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統一運動《7/5 今日は何があった?》

1965年 中南米巡回、5カ所の聖地選定 チリ、サンティアゴ
1967年真のお父様婦人部と和動(南平台)参加した久保木哲子さん入教
1967年福田信子さん 第2回中華民国開拓伝道出発
1973年 日本第1回100日修錬会 日本東京
1977年 「世界宣教本部」設立、「ワンウェイ・プロダクション映画社」設立
1978年 第1回超教派国際会議、ソウル、アンバサダー・ホテル
1995年 「真の家庭と私」中南米17か国巡回講演 コスタリカ、サンホセ、ウィンダム・サン・ノゼ・エラドゥーラ・ホテル
2000年三橋イトさん(真のお父様が日本留学時代に下宿していた家主主人)が昇華(享年96)
2001年 神様祖国定着大会 真のお父様、京畿・江原、ソウル・シェラトン・ウォーカーヒル・ホテル/真のお母様、光州、新陽パーク・ホテル
2006年 「天宙平和連合」祖国郷土還元120か国大会 ハンガリー、ブダペスト、コリンシア・グランド・ホテル・ロイヤル
2007年 2007太平聖代平和交叉祝福式、天安、柳寛順室内体育館
2022年平和統一聯合創設18周年記念大会(神日本)

《1967年真のお父様婦人部と和動(南平台)参加した久保木哲子さん入教》
日本統一運動史(光言社)p263

御言 (7.5)
 7月5日、 渋谷区南平台において、真の御父母様を迎え、 婦人部集会が開かれました。 そこには、当時まだ入教していなかった久保木哲子会長夫人も参加されました。

久保木哲子会長夫人の証し
 「1967年7月・・・会長から私に電話がかかったのです。... 「先生が今韓国からおいでになっている。 明日、婦人部に対して御言を語られるから、あなたも是非先生のお話を伺うように」と言うのです。…その時、…私は遅れて着いたので、一番後ろに座って先生のお話を伺いました。当時の先生の日本語は、今と違って大変聞き取りにくく、ましてや私は一度も御言を聞いたことがない上に、 その御言を語られるのですから、私には何が何だかさっぱりわからずじまいでした。
 お話が終わると・・・ 『久保木でございます』 と普通の挨拶をしました。先生はニコニコ笑いながら 『久保木さんかね。 ・・・奥さん、 この道は、あなたも本当に献身していかなければいけない道なのですよ」。 「はい、まいります。 私がそう答えると、 先生は 『はい、わかりました」とおっしゃいました。 ・・・
 しかし、ハッと我に返ると 『アー、 大変なことを言ってしまった、私には医者から見放されて死ぬかも知れない長男がいる、他に二人の子供と年老いた両親を抱えて、 仕事を持っている身である私が、 どうしてすべてを犠牲にして統一教会の道を歩むことができようかとそういう思いが沸いてくるのです。
 その場を退席してから会長に 『先生に何と言われたのだ」と聞かれると、私は『はい』と答えてしまったいきさつを話しました。 すると会長はニヤニヤ笑って「そうか、じゃ私も今夜は一緒に帰ろう」というのです。そしてその晩は、 会長と共に両親の前ですべてを話すことになりました。
 私はその日にあった出来事を両親の前に正直に、 包み隠さず話しました。・・・話しつつも、もう一人の私が自分なりに考えているのです。「おそらく両親は、大反対するに違いない』 そういう思いが心の片隅にあるのです。 話を聞くと、両親は確かにびっくりしてしまって、10分間ぐらいは沈黙で、 腕を組んで目をつぶってジーッと考えこんでしまいました。やがて口を開いて出た言葉が 『そうか、 まあ先生がおっしゃったことは当然じゃないか』 と言うのです。 「夫婦というものは、 どんなに厳しい道であっても、 あなたが夫に付いて行って共に苦労しよう、とあなた自身が決意するならば、 行くのは当然だよ。 先生が言われることは当然じゃないか』。 こういう両親の返答に対して、あまりに思いがけないことで、 嬉しいやら何やらで私はその場でワーワー泣き出してしまいました。 そうして・・・ 『子供たちのことは、 おじいちゃん、おばあちゃんが何とか面倒をみるから、 先生の言われた通りに、 あなたは教会に行って夫を助けてやりなさい』 と言ってくれたのです。」
(1977. 1. 7)

《1973年 日本第1回100日修錬会》
日本統一運動史(光言社)p336

 社会・国家・世界の指導者となるものはまず三つの力、すなわち正しい価値観に基づく説得力、 渉外力・ 外交力、 経営力を持つべきという御言から、原理・勝共理論・統一思想を学び、 伝道能力、 経営能力を高めるための100日修練会が、 指導者クラスを対象としてスタートしました。 日本においては第1期から第18期まで行われ、 後に40修に引き継がれていきました。
御言
 「原理をわからなくてはならない。・・・今までやってきたものは、みんな先生から見たら不合格である。 先生がずっとそれなりに強く言ったそのことが、 日本において果たせられないのはなぜか。 これは姿勢がなっていない。 先生が教育しなければならないと思う。 頭よりも現実的に訓練しなくてはならない。 百日修練会はそうだよ。」

《2007年 2007太平聖代平和交叉祝福式》
日本統一運動史2(光言社)p459

 人種、文化、国境、 宗教の違いを超えた結婚によって理想家庭を築き、神様の下の人類一家族世界実現を目指す 「2007 太平聖代平和交叉交体祝福結婚式」が、2007年7月5日、韓国・ 天安の柳寛順体育館で挙行されました。会場には、 1634双の新郎新婦とその家族や親戚など5000人以上が詰めかけました。 式典は午前11時、黄善祚会長の司会で始まり、祝福を紹介する映像の上映に続いて、真の家庭を代表して壇上に並んだ文顯進様、國進樣、善進樣、 亨進様、 信美様の各御夫妻が紹介されました。
 任導淳総会長の祈祷に続き、 郭錠煥会長が礼式の辞を述べ、 「神様の真の愛の理想は、地上だけでなく、 天上世界まで続く永遠なものです。 真の父母様が立てられた訓読の伝統を、 家庭と氏族、 さらに生活圏に定着させ、真の夫婦の理想を実現し、善なる子女を生み、彼らを天一国の模範的な市民として養育しなければなりません。 皆さんは、真の父母様の『ためにのみ生きる』 生涯にならい、平和世界を成す主役となるようにお願いします」 と新郎新婦を激励しました。 
 主礼であられる真の父母様が入場され、 郭錠煥会長が 「告天文」を読み上げ、 交叉交体祝福結婚式に参加した新郎新婦は、真の愛の夫婦として、真の家庭を目指していくことを誓いました。 続いて、壇上に上った24双の代表カップルが真の父母様の前に立ち、 聖婚問答が行われました。
 祝祷の後、新郎新婦の指輪交換が行われ、 壇上の代表3家庭には真の父母様から指輪が直接手渡されました。 真の父母様が、 神様と真の父母と世界と天宙の前に聖婚が成立したことを宣布されました。

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