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統一運動《6/21 今日は何があった?》

1948年 真のお父様、興南徳里特別労務者収容所に移監、肥料工場で強制労働 👇
1967年国際親善友の会より招待受ける。ノア家庭講義後における御言、モーセ路程講義後における御言 👇
1982年 霊界統合宣布式 米国ニューヨーク ベルベディア
1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会全国40カ市郡区大会 井邑
1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会全国40カ市郡区大会 金堤
1993年 「真の父母と成約時代」宣布アメリカ巡回講演 フェニックス、ビュート・マリオットリゾート
1994年第2回「国際大学生指導者平和セミナー」(~28,中国北京)
1995年 「真の家庭と私」中南米17か国巡回講演 エクアドル、キト、オロベルデ・ホテル
1998年第16回「統一慰霊祭」(尾瀬霊園) 👇
2001年第39回「真の万物の日」(米国,ニューヨーク・イーストガーデン)
2001年 アメリカ統一神学大学院から名誉博士号を受ける、ニューヨーク
2002年 天地父母統一安着宣布大会、ソウル、蚕室室内体育館 👇
2003年「天宙平和統一家庭堂」創設日本大会(東京)
2019年2019神米国ACLC特別総会(米国・ラスベガス)

《1948年 真のお父様、興南徳里特別労務者収容所に移監、肥料工場で強制労働》

真の父母経p232
イエス様の使命を全うするための蕩減路程

 興南監獄の試練は、再臨のメシヤとして、イエス様の使命を全うしていかれるための蕩減摂理路程である。再臨のメシヤは、クリスチャンたちが反対する中で、イエス様の使命を全うしていくために、十字架によって亡くなられずに、生きて監獄から出てこなければならないだけでなく、イエス様が失ってしまった十二人以上の弟子を、十字架上(監獄)で探して立てなければならない。北朝鮮の興南監獄は、人間を徐々に殺す十字架と同じであったが、真のお父様は、イエス様の使命を全うしていくための蕩減路程を勝利的に締めくくられたのである。特に、周辺の人に対して伝道することはできなかったが、霊界にいる囚人の先祖たちが子孫に夢で現れ、真のお父様に特別に良く接し、侍るようにと教え、真のお父様が監獄から出てこられるときには、十二人以上の弟子をもつようになられたのである。そして、興南監獄に収監されたのち、最初の二、三週間は、食事の半分を他の囚人たちに分けてあげ、定州にいらっしゃる忠母様(実母)が、定州から興南まで来て差し入れしたはったい粉と服も、すべて彼らに分け与えられるなど、人のために自らを犠牲にしながら、収容期間に三度も模範労働者賞を受けられた。毎日配給される飲料水の一部を残しておき、体を清められるなど、神様の息子であるという自覚をもって模範的な生活をされたため、天も感動せざるを得なかったのである。

3 お父様が平壌刑務所から手錠をかけられて興南の監獄に行くのに、十七時間かかりました。それで、その車内で何を考えたでしょうか。深刻でした。唖然とするほど深刻な立場にいるお父様を見る神様は、どれほどかわいそうでしょうか。神様の六千年の摂理歴史を再び蕩減復帰しなければならないのですが、私のほかには誰もする人がいないのです。これを蕩減復帰しようとすれば、数千年はかからざるを得ません。知っている人は私しかいません。

 ですから、すべての山野の外景を眺めながら、どれほど深刻だったでしょうか。私一人しかいないのです。その時、最も悪辣な強盗と二人組になって手錠をはめられていました。そのような状況で「いかにしてこの環境で生き残るか」を考えるのですから、どれほど深刻だったかというのです

真の父母経p737
獄の中の獄、興南監獄に移監

 真のお父様は、一九四八年五月二十日、平壌刑務所から、獄の中の獄と呼ばれる「興南特別労務者収容所」(通称、興南監獄)に移監された。収監番号は五百九十六番であった。興南監獄は、寒さと飢え、重労働を伴う途方もない作業量ゆえに、普通の人には耐え難い所であった。特に、監獄内のアンモニアガスと粉塵が汗と反応して、肌がむけてただれる皮膚病と肺病により、一年で収監者の四〇パーセントが死にゆく現実の中でも、真のお父様は肉体の健康を維持され、同僚たちよりもはるかに多くの労働量をこなされた。死の影がちらつくこの場所で、真のお父様は知恵と愛で苦難を克服されたのである。

9 お父様が興南の監獄に手錠をはめられて行くとき、平壌に残る食口たちが手を振りながら見送ってくれたことが忘れられません。私は涙を流しませんでしたが、彼らは子供が死んでいくのでもなく、夫が立ち去るわけでもないのに、ひたすらすすり泣いて涙を流しました。それがどれほど悲壮だったでしょうか。それを見ながら、「天を訪ねていく人は不幸な人ではない」と思いました。

 私がどんなに鉄格子の中で苦難を受けたとしても、私を訪ねてくれる旅人、監獄を訪ねてくれる彼らは、自分の血族を越え、民族愛を越えて、天上の心情圏を地上の監獄と連結させるに当たって、恥辱を物ともせずに行動した人たちです。これは驚くべき事実です。

《1967年ノア家庭講義後における御言、モーセ路程講義後における御言》
文鮮明先生の日本語による御言集 5 p175

 サタンは何か。だから今まではサタンを許す方法がなかった、許す方法がない。もしも、あれをその許すといって天の神様の愛は人間と関係を絶対に持つことはできない。だから、君たちは天のお父様というのは、ああいう関係をみんな無視して、元の基準に立って、お父様というんだ。生まれてみたのにね、今おやじと、お母さんというものは、本来、自分のお母さん、お父さんを殺した子供たちである。そういう立場なんだ。本当の自分のお父さん、お母さんがあるのに、こいつらが、入って来てみんな殺して、自分たちがお母さん、お父さんみたいになっておる。それ許せるか? 許せない。そういう立場なんだ。だから自分の親に対して、自分の親戚とか、自分の兄弟関係におきましてもみんなそういう立場になっておる。だからそれを一度切らなければならない。君たちは、心情的革命という事を言うでしょう? 心情的革命、何だ、心情的革命が何だ、これを意識的革命とか、心情的革命。統一教会の外の団体とか宗教と違うところは何か。心情的革命をなすんだからそれが違う。しかし心情的革命とは何か? 何だ心情的革命とは。いかにして心情的革命をするか、いかにすれば心情的革命はなるか。それを考えてみる。君たち今心情を持っておる。自分の親に対して、兄姉に対して、自分の心情関係に対して、心情的関係を持っているよ。その心情を革命する。自分が親になっておるその子供に対しての愛の心情、夫婦としての関係としての心情、今までの堕落圏内のあらゆる家庭を中心とした親戚関係のあらゆる心情の革命。これ以上の心情でもってこの心情を打つ。それ以上の心情は何か。堕落圏内における堕落したサタンから受け継いだその心情ではなくして、それ以上の心情は神からもともと始まるべき心情である。その心情はサタンの心情をゆり動かす、その心情でもって打つ。打った場合に二つの手で、今までの堕落圏内の心情を打たれなければならない。だんだんとその複雑になる。そういう基準でもって、自分の親戚圏内において「我は勝利せり」、そういう者でなければ神の子供になりえない。今までサタンの世界におきましては、心情を中心とした観念はどういう観念か。同志愛。自分の家族あり、自分の子女あり、自分の兄弟あり、自分の親戚関係だけ愛する、それを第一愛の主体として考えたその心情圏である。それ、神の愛は何か? 自分の関係する者ではない。世界を愛す。国のこと、自分の子供より自分の子女より自分の夫婦関係より、自分の父母より以上愛する心を持つのが、これが革命された心情の持ち主が持つべき心情である。だから今まで義人聖人たちは、どういう心情でもってこの世の中で善をなそうとしたか。自分の家庭を犠牲にし、自分のは犠牲にし、自分の子女関係、自分の父母関係、すべて自分の心情関係とか、すべてを無視して国家なら国家、世界なら世界、万人のために、万人のための愛情を持って、自分に属しておる、その心情圏を審判して立った人たちが歴史的人物であった。

 そういう人たちが今までサタンの歴史圏内におきまして歓迎され得なかった。誰からもみんなに反対され、歴史が通過した後に、「ああ、あの人は良かった」、そういうふうにして、過ぎ去った後に讃える、その瞬間個人を讃えるようにして歴史的人物として………。神はなぜそのような人たちを、そういう環境においてそういう辛い、そういう惨めな生涯を終えるようにしたか。それは万民の心情圏を造らないと、蕩減の道を歩かなければならないから、そういう使命を与えた。だからイエス様を、イエス様のそのいわゆる心情革命された心情圏に立って万民を愛する。天宙を愛する。その愛する心は自分の兄弟が問題じゃない。自分の父母が問題じゃない。自分の親戚関係が問題じゃない。これを凌駕し超越した基準を通して、世界のために世界を愛せんがために、世界をその兄弟とせんがために、万民を兄弟とせんがために、天宙を父母とせんがために、自ら死んでいった。その心情はサタン圏内におきまして心情を中心として、阻む事もできないし、塞ぐこともできない。

 だからそういう立場に立つ者じゃなければ、心情革命をなした事ができない。わかる何か? わかる? (「はい」)。だから統一教会の違ったところは何か、そういう場面が短期間内になす。だからこれこそ、心情世界を革命した人たち。

 だから神はサタンの心情を打つんだね。打って神の心情を立たす。その神の心情を立たすのは自分を中心として立たすのではなくして、世界を中心として立たせる。そういう世界とならないというと、この世界は平和な世界になりえない。今までの心情世界におきまして世界の平和とかなんとか讃えているんだけど、それはできない。枯れ木のようになって、今、現代の結果の世界を造った。それ以上の世界は造れない。だからこれを心情革命なしえる、思想と世界を、世界を愛する世界的心情を中心になしえるような各自があい集まる所に天国が形成される。そこにおいて自分一個人の民族とか一個人のその男女関係のその関係でもって云々する所ではない。そこは天宙を共にして万民を共にして云々する所である。そういう所に神がいましたもう。そこから天地を造る。復帰、新しい天国の建設が始まる。だからそういう基準じゃなければ、未来の世界は絶対、統一とか天国とかなりえない。これを自信を持って、世界の果てまで殉教の心情を中心として、あらゆる妨げる者があっても、サタンがあっても、それを打ち抜けて、その勝利のパターンを原理を持ってこそ初めて心情革命を世界的になさしめる、その指導的位置に立つ。その指導的位置になりえたらこそ、神の子女となる。我々はそのために集まった。

 さあ、それが果たしてできるか、できないか。それができなかったらまだ、君たちはそういう所を尋ねて行かなければならない。だからイエス様もそうでしょう。十字架につけられる間際の立場に立って、神に祈るのは万民のために祈った。自分の家庭関係とか、自分の親戚関係とか、自分の弟子のために、………………。自分の近い者を打って世界を愛しえる、有り余るその愛情の位置に立っていた。ここにおいて新しい世界が出発された。これがこの次の時代、今の時代はもっと昔より罪が多いよ。悪い時代である。………………。善なるものじゃない。却って悪である。この圏内において、いかなる悪の圏内におきましてもその環境を審判しえる、いわゆるその革命しうる心情を通じ、いつも確信を持って行くかというのが、天の子女になりえるかという問題の一つだ。統一教会だったら、それを短期間内になす。一週間以内にできる。万物の創造は一週間、いわゆる六日目になした。七日の過程を通過して、一週間以内にそれを確認しえる能力があるかないかという問題を中心的に考えた場合に、あるというのはこれは世界平和の今日になる………。わかった?(「はい」)。わかった?(「はい」)。伝道もそのためにやるんだよ。「おう、こういう事をやったら、おう、祝福されるんだから、やむをえずやらなきゃ」、とんでもない考えを持っておる。やっておる。それは自分のためにやる。天地、万人のための幸福か? 自分のためにやる。神を利用して、先生を利用して、この御旨を利用して、自分の勝利の圏を要求する者である。そうだろう。(「はい」)。え?(「はい」)。だから、そういう基準が立たないというと、世界は神の世界にならないよ。

 それを先生は、はっきり知っている。心情革命というのはこれだね。神の心情を持って、サタンの心情を打ったら、サタンの心情はだんだんとみんなやられちゃう。一時において彼が思いは敵みたいに、仇みたいに思える。本当にそうなるんですよ。なるんですよ。そういう心情の内心の動きがなければ、統一教会は嘘だ、嘘。君たちは……嘘つきするんだから、教会にノコノコやってくる。それがなしえるんだから問題は大きい問題である。そうなっているの? どうか、そうなっているの、なっていないの? 心がそういうその、責めかかりながら、その、誘うんだけど、君たちがもう動かなくなっている。その事自体が仇である、怨讐である。

 その心があると、絶対その心はそれ以上尊いものはない。それをもしも、奪われるその危ない基準があったら、何を基準とし、それを奪われたか。先生もそういう闘いがあった。父母もあったもんじゃない。それだけこれ取れなかったら、もう、世界もみんな天国どころじゃない。地獄になっちゃう。それを攻めて取り返す。それは華々しい基準を持って、生涯の勝利場に向かって、突進、驀進するんだ。統一の勇士の持つべき御旨である。

 君たち、心情革命とか何とか言って、何もその言えないでしょう。具体的な方法はこの方法である。わかる?(「はい」)。わかる?(「はい」)。だから毎日の生活圏内におきましてそういう心情基準が先だって、私のつくる生活環境を押しても堂々と行ける者になっておるか、なっていないかというそれがそれ自体が私を天国へ行く人としているか、地獄の方にしておるか。天国がそこここにあるんじゃないよ。君たちの生活圏内に天国地獄が交代に、替わり番こしておるんだよ。だから、心情を基準として、一部はある行動とか能力のその立場を、乗り越えるのは、踏ん張って、命がけで。

 だからすべて多からず、これを大きく動かす一つの足場として利用する、利用していく、そういう心持ちで我々はやるんだね。ま、こういうふうに言うと、はっきりまあ、先程の問題にしみついて来るだろう。心情革命は統一神しかない。

 だからそういうふうになるには、天の神様が天のお父様がいかなる道を辿って来たか、これはもう人類を思っては………。そういうふうに真剣に、そういうふうに姦夫の息子である君たちを救うために六千年待ち望みながら、待ちに待って、そしてあらゆる反発を受けながら、忍び忍んできた、天の神様、お父様である。すぐに顔を上げるような気持ちになれない。千遍万遍殺されても、生きて、報いようのない不足の自分である事をつくづく感じる。だから深い所へ行く程、謙遜にならざるをえない。頭が上がらない。だからこの肉心を持つ………。そういう気持ちあるから、サタンが屈伏するんだね。

 ………堕落圏内の血統を受け継いだその子孫として神の心情を中心として、我々を迎える、神の新しい心情圏がある。その心情圏を我々は相続しなければならない。わかる? 問題じゃない、死ぬことなんか問題じゃない。どうせ死んだ者と生まれた者である。それを生活圏内に体験している、そういう体験をする人間こそ、心情革命をなされたという証明である。そういう者は間違いなく天国に行かれる。天の息子であり娘である。その心がない者は、これまだだめだ。目が覚めた時、自分のお母ちゃん、お父ちゃん、自分の奥さん、旦那さん、自分の子供、それが、先に浮かんだらそれはいけないことだね。我々は兄弟だ。我々は至る所でそういう闘いをやっている。御飯を食べながら、仕事をしながら、自分の直接関係している兄弟とか子女の問題とかそれは思いもよらない。しかし我々、兄弟に対しては、思わざるをえない心情がいつもある。そういう人たちは天のアベルになって生活する者であり、そういう所にはサタンの侵入はない。わかる? (「はい」)。本当にわかる?(「はい」)。これで終わり。

《1998年第16回「統一慰霊祭」(尾瀬霊園)》
日本統一運動史(光言社)p519

 第16回統一慰霊祭が、 6月21日午前11時から群馬県の尾瀬霊園で行われ、劉大行 全国祝福家庭総連合会総会長、 江利川安榮 日本統一教会会長をはじめ、全国各地から1300人が参列しました。
 初めに司会の畠山憲太郎 超宗派部長の開会宣言に続き、 阿部公子さんが代表祈祷を行いました。 続いて戸丸廣安・尾瀬研修所所長が経過報告をしました。 そして 「御魂に捧ぐ」 が岡村信男総務局長から読み上げられました。 このなかで 「あなたがたが私たちの祈りを聞き、つらいときには助けてくださり、悲しいときには慰め、 間違いを犯したときには、 とりなしてくださっていることを感じています」 と霊人たちへの感謝を述べました。 また劉大行総会長は挨拶の中で、御旨の成就する時代を目前に見ながら昇華した人たちを悼みながら、 彼らが願った世界が目前に迫っていると告げて、 遺族たちを励ましました。
 続いて、 江利川安榮会長の説教が行われました。 江利川会長は、1997年に昇華された李相軒先生の霊界からのメッセージについて触れながら、真の御父様がそのメッセージを訓読するように指示されたことなどを語りました。 さらに遺族を代表して横井勉 遺族会理事長が挨拶を述べ、 最後に齋藤俊樹 遺族会理事の音頭で万歳三唱をし、1999年に行われる世界3億6000万双祝福式の勝利を誓いました。

《2002年 天地父母統一安着宣布大会》
平和経p1493

天地父母統一安着宣布
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/168?svc=cafeapi

日本統一運動史2(光言社)p211
 2002年6月21日、 「天地父母統一安着大会」 (主催: 世界平和統一家庭連合ほか) が、韓国、ソウルの蚕室体育館をメーン会場に、全世界を通信衛星とインターネットで結んで行われました。 大会には、世界60か国からの来賓を含む約2万5000人が会場を埋め尽くし、会場外にも人があふれました。
 真の御父様は講演の中で、 この大会について、 「天地父母を統一させて安着させる大宣布式」 とされ、 「神様の故郷が出発するこの安着は永遠のものである」 と宣言されました。 大会では、真の御父様の講演のほか、霊界から送られた聖人賢哲のメッセージが訓読されました。 この大会の様子は、 大型街頭ビジョンで韓国のソウルで20か所、地方都市20か所で生中継されたほか、 衛星放送とインターネットを通じて世界に送信され、 約7000万人が大会に参加しました。 日本では、全国の主要都市70か所で大会が行われ、合わせて7万人が参加しました。

  1. 御言:「天地父母統一安着宣布」
     「神様の悲しい心情の中心を、 完全に解いてさしあげることのできる時を迎えない限り、 人類の平和も実現することはできないし、この地上に実りの時を迎えることができないのです。 ・・・・・・真の人間がいて、 人間社会のすべての恨みと、 天の恨みを解いてさしあげ、 天と地に平和の国を建設することのできる、 ある主義と思想を持って来るとしたら、 その人は、 自分個人の恨みに満ちた逆境から始まり、 人類と天の恨みの峠と、 その哀切なる心情を すべて通過しなければならないことでしょう......。
     神様は、サタンからまず打たれ、 尽くしてあげ、 愛してあげてから、取り返してくる作戦をなさいます。 サタン世界から強制的に奪ってこられるのではなく、 まず愛し、 打たれ、 犠牲になって、 殺されながら取り返してこられるのです。 このような作戦を取らなければ、世界平和の出発点を天宙に残すことはできません。 自由の天国である“新しい平和の王国〟を創建するための闘争過程において、 誰よりも犠牲になって、多くの血を流して闘ったとするならば、 その人は滅びることはありません。 その流した血は、 “死亡の血、 ではなく、 生命の源泉の力になるからです。
     そのようにして創建した所こそ、 私たちが行くべきであり、住むべきであり、 残すべき基盤なのです。······皆様。 大韓民国の主人は、誰でしょうか? それは、 大韓民国を、誰よりも愛する人です。 ですから、皆様が、誰よりも大韓民国を愛するようになれば、 “主人になるまいとしても、この民族の主人になるのです。 それでこそ、 神様が願われる平和の時代がやってくるのです」 (2002.6.21)
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