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統一運動《4/17 今日は何があった?》

1935年 真のお父様、イースターを迎える週に神様から召命を受ける👇
1960年 「心情復活の日」宣布👇
1961年 「実態復活の日」宣布
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1972年 アジア巡回 タイ、バンコク
1998年 長子権・父母権・王権開門宣布、ベルベディア
2000年 アメリカ12か都市巡回講演 アトランタ、クラウン・プラザ・ラビニア・ホテル
2001年 真の父母様アメリカ50州巡回訓読大会 シェパーズタウン、クラリオン・ホテル、バーリントン、ラディソン・ホテル
2022年天苑宮勝利奉献決意式(韓国・天苑宮建設現場)

《1935年 真のお父様、イースターを迎える週に神様から召命を受ける》
真の父母経p161
十六歳(数え)の時、神様からの召命を受ける

文鮮明師は、1935年4月17日(イースターの朝)の祈祷中に、
霊的イエス様と出会い、特別な啓示を受けられた

 真のお父様は、長老派教会に入教する頃、新しい学問の修学とともに、思考の幅が広がってより深く考えるようになり、将来の問題と現実の問題について深刻な疑問に逢着された。理由も分からない中で起こる家の患難とともに、日本統治下における民族の悲惨な姿、そして、弱小民族の苦痛と悲哀を深く体感された。同時に、人生の根本問題について苦悩しながら、解決点を探そうと身もだえされた。そのような中、定州普通学校に転校した直後、十六歳になった年の一九三五年四月十七日の早朝に、長い時間、涙ながらに山上で祈りを捧げていたところ、イエス様の顕現を体験することになる。イエス様は、奥深く驚くべき事実を多く語られ、その後、何回にもわたって直接対話を交わされた。真のお父様は、神様から天命を受けられたのち、故郷とソウル留学、そして、日本の東京留学を経ながら、将来の摂理的使命者として、責任意識の体得と信仰を深化させる準備期間を過ごされた。

5 私は、十六歳(数え)になった年に、イエス様と出会い、深い霊的な体験をしたことがあります。それが啓示の始まりでした。その特別な出会いがあって以来、今まで、生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界の聖賢たちと、絶え間なく対話をしてきました。その内容は、言葉では表現しきれません。神様は、御自身の摂理の時に従って私を選択されたのです。

6 私が悩み多き立場で神様を知る経験をし始めたのは、十六歳(数え)の時からでした。私は、少年時代から、「私は誰だろうか。私はどこから来たのか。人生の目的は何だろうか。死んだあと、私たちの命はそのまま続くのだろうか。また、神様は果たして存在されるのか。神様は全能であられるのか、あるいは無力であられるのか。もし神様が全能であられるのなら、なぜ人類世界の問題を解決してくださらないのか。この地球上には、なぜ数多くの苦痛が存在するのか」、このような人生の基本的問題について悩んでいました。

 そうして、十六歳の時から九年間、私はいつも全能であられる神様、そしてイエス様と共に生活しました。また、何度も霊界に入ってみました。

 神様は、徐々に驚くべき真理を示してくださいました。それは、まるで長く暗い夜が過ぎ去って朝日が昇るかのようでした。その真理の中で、栄光の新しい文化の曙光を見ることができました。新約聖書に基礎を置くこの特別な啓示は、ユダヤ教の教えよりはるかに素晴らしいものでした。この啓示は、あらゆる宗教を包摂して一つに結ぶことができる力と能力をもっています。私が受けたこの啓示は、今日「原理」と呼ばれており、(私は)神様からこの「原理」を地の果てまで伝えなさいという指示を受けました。

7 十六歳(数え)の時、どれほど深刻な立場にいたか分かりません。神様にとって最も困難であり、イエス様や宗教団体にとっても、最も困難な最後の時でした。韓国が日本の統治下に入ってコーナーに追われ、行き場のない三角地帯(窮地)にいたのです。天地と神様も、五大聖人たちも、宗教圏も、すべてが一点に集まりました。ですから、私もこの一点に対して召命的な責任があるので、その場に入っていくのです。

 そうすると、私を中心とした家庭や韓国自体が、極めて深刻な立場に行くのです。夜も眠れませんでした。御飯を食べようにも御飯が喉を通りませんでした。それがすべて見えるのです。瞬く間に天下がすべて崩れそうなのに、その責任が私にあるというのです。ですから、どれほど深刻だったでしょうか。

《1960年 「心情復活の日」宣布》
《1961年 「実態復活の日」宣布》

真の父母経p502
「心情復活の日」「実体復活の日」宣布の背景

 真の父母様は、三子女の祝福式を執り行った翌日の一九六〇年四月十七日を「心情復活の日」、一九六一年四月十七日を「実体復活の日」として宣布された。真の父母様の聖婚式以降、心情復活、実体復活、万物復活の基台を築き、失ってしまった神様の心情圏を実体で復活させることによって、「父母の日」を通して子女と万物を探して立てたのである。

1 本来、「父母の日」は、「心情復活の日」と「実体復活の日」が宣布されたあとに現れなければなりません。復活の過程を探ってみると、心情復活、実体復活、万物復活となっていきます。太初に神様は、人間の堕落によって万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、心情を失ってしまったので、逆に心情復活、実体復活、万物復活をしてこられるのです。それを通して、「父母の日」と「子女の日」、そして「万物の日」が探し出されるのです。

 これを成し遂げるために、お父様自身が茨の道を歩みながら蕩減してきました。このように蕩減条件を立てたので、サタンの讒訴条件を免れて、祝福された「父母の日」を設定することができたのです。✍️

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