教会が忘れることのできない「八定式」を発表し、「天父主義」 を宣布いたしました。
 その日から、世界に大変革をもたらした歴史的な起源を形成し、再び世界的な大混乱を収拾して、海洋世界と陸地世界を連結し、今や天の主人が海洋の主人を越え、陸地の主人まで連結できるようになりました。
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