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統一運動《9/17 今日は何があった?》

1953年 真のお父様、ソウルに基盤をつくるため、釜山から上京
1965年 アジア巡回、8カ所の聖地選定 タイ、バンコク1988年「'88ソウルオリンピック」で宣教師が奉仕活動(~10/2) 👇
1991年「アジア平和女性連合」創設大会 韓鶴子女史日本全国巡回集会(9/18~9/24 信徒大会)
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1993年 「真の父母と成約時代」宣布日本巡回講演 前橋
1995年 「真の家庭と私」アメリカ16カ都市巡回講演 デンバー、ハイアット・リージェンシー・デンバー・テック・センター・ホテル
1995年 「真の家庭と私」日本5カ都市巡回講演 大阪
1995年「統一燭」伝授式(大阪、SSビル二階会議場)
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成韓国大会 全州室内体育館
1999年世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)第2回国際訓読セミナー(~19,米国、ワシントンDC)
2000年PLA-JAPAN2000年度年次総会(東京・星陵会館)
2002年 天地父母統一安着生活圏アメリカ大会 ブリッジポートブリッジポート大学
2003年「第2回アジア青年平和統一フォーラム」(~20,韓国)主催:世界平和青年連合、在日コリアン35人が参加
2004年「在日同胞指導者平和統一原理セミナー」(~21,韓国龍平リゾート)
2007年「UPF国際平和指導者会議」 開催 (~21、 米国、 ニューヨーク) 17日に 国連本部会議室で 「UPF会議」を開催 21日に祝賀晩餐会を開催
2012年基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会(韓国・清心平和ワールドセンター) 👇

《1988年「'88ソウルオリンピック」で宣教師が奉仕活動》
日本統一運動史(光言社)p422

真の御母様の御言
 「「世界統一国開天日」 を宣布するための1988年のオリンピックは、外的にも統一の条件に満ちた摂理的大きな意味を持っているのです。史上初めて160か国から参加した大会であるだけではなく、 東西理念の対決を超えた和合の大会だったのです。 これまでのソ連とアメリカで開かれたオリンピックにおいては、超強大国の国力と外交的な努力をもっても東西の思想的な葛藤を解決することができず、一方の中心国家のみが参加した半オリンピックで終わってしまいました。 ところが、ソウルオリンピックは天運の導きによって、 東西両陣営がすべて参加するという記録的な大会となりました。 特に韓国の立場から見た時、 外交関係のなかったソ連、 中共、 また多くの東欧の共産国家の代表たちが初めてソウルを訪れ、和解の一時を成すという歴史的な異変が起きたのです。 真の御父母様はソウルオリンピック開催期間中、真心を込めてお祈りをなされました。 この大会は真の御父母様が直接開会式、 閉会式にも出席なさり、 また息子娘が国家の代表選手として参加することで、真の御父母様の家庭的四位基台が実体で参加するという歴史的な大会となったのです。 さらに真の御父母様は韓国政府の関係各機関にメッセージを送って、 外国選手たちに、 特に共産圏選手たちをよくもてなすようにと頼みました。 ですから共産国家の選手たちのみならず、 全世界の選手たちは天運に感動し、 韓国の地が自分の故郷のごとくに親しくて心温まるようになったのです。振り返って見れば、1950年に韓半島で起きた韓国動乱では北朝鮮が動機となって、民主世界と共産世界という二つの陣営に分かれて世界の一世たちが戦いましたが、 逆に、 1988年には韓国が動機となって、民主と共産の両陣営の若者たち二世が和合の運動を広げたソウルオリンピックの開催となったのです。 今まで世界は一世たちによって民主と共産に分かれてきましたが、今や二世たちによって外的に和合し、一つに結ばれたのです。 1988年のオリンピックは、外的には韓国が中心となって行われたのですが、内的な摂理から見た時、 その中心は神様が運行する統一教会だったのです。真の御父母様は、世界統一教会の120の宣教国家の代表たちを韓国の地に集めて活動するようになされました。 オリンピックの開催期間中、 自分たちの宣教国の大使館を訪問して、その国の選手たちに協助してあげたのです。 正に外的カインと内的アベルが調和、 一体となるようにされたのです。 さらに真の御父母様はたくさんの力を投入されて、外国の選手たちに飲料水や記念品などを贈り、また入賞者や選手監督たちを招いて激励されました。 特にカイン共産圏の選手たちには、 心情的、 実体的なもてなしをされました。1988年のソウルオリンピックは、外的には160か国、 内的には120か国が参加しました。 ちょうど韓国動乱の時に、 16か国が韓国を援助したことを考えると、 160か国家の参加は意味深いことなのです。 16数は4数の4倍、すなわち外的で横的な東西南北の四方を象徴しているのです。 また、 12数は4数の3倍、 すなわち内的で縦的な三段階の数を意味します。 そのような、 内的120か国と外的な160か国が統一教会を中心として連結融合することによって、 韓国において縦的な三段階と横的な四方がつながる基準が立ったのです。」(1992.10.3)

《1991年「アジア平和女性連合」創設大会》
真の父母経p1419

「アジア平和女性連合」の創設と真のお母様の最初の講演

「アジア平和女性連合」の創設大会が、一九九一年九月十七日、七千人以上の日本の女性代表が参加する中、東京ベイNKホールにおいて開催された。真のお母様はこの日、「アジアと世界を救う真の愛運動」というテーマで、初めて講演をされた。
 また、「アジア平和女性連合」の韓国支部創設大会が一九九一年十月三十一日、女性指 導者二千人以上が参加する中、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館において開催された。この日の大会を通して、韓国の女性たちと日本の女性たちが一つに なり、アジアと世界の平和を実現する先頭に立つことを決意した。特に、真のお父様は、アダム国家である韓国とエバ国家である日本の女性たちが、真のお母様 を中心に、世界復帰のために尽力することを願われた。

1 一九九一年九月十七日に日本で「アジア平和女性連合」の創設大会をしました。そして、十月三十一日に、ソウルで「アジア平和女性連合」韓国創設大会をした のです。その時から、六ヵ月以内に「世界平和女性連合」の大会まで終えました。そのような大会ができるとは、誰も信じませんでした。日本も同様でした。
 日本は、「アジア平和女性連合」を中心として、五年も準備して大会を行いました。そうして、十一月二十日にオリンピック公園フェンシング競技場で全 国大会を開催したのですが、「その短い期間に、一万人を大会に参加させることができるのか」と言いました。ところが、二十日間でたやすく一万五千人を満た したのです。そして、その時から四ヵ月を経て挙行された「世界平和女性連合」創設大会に、十六万人が参加しました。お母様がこのように講演することによっ て、お父様の横に立つようになったのです。
 天の国に入っていくときには、二人で一緒に入っていかなければなりません。そして、子女たちがその後ろに付いて入っていかなければなりません。それ を手引きしてあげなければなりません。解放してあげなければならないのです。今までの蕩減復帰過程に、女性の恨がたくさんあります。

2 韓国の女性たちと日本の女性たちを連結させて戻ってくることのできる時になったので、「アジア平和女性連合」を通して、日本の女性たちと韓国の女性たちが 一つになりました。国家を越え、お母様を中心としてアベル・カインの基準を三回で立てたのです。
 一九九二年四月十日、ソウルで開かれた「世界平和女性連合」創設大会にも、日本から五千人以上が来て参加しました。こうして、韓国が姉の立場になり ました。復帰された姉を中心として一つになることによって、国家的にカイン・アベルの立場で一つになるのです。日本がカインの位置で一つになることによっ て、二つの国の女性が、統一圏をもったお母様を中心として、母になれる代表的基準に立ったので、「アジア平和女性連合」を中心として、「世界平和女性連 合」の創設が可能だったのです。これを宣布することによって、天に帰るに当たって、今まで後ろから付いてきたエバがお父様の横に立つようになり、父母圏が 立てられたのです。

3 一九九一年九月、アラスカにいる時のことです。日本がエバ国家なので、日本の女性たちを糾合し、韓国の女性たちと一つになることができる準備をしなければ ならないのですが、道がありませんでした。私しかやる人がいません。ですから、お母様が日本に行って、七千人大会をしなければならなかったのです。
 その話を最初に聞いたときは、青天の霹靂のように思ったでしょう。日本の国家指導者の夫人まで出てきて座っているのに、その前に行って演説しなけれ ばならないというのは、普通のことではありません。しかし、それを断行したのです。それを連結させて韓国に戻ってきて、「アジア平和女性連合」から始め て、「世界平和女性連合」の大会まで行ったのです。韓国が主体国なので、アジア平和女性国家ではなく、世界平和女性国家にならなければなりません。

4 世界的な時が来れば、お母様は大衆の前でお父様の代わりに講演しなければならないので、日本語を勉強しなさいと言いました。日本に行ってエバ国家を和合さ せようとすれば、韓国語ではできません。日本で生まれたわけでもなく、日本語の勉強を始めてからいくらもたっていないお母様が流暢な日本語を語れば、日本 がぺちゃんこになるのです。それで「日本語を勉強しなさい」と言いました。何の条件もありません。そのように従順にしながら、お父様の後ろを影のように付 いてきたのです。そのような面で、お母様は偉大なのです。

5 お母様が初めて大衆の前に立ったのは、日本の東京ベイNKホールで開かれた「アジア平和女性連合」の七千人大会の時でした。初めてにもかかわらず、堂々と した姿勢でやり遂げました。なぜそのようにできたのでしょうか。お父様に付いていって国際会議に何度も参加し、大勢の有名人士たちから注目される立場にい たのです。そして、お父様が語ることを聞きながら分析をしました。そこで、大衆が感化されるよう抑揚をつけながら演説をすると、大衆は真摯に聞くのです。 すらすらと率直に解かれていく内容を聞いて、感化されるのです

6 お母様が初めて壇上に立ったのは、日本で開かれた「アジア平和女性連合」創設大会の時でした。その時、七千人の聴衆が集まりました。その人たちは、すべて 上流層の人たちです。日本の女性たちの中で、それなりに有名な人たちが幾列にも並んで集まったのです。初めて壇上に立ち、一度見渡して聴衆をすべて把握 し、みな感動させました。その次は、東京ドームで五万人を対象に演説をしなければなりませんでした。
 ところが、お母様は日本語がよく分かりませんでした。それでも、「日本語で演説しなさい」と言いました。ですから、夜寝る時間もありません。十五日しか残っていなかったのです。日本の聴衆の前に出ていって、母としての権威を立てなければならないというのです。
 それほど大勢の人たちの前で演説しようと思えば、男性でも足が震えるのです。それなのに、女性が五万人の聴衆の前で演説するというのは、簡単なことではありません。それだけお母様も深刻だったでしょう。しかし、東京ドームの五万人大会は大成功でした。

7 お母様が日本で大会を成功裏に行ったので、その次からは、四十ヵ国を巡回しました。今は、英語で、長子圏のアメリカで勝敗を決したいという思いをもってい るでしょう。英語だけでなく、どんな言葉でも、すべて話すことができます。
 ですから、今からは、「スペイン語で語りなさい」と言ったり、「何々の言葉で語りなさい」と言ったりしても、四十日以内に可能なのです。そのような自信をもっています。何であっても、努力する人にはかないません。

8 日本の女性たちを韓国の女性たちと一つに結び、お母様と一つになるようにしなければなりません。それが復帰です。お父様は男性として長男と次男を復帰し、 それと同時に、お母様は女性を中心に長女と次女を復帰しなければならないのです。そのように復帰して神様のみ前に戻っていくのは、アベルを通してカインで ある長子を復帰するのと同じ歴史過程における闘いでした。
 お父様としては、もうすべて終わりました。長子権が復帰されたというのです。アメリカとソ連を中心として長子権復帰が成し遂げられたので、次はお母 様が復帰すべき立場です。それで、代表的な国家である日本と韓国の女性を結んであげるのです。結局、お父様はメシヤとして大勝利をした基盤の上で、エバの 勝利基盤をつくってあげるのです。

9 これから女性時代が来ます。女性時代が来るので、婦人たちを動員しなさいと言ったのです。アダム国家の前にエバ国家として選ばれた国が日本なので、日本か ら始めるのです。お母様が日本のすべての女性たちを一つにまとめなければなりません。外的女性と内的女性を完全にまとめなければならないのです。
 それで、私が日本の女性たちを済州島の修練所に呼んで、これまで不完全だったものをすべて指示して、日本の一つの県に百人ずつ女性を配置しました。日本は島国であるがゆえに、島から上がってこなければならないので、韓国の島を通して陸地に上がってくるようにするのです。
 そのようにしようとすれば、お母様が橋を架けなければなりません。お母様が橋を架け、統一教会の女性たちが日本の女性たちを受け入れるようにしなけ ればなりません。そのようにしなければ、大変な騷動になります。受け入れようとすれば、収容態勢を整えなければなりません。収容態勢を整えれば整えるほ ど、日本の女性と韓国の女性が早く一つになるのです。

10 女性連合運動を韓国と日本から始めたことは、爆発的で歴史的な記録を破った事件でした。天の火を投じるものだったので、その余韻が永遠に生きているという のです。そのみ言を聞いた人は、写真を見ただけでも恩恵があふれます。そのような境地です。過ぎていくものではありません。母の愛が心から消えますか。ま た、父母の愛が心から消えますか。愛する人との愛が心から消えないのと同じように、天の愛によって縁を結んだみ言を聞き、感動した心をもった人は、その写 真を見ただけで恩恵を受けるのです。
 ですから、聖賢の教えが貴いのです。そのような深い心情的な関係を中心として語った言葉なので、その言葉は歴史を超越し、常にその価値が連結される位置にあります。そこに新しい蘇生の力が共にあるのです。

11 日本がエバ国家だとすれば、韓国の女性たちはどのようになりますか。韓国がアベルの位置に立ちます。日本はカインの位置です。そのため、アベルの伝統的な 精神を日本に連結しなければなりません。エバは十六歳の時に堕落しました。ですから、韓国で愛国心をもった純潔な女性、国を愛することにすべてを捧げるこ とができる伝統的精神をもった女性が必要だというのです。そのような女性の精神を、日本の女性たちは相続しなければなりません。そうでなければ、日本が連 結される道がありません。
 それで、日本に人を送って、誰にも分からないように柳寛順宣揚運動をさせました。お父様が、「日本の女性たちに柳寛順烈士の伝統的な精神を植えつけなさい!」と言ったのです。そのようにできる人は、お父様しかいません。誰もそのようなことはできないのです。
 その思想をもっていって日本の女性たちに植えつければ、日本が韓国と一つになるというのです。そうしながら、一九九一年九月にお母様を日本に送り、「アジア平和女性連合」をつくったのです。

平和経p895
アジアと世界を救う真の愛運動
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/95?svc=cafeapi
日付:一九九一年九月十七日
場所:日本、千葉、東京ベイNKホール
行事:第一回「アジア平和女性連合」日本東京大会(真のお母様)

《2012年基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会》

平和経p342
中断のない前進
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/32?svc=cafeapi
日付:二〇一二年九月一七日
場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター
行事:基元節勝利のための統一教会世界指導者特別集会

「基元節勝利」のための特別集会を開催
https://www.ucjp.org/archives/13483
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