graphic designer (1st draft)

2100年を少し過ぎた頃。

予想より少しだけ遅く到来したシンギュラリティを超え、世界は人類とほぼ同数となった偏向的アルゴリズム(つまりは自我)を持つロボットたちとの生活を、ようやく日常として受け入れ始めていた。

この頃までには、従来の「言葉」をベースとしたコミュニケーションは、人間同士の至極ローカルでプライベートなものへと移行しつつあった。
すでに行政機関からの情報や、企業が発信する情報は「感覚共有統合基盤」を通した知覚情報として発信されていた。
感覚共有統合基盤とは、「ユニオ※1」によって整備された新たな概念の情報インフラである。ユニオは人間とロボットが同じ感覚を共有する手法について研究を重ねた結果、この基盤を生み出した。
仕組みはこうだ。情報発信者は、人間の五感をベースとしたフォーマットによる記録情報を、感覚共有統合基盤にアップロードする。この情報は瞬時に全世界の共感覚受容器を持つ人間・ロボットがアクセスできる状態となる。
次いで、情報発信者によって提供されるマーカーをトリガーとして、記録があまねく世界に配信され、受容者に情報を想起させるわけである。受容者は、様々な感覚を刺激するトリガーによって、情報発信者により記録された感覚を、『体験』として受け取ることができる。言葉で表現することは難しいが、それは、夢や幻に似たものかもしれない。

情報を受け取るための受容器は、すべての成人※2とロボットに例外なく埋め込まれている。人間の場合、それは脳の表面に電気的刺激を与える回路であり、すべての感覚に外部からアプローチできる。ロボットもこれにより、言語やデータでは理解できなかった感情や情動を、アルゴリズム外の体験によって獲得できるようになった。ユニオの主張する、ロボットの人権はこの技術なくして保護されることはないのである。

とはいえ、容易に想像できるように、これは人やロボットの感覚を乗っ取ることすらできる、大変危険な技術でもある。あらゆる国家、犯罪集団がこの技術のハッキングを試みるようになったのも頷ける。(成功するものはいなかったが)
そのため、普及フェーズに移行した段階で、情報発信者側にはライセンスの交付が必須となり、世界的に統一されたレギュレーションのもと運用されることとなった。
想起のトリガーとなるマーカーの作成は、ユニオによって制作された完全拒絶型排他的AI「ロゴス」により、登録と同時に唯一無二のリアルタイムレコードとして配信される。レコードには刺激する感覚ごとに形式が定められており、視覚を通して刺激を与える「グラフィックレコード」をトリガーとするものが、最も広く普及していた。
レコードのそれぞれが情報寿命までの期間、感覚共有統合基盤と連動し、ミリ秒単位で変容していく仕様であるため、コピーは完全に不可能となっている。

これは、そんな時代の、コミュニケーションの話である。

技術がどんなに進んでも、人間はやはり、特別な思いを伝える時に、その手法自体にも意味を必要とする生き物だった。
そのため、個人的な感情の情動を、感覚共有統合基盤を通してプライベートに配信することを希望するものは後を絶たなかった。
技術の成熟期になった頃、一部の個人へ、基盤の利用が開放されることとなる。
それに伴い、ロゴスにより生みだされるリアルタイムグラフィックレコードの無機質さを嫌う者達が、ユニオの許可を得てグラフィックレコードを独自生成する技術を持つようになった。
彼らは、個人的な依頼に基づき、唯一無二のオリジナルなグラフィックレコード(オフラインのパーマネントレコード)を生成することを許された、有資格者となった。
生成したレコードは、決められた手順でロゴスへ申請することにより、感覚共有統合基盤への登録と、想起用アクセスキーの発行を受けることができる。
レコードの作成は、非常に難易度の高い技術である。ユニオによって策定された100以上のレギュレーションをクリアしていることはもちろん、唯一無二であることが必須である。これは、世界に存在する何にも似ていないということである。ふと訪れた街の、道路のシミに同じグラフィックがあったなら、そこで情報が想起されてしまうかもしれないからである。(もっとも、トリガーはグラフィックだけではないので、偶然に重なったとしてもすぐに情報が想起されることはないが、大きな部分を占めていることに変わりないため、万が一を考慮し、ライセンス提供の最重要要件となっている)

そんな彼らの作るレコードは、ひとつひとつがストイックに作り込まれたユニークなもので、どこか有機的な一面をもっていた。レコード自体が人間の根幹に訴える美しさや儚さを持つものだった。
多くの人たちが、彼らの仕事に魅了されるのにさほど時間は必要ではなかったように思う。

いつしか人々は彼らを、敬意を込めてこう呼んだ。

『グラフィックデザイナー』

それは、シンギュラリティ以前に存在した、失われた職業であった。


※1.ユニオ:偏向的アルゴリズムを搭載するロボットに対する人権にも似た権利の必要性を提唱し、それを体系的に定めることに成功した欧州の天才科学者集団。出自などの一切は不明。

※2.受容器の成人への埋め込み:すべての登録された人間は16歳の誕生日に、特定の医療機関にて受容器の埋め込みを行う。埋め込みと言っても、外科的手術を行うわけではない。液状のナノマシンを注入することで、回路が形成される仕組みである。

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