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統一運動《8/16 今日は何があった?》

1985年「一勝日」宣布および聖水式(米国イースト・ガーデン)👇


1990年 第2回「世界宗教議会」、「世界平和宗教連合」創設宣布、サンフランシスコ、ハイアット・リージェンシー・ホテル👇

2006年 「天宙平和連合」祖国郷土還元120か国大会 パプアニューギニア、ポートモレスビー、クラウン・プラザ・ホテル
2010年 「八大教材教本」伝授式、天正宮博物館

《1985年「一勝日」宣布》
一勝日におけるみ言葉

父母復帰のための条件


 きょうは八月十六日、この日は韓国が解放されてから四十年を越え、四十一年目を迎える日です。復帰摂理から見るならば、先生が四十年の間に四千年歴史を蕩減したことになります。
 この、ヤコブからイエスまでの時代と、イエス様から今までの時代を合わせた四千年歴史を再蕩減するために、今まで父母様が苦労して来たということを知らなければなりません。この四十年間というのは、第二次大戦直後から今日までの期間を言います。当時、韓国において、キリスト教会が統一教会を受け入れて一つになっていたなら、世界はその時から一つになっていったはずです。
 いつも問題となるのが、カイン・アベルの問題なのですが、カインが兄さんとして先に生まれたにもかかわらず、この兄さんがサタン側に立ったため、弟であるアベルが神側に立って、歴史路程を通して転換するための闘いをして来ました。アベルがカインを復帰しなくては、父母を迎えることができない、父母が地上に現れることができないというのです。それで、アベルがカインを復帰するためには、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと八段階の過程を経ながら蕩減していかなければなりません。
 このような摂理の目的を成すために、キリスト教が霊的ではあるが、アベル的な立場で血を流しながら、生命を捧げる犠牲の道を歩むことにより、その代価として、カインの立場であるサタン世界を屈服させてきました。
 このようなサタン屈服の最高の頂点がいつの時であったのかというと、第二次大戦の時なのです。第二次大戦の直後を中心として、アベル圏としてのキリスト教が、カイン世界のすべてを、アベル圏の世界として皆掌握することのできる時であったというのです。それは、キリスト教文化圏が始めて全世界を主管することのできる特権を与えられた天賦の時だったのです。それを機会にアメリカが中心となって、一つのキリスト教文化圏の世界を作るべきであったのですが、惜しくもアメリカとキリスト教は天の御旨を知らなかったのです。どのようにすれば、この世界を一つに収拾し、神が願う天国に転換して、越えて行くことができるかをキリスト教自体が知らなかったというのであります。
 それは、天の御旨の中で送られる再臨主のみがご存知だったのです。アメリカとキリスト教自体がカイン・アベルの関係にあり、このキリスト教とアメリカが完全に一つになることによって、父母様が復帰できるようになっているのです。原理のみ言葉からしても、アベルを通してカインが復帰された後に、アダム・エバが復帰されるのであって、アダム・エバが先に復帰されることはありえないというのです。
 だから、あくまでも天の摂理は、父母の位置に立つアダム・エバが現れる以前に、逆になってしまったカイン・アベルの順序を復帰しなくてはなりません。そうでないと、いつまでもサタン側に長子が残っているということになります。本来、神の創造理想から見るならば、長子は天の側に立っており、もちろん次子も又天の側に立っていなくてはなりませんが、堕落の結果、長子圏がサタン側になり、次子圏が神側になってしまったのです。

 長子権復帰基盤の形成

 カインとアベルの立場を本来の立場に復帰するため、神はヤコブとエサウを通して役事されたことが聖書に記されています。エサウとヤコブの問題を中心にして見るとき、ヤコブはお母さんの協助を受けてから、お母さんと一つになって、パンとレンズ豆のあつものを与え、長子の嗣業を買い取ることで、長子権を奪う役事をしたのです。聖書の歴史の中に、どうしてこのような話が記されているのか、今まで誰も知らなかったというのです。
 それで、統一教会が現れることによって、原理観によってこれが明確になったというのです。即ち、父母を迎えるためには、次子の長子権復帰が必要であることを聖書は教えています。そして、今日に至っては、全世界的基準で復帰しなければ、父母様が父母様として登場することができないというのです。なぜかというと、堕落した父母はカインとアベルを生みました。サタン側の長子を生んだのであり、また、堕落したサタンの圏内にいるアベルを生んだからです。
 堕落圏を越えることによって、長子を天の側の長子として立たせ、次子も天の側の次子圏を成すことによって、堕落しない本然の世界に立つことができたとすれば、本来のアダムの創造理想になるのです。神が絶対的な存在である限り、その理想も絶対的に残されているために、これを再び蕩減復帰して、これを探し求めるための歴史過程を経てから、いつの日かこれを越えなくてはならないのです。
 それでは、全世界的に見る時に、先生自身の立場はどうなるかと言うと、この全世界がカイン圏におり、先生はアベル圏にいます。また、キリスト教を中心にして見るならば、キリスト教がカイン圏にあり、統一教会がアベル圏にいるというのです。アベル圏である統一教会に対してキリスト教は先に生まれたのですね。統一教会が、先に生まれたキリスト教から長子権を引き継がずしては、この世界的な父母を迎えることができないのであり、世界的なアベルを歓迎することができないというのです。
 それでは、来たるべき再臨主と人類全体を見る場合、すべての人類は先に生まれたというのです。いわば、サタン側に立っているのですが、来たるべき主様は天の側に立ち、アベル的立場で現れてから、これを再び元に戻さなくてはならないのです。
 アメリカとキリスト教が、カイン・アベルの基準において完全に一つになり、キリスト教を中心としてアメリカを動かすことがてきる立場に立てれば、この自由世界圏を中心として長子権復帰基盤が形成されるというのです。そしてまた、次子の立場であるキリスト教を中心として、長子であるアメリカという国家が従順に屈服することにより、初めて次子圏にあるキリスト教が世界的民主世界圏を屈服させたことになり、長子圏の位置に上って行くというのです。
 このようになってこそ、世界的父母様を迎えるのですが、本来の堕落しない立場では、誰が先に迎えなくてはならないかと言うと、長子であるカインが先に迎えなくてはならないのです。堕落していない長子が先に父母様を迎え、次子たちが続いて迎えなくてはならないというのが原理観なのです。

 長子圏蕩減のための闘い

 しかし、この第二次大戦直後に、キリスト教と統一教会が一つになれないことによって、世界的教団基盤において一つになることができなかったために、世界的教団がサタン側に立つようになりました。このことによって、アベル圏である統一教会に対して、カイン圏キリスト教が完全にサタン側に回ってしまったことになります。
 本来、これらはすべて来たるべき主様を中心に準備しておかれたものでした。それ故、統一教会だけを迎え入れ、一つになったならば、その時にカイン・アベル圏を中心にして、アメリカは自然に吸収されていたのです。これが完全に一つになったならば、天の側の長子と次子の原理的基準に立脚した場において、初めて世界的基準で父母様を迎え、一つの世界を創建するための出発がなくてはならないというのが原理観なのです。
 しかし、キリスト教が統一教会に反対したため、キリスト教文化圏を中心とするすべての国と、アメリカに属するすべての国までが、統一教会に反対するようになりました。そこには数多くの宗教、数多くの人類が全部加担して、今日まで統一教会を中心にして先生に反対して来たというのです。
 この反対される中で何をしたかと言うと、長子圏を蕩減してきたのです。それには、四千年歴史を二十年間で蕩減しなくてはならない内容がありました。予定としては、一九六〇年から一九八一年までが決められた期間でしたが、これを四年間短縮して、一九七六年までに蕩減条件を立てて来たというのです。そして、今はその延長線上にあります。
 当時、アメリカを中心として日韓が一つになったならば、復帰されたカイン・アベル圏を中心にした世界的基盤を築くはずでした。しかし、ニクソンの失脚に伴い、これらが一つになれず、指導者たちは非運の道を歩むことになりました。
 これを再び蕩減復帰するための、一九七二年から十二年間にわたるアメリカでの闘争過程において、長子圏としての使命を果たさなくてはならない教界とアメリカに反対され、先生は今まで追われ追われて監獄にまで行くようになったのです。それが今継続しているのです。
 今、八月二十日まで四日を残して、四十年目の解放の記念式を執り行い、四日後に先生が解放されるということは意義があるのです。四十四数。これはサタン数の完全数です。そのような数を中心にして、蕩減復帰の道を今なお歩んでいるというのです。

 本然のカイン・アベル観
 今、我々統一家を中心としてみるときに、統一家のアベルが誰かというと、先生の息子なのです。統一教会自体から見るならば、祝福を受けた家庭、または祝福を受けた人が、祝福を受けていない統一教会の会員たちの前ではアベルです。それで順理的に一つになるようになっているのです。同じ原理を学び、同じ父母に侍ることができるという事実が驚くべきことなのです。もし、父母がいないとしたら争いが起きます。しかし、今、祝福を受けた子女たちが、あの祝福を受けた人々がアベルの位置にいるのに、カイン側に立った統一教会員たちは反対しないのです。順応するというのです。それが違うというのです。
 では、統一教会と先生の家庭とを見るときには誰がアベルですか? それは先生の息子、直系の子女が統一教会の祝福を受けた家庭の前にアベルの位置にいるのです。
 このような観点から、統一教会では祝福を受けていない信者たちは、祝福を受けた人たちに対し無条件に順応し、付いて行かなければならないのであり、そこには異議を唱える余地がありません。そうでなければ、エデンの園の堕落した蕩減内容の基準が順理的に解決されないというのです。それと同じく、統一教会員であれば、祝福家庭であるなしに拘らず、父母様を中心にした直系の子女の前には従わなければならないというのです。
 それはなぜかと言うと、カイン・アベル問題をここで清算しなくてはならないからです。そのため、先生は監獄に入る前に、この孝進君に一つの仕事を命じました。問題は何かというと、今、統一教会の先生の家庭を中心として見ると、誰が神の御旨をすべて成し遂げるかということです。先生の年齢ははや六十五歳なのです。これから先、先生一代で、ある伝統的基準は立てることはできますが、全世界を完全に復帰するのは難しいのです。そのために、二世、三世まで連結させてから解放しなければならないという、このような歴史的摂理観が残っているのです。
 神、アダム・エバ、カインは三代です。三代を中心にして四位基台が繰り広げられるのです。三段階、これを展開させると四位基台になります。三段階には祖父、父、子女がいます。だから、一家にいつも三代が一緒に住むのが原則なのです。これが家庭基盤の基台になるというのです。このように、統一家を中心としてみるときに、先生を父母様として侍るとするならば、今度は先生の息子がアベルの位置ですが、ここから長子の位置に回ると長子圏が始まるのです。真の父母様を中心とした位置で長子圏が生まれるのであって、父母様がいなくては、長子圏が設定できません。今まではアベル圏であったものを延期させてカイン圏を復帰し、メシヤを迎えることのできる歴史的所望の道を歩んできたのです。
 しかし、今、再臨理想を成した父母様が現れることによって蕩減復帰を成したために、今度は天の側の父母様の息子・娘たちが、長子・次子復帰基準を備えなければならないというのです。

 地上天国実現出発の基準

 ところが、この世界がアダムの息子として生まれた外的世界であるために、これを横的にどのように連結するかが問題になります。先生の家庭の息子たちをカイン圏として、兄さんとして見るならば、この世で未だ復帰されていない人たちはアベル圏として見るのです。アベル圏は唯順応だけすれば良いのです。
 過去のように蕩減復帰という名詞があるのでなく、これからは信じて従ってさえ来れば良いのです。長子たちが設定されたので、長子たちの行く道を付いてさえ行くならば、統一教会の祝福を受けた家庭はもちろんのこと、その二世全体がアベル圏として自動的に設定されるのです。その話は何かというと、蕩減復帰が必要ない時代に入って行くということなのです。
 ここに、順理的基準が初めて立ったのです。歴史的なカイン・アベルの過程を中心にして、個人蕩減や家庭蕩減や、氏族、民族、国家、世界、天宙史的なすべての蕩減を終えて、その上の位置に立てられた父母様の勝利の基盤を通して、今度は横的な面において、父母様の息子・娘たちが長子圏となり、統一教会の二世たちが次子圏となって、長子圏と次子圏を横的に展開する時代を迎えなくては、地上天国実現出発が不可能だというのです。分かりますか? 原理がそうなっています。
 地上天国についてどんなに語ったとしても、長子圏と次子圏が、神を中心に勝利した父母の基準と、その血統的因縁を通して関係を結ばずしては、地上天国顕現が原理観的立場からみて不可能だというのです。それをしっかりと知らなくてはならないのです。
 それならば、このようなことをいつ決定するのでしょうか? 今日、統一教会の歴史において、このような決定をいつなしたかということが重要なことです。これを決定せずしては、サタンを根本的に追い払うことができないというのです。それで、先生はこの御旨を進めるため、入監以前に孝進君を立てて、二世たちを一つにする運動を展開させたのです。先生の長男としての立場で責任を持たせたのです。従って、祝福を受けた家庭は一つになって付いて行かなくてはなりません。

 そこには反対する異議があり得ないのです。“私のが良い”とか、“アメリカ式が良い”などという意見が出てもならないのです。もっとも、アメリカ式では運動を成功させることができません。いずれにせよ、何式であろうと、父母様が提唱するその式に従うことによって天国の道を行けるのであって、アメリカとか韓国の今までの伝統的な習慣性を通しては、天国への道は成すことができないというのです。
 あくまでも、父母様を中心にして一つになった基準の長子圏、次子圏が横的に設定されない限り、天国実現の出発が不可能です。これを確実に知らなければなりません。

<続く>み言 その2
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201805130002/
み言 その3https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201805140000/
み言 その4
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201805140001/
み言 その5https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201805150000/

《1990年 第2回「世界宗教議会」、「世界平和宗教連合」創設宣布》

天聖経p1103
10 先生は、神様の愛を実践することに全生涯を捧げました。神様の真の息子の立場で、皆さんも通過しなければならないのと同様な路程を歩んできました。 私たちがそこで完全に成功できるならば、解決できない問題はありません。それで、「世界平和宗教連合」を創設したのです。この機構を創設することによっ て、宗教が神様を中心とした理想家庭と社会、一つの世界を成し遂げることに協力できるようになったのです。

真の父母経p1283
15 一九九〇年八月十六日に、第二回「世界宗教議会」を開催します。この宗教議会では何をしようというのでしょうか。宗教界や国々が一つになり、一つの統一的 な国の形態をつくって、兄弟のように暮らそうというのです。宗教議会でビザさえ出してあげれば、どこにでも行けるようにします。そのような運動をするので す。
 それで今、何をしているのでしょうか。一つの経典を作っています。そのためには、そこに歴史観が必要です。哲学的内容から、すべての理論的体制を整えて、人間の根本問題を究明できる一つの教理を編成しなければなりません。

16 宗教には国がありません。世界的国家がないというのです。宗教が主人となっている国はどこでしょうか。それをつくっていこうとしているので、「世界宗教議 会」を通して超宗教的立場から、宗教理論に排他的な共産主義と、人倫道徳を破綻させる邪悪な人本主義思想を消化しようと提唱したのです。逆さまにならなけ ればなりません。このように大きな理想があります。
 ですから、一つの経典が必要なのです。みな経典のゆえに争いが起きています。各経典において天理大道の核が何かを明らかにし、それを基盤として大きな教団の教理の核心を抜き取って、一つの経典を編成しようというのです。

17 宗教の争いを防ぐために、一つの経典を作らなければなりません。経典を一つにしなければならないというのです。ですから、一九八五年から今まで六年の歳月 を送りながら、あらゆる教団の有名な神学者たちを集めて自分たちの教理の核心を抜き出させ、一つの経典として作るための準備を四年前に終え、編修のための 鑑定要員として学界の専門家を動員し、監修を行っています。このような人々が監修したその標本のもとで、一つの経典を発表するつもりです。
 経典が多くてはいけません。イスラームは、イスラームだけ知っていてはいけません。イスラーム圏も、キリスト教文化圏を知らなければなりません。宗 教圏の人口は人類全体の三分の二以上です。神様が世界を統治できる時が来たことを知らなければなりません。そのような世界を早くつくらなければならないと いうのです。

18 一つの『世界経典』を作ることを主張しました。これは、一九八五年の第一回「世界宗教議会」で決定し、九一年に出版されます。イスラームの指導者である皆 さんも、他の教派を知らなければなりません。イスラームだけを知っているのでは駄目です。キリスト教も知らなければならず、儒教も知らなければならず、仏 教も知らなければならず、統一教会も知らなければなりません。
 それでは、なぜ統一教会の教えをまず聞かせるのでしょうか。私がこのようなことを提唱し、理論的な側面や、見つめる観点においてリードしているの で、それをまず聞きなさいというのです。皆さんを教化させて統一教会員にしようという考えは微塵もありません。統一教会員になるという人がいても、必ず送 り返そうと考える人です。
 一つの経典を作ることが簡単だと思いますか。各宗教の世界的な学者たちで委員会をつくって、「皆さんの宗教の教理から、一つの世界的な経典を作るに 当たって提出できる内容をすべて抜き出しなさい」と言って編成したのです。そうして、共同会議を四回も開いて世界的な大学者たちの審議過程を経ました。誰 が見ても妥当だと言える内容を中心に、『世界経典』を編成したのです。

19 一九九〇年八月十六日、アメリカのサンフランシスコで開かれた第二回「世界宗教議会」において、『世界経典』を確定しました。経典を一つにするのです。神 様を中心とした目的は、絶対者の目的であり、絶対者の目的は、二つではありません。み旨が二つにはなり得ないというのです。一つだというのです。そのよう な観点で、絶対者である神様を中心とした理想郷を追求していくのが摂理観だというとき、ここには必ず教育が必要になります。経典は、教科書と同じですが、 その教科書が二つにはなり得ないのです。
 ですから、これを今まで準備してきました。六年ほどかかったのです。六年間、世界的な大学者たち、イスラームの学者から、ヒンドゥー教の学者、仏教 の学者、カトリックの学者、プロテスタントの学者まで、すべての宗教の学者たちに対して、「自分たちの経典を中心として、世界に残すことができ、今後出て くる『世界経典』にこれが抜けてはいけないという最高の内容を抜き出しなさい」と言ったのです。深い内容は大慨みな同じです。

20 経典は、人間のために存在します。私が『世界経典』を公認するまで、教団の指導者や世界的に有名な教団の博士たちが審議をしました。そのようにして、数回 ずつ直し、一つの経典を作ったのです。仏教であれば仏教、儒教であれば儒教など、十二の宗教の代表となる経典をすべて集めて作りました。
 今までの経典は、出発がはっきりしておらず、終わりもはっきりしていませんでした。統一教会の教えを中心として、これを再び作ったのです。創世から あらゆる史観的な論理を備えているのが統一教会の教えなので、統一教会の教えを入れないわけにはいきません。世界の有名な神学者が編成の責任者になって作 り、一九九一年八月十五日に、私に献納したのです。

平和経p448真の愛の伝承と伝統
日付:一九九〇年八月十六日
場所:アメリカ、サンフランシスコ、ハイアット・リージェンシー・ホテル
行事:第二回「世界宗教議会」
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/42?svc=cafeapi
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