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ハム吾郎が死んだ

久しぶりにクラシックギターでも弾こうかしらん、と思ってギターを見ると弦が二本切れている。
弦を買うような金もない僕はぢっと手を見る。

ハムスターが死んだ。
僕はハム吾郎と呼んでいたけれど本当の名前は知らない。

ハム吾郎を飼っていたのは僕ではなく母だった。
母は令和四年三月三十一日にこの家を出て行った。追い出されたと言った方が正しいかもしれない。
その経緯はまた後日書くとして、母は家を出る前にハム吾郎を見て
「誰か面倒見てくれないかなぁ」
と呟いて家を出て行ったという。無責任にも程があるよねぇ、と僕はハム吾郎に話しかけた。ハム吾郎は気が狂ったようにケージの柵を齧っていた。彼にも彼の怒りがある。仕方がないので彼の面倒は僕が見ることにした。

はっきり言って僕はこの手の動物が苦手だ。目がぐりぐりしていて臭くて素早くて気持ちが悪いので、ハムスターをかわいい〜よちよち〜などと評している人間を見ると正気を疑う。ハムスター共は目も全部黒い。目が全部黒いやつは大抵正気ではないから、ペットショップなどは空間に理性が存在しないのとほぼ同義。やつらはケダモノが飼う獣。と、ハムスター厭悪を持ちながら嫌々飼い始めたわけだけども、飼うからには生き物を粗雑に扱うことは許されない。
それに、家を出て行った母が飼育放棄した、という物語性を突如取得しメタフォリカルな存在へと昇華したこの小さな生き物に、僕は正直なところ同情と面白味を感じていた。

母はろくに掃除などしておらず、ケージの中は床材より糞の方が多いような有様だったから、まずハム吾郎を隔離してケージを分解し、掃除した。その際ハム吾郎を手に乗せると小指を思い切り噛まれ血が出た。こいつ川に捨てたら独自の進化とかすんじゃね?とおもった。
ケージを天日干ししている間になけなしの金をはたいて床材と栄養のあるペレットとハムスターの遊び道具を買った。見たところエサも栄養など考えずひまわりの種や残飯をテキトーに与えていたようで、掃除の際その残滓が山のように出てきた。
ケージを組み立てハム吾郎の体重を測り適切な量のエサをエサ皿に入れたあと、ケージも替えたいなあ、と僕は呟いた。ケージは所々破損していてなんとかガムテープで修繕したけれど、ハム吾郎は過去に何度もその破損部分から脱走した脱走名人だから(そういう騒ぎもあって母の飼っているハムスターが嫌いだった)、もっと機能的で優れたケージに替えてやりたかった。
そういった思いを僕が呟くと、後方にいた父は、そいつもうすぐ死ぬだろうから替えなくてもいいんじゃないか?と言った。
ハム吾郎がどれほど前からうちにいるかははっきりとは分からないけど、少なくとも二年から二年半は生きている。飼育下のジャンガリアンハムスターの寿命はちょうどそれくらい。元気に走り回ってはいるけれど、たしかに風前の灯には変わりない。
僕は父の一言を黙殺した。買ってきたペレットを貪るハム吾郎に心の中で、次の給料日には新しい家を買ってやる、と伝えた。ハム吾郎は誰に奪われることもないであろう食糧をせっせと頬に詰めていた。

つづく

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