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統一運動《9/28 今日は何があった?》

1950年 真のお母様、国軍によるソウル失地回復後、帰京 👇
1974年 世界平和教授アカデミー創立(日本・東京)
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1992年 「世界平和女性連合」創設日本大会 仙台
1993年 「真の父母と成約時代」宣布日本巡回講演 京都
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成南米大会 エクアドル、キト、スイソテル
2002年 天地父母統一安着生活圏アメリカ大会 デンバー、ダブルツリー・ホテル
2005年 「天宙平和連合」創設記念アメリカ大会 シアトル、ベルハーバー国際会議場
2006年 天宙平和祖国郷土天地還元勝利釈放40ヵ国世界巡回大会 オーストラリア、シドニー、オセアニア平和大使館
2020年「天勝殿グランド奉献式」ならびに「韓園(ハヌォン)チブ奉献式」

《1950年 真のお母様、国軍によるソウル失地回復後、帰京》
真の父母経p187

14 私(お母様)たち一行は、一九五〇年六月二十八日の午前三時に漢江の人道橋が爆破されたのち、南の方に避難してきました。そして、全羅道(チョルラド)にある軍人家族避難収容所に留まり、九・二八ソウル収復後に帰京し、空き家になった日本家屋で過ごしました。そのような中、中共軍が介入することにより、ソウルは再び共産軍の手中に落ちるようになりました。そして、一九五一年の一・四後退の時、再び避難の途に就いたのです。軍人の家族は、他の避難民より先に特別列車に乗ることができ、そのお陰で、ソウルを発ち、大邱に降りてきました。その時、陸軍本部が大邱に移され、そこに勤務していた叔父の家の近くに住むことになりました。私は、このような避難路程において、いつでも神様が共にいらっしゃることを実感しました。神様は、北朝鮮から韓国に来るときも、韓国での避難の渦中でも、常に保護してくださつたのです。

平和の母P.86
 その避難の路程は、筆舌に尽くし難いものでした。飢えや病で亡くなった人々の亡骸をこれでもかというほど目にしました。 しかし私は、生死の境を行き来するようなその路程においていつも神様が共にいらっしゃることを実感していました。 神様は、私たちが北から南に下りてくる時も、南で避難民生活の渦中にある時も、常に共にいて、保護してくださったのです。

《1974年 世界平和教授アカデミー創立》
日本統一運動史(光言社)p354

 1974年9月28日に発起人134名をもって日本における世界平和教授アカデミーが創立されました。 初代会長には松下正寿氏が就任し、 「真理の探究者としての我々アカデミーは真理の反対である虚偽と闘い、東西南北を超克して新しい文化創造の歴史的使命に挑戦したい」 と、
その抱負を述べられました。
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