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ピロリン酸カルシウム結晶沈着症

長い!症状が痛風や変形性関節症、リウマチに似るため全てにニセの文字がつき偽痛風、偽変形性関節症、偽リウマチなどとも呼ばれる。

はい、足首が腫れて激痛です!○UCK!!画像はマイ杖に貼ったステッカー。裏側にはKILL THEM ALLのステッカー。○殺しだ!(発作のときのオレの気分を如何なく主張)

チチが亡くなったあと、母が未だにたまにパンドラの匣を開けて呪詛をつぶやくその中に、子供(アニとアタシ)やハハが風邪や怪我などの時に仕事と仕事と称する飲み会を優先したチチへの呪詛。「タクシーでも呼んで病院に行ってくれば」とさっさと出勤していったそうで、子供の場合はそれもアリだが今なら経済的DVて言われても仕方ないほど最小限のカネしか家に入れず(ハハはチチの給与明細を一度も見たことがない)余裕がない中で自分が具合悪いのにタクシーを使うということに躊躇したことは想像できる。聞けば幼馴染の一家を例に出し「〇〇さんのパパちゃんは仕事休んで送り迎えとかしていた」そうで、そりゃ切なくなるわなぁ。

アタシも見た決定打はアタシがもう勤めていて30代、ハハが重いインフルAにかかったときのこと。高熱、寒気、咳等々、とても家事どころじゃない。アタシがいる時間はやるけど、もう退職して家にいたチチの「オレのメシは」発言(よく聞きますね)からの富山の本家に遊びに行く予定を…敢行。さすがに怒りを通り越して唖然とした。

出勤途中に行きつけの内科があるのでタクシーで送り「帰りもタクシー呼んでもらいなさいよ!」とキツくいい、仕事帰りに買い出しをして帰って部屋を覗こうとしたらふすまに

「私はインフルAです。部屋にはいらないでください」と張り紙が。

二十歳の時に従姉妹からもらった(子供が持ってくるウイルス、キョーレツなのはなぜ)重いインフル経験のあるアタシは抗体がある自信があったので構わず急いで晩ごはんを作りハハに食べさせ看護。寝続けたため腰もやられてかがめなくなったから清拭やら着替えもね。

そこへチリーンと電話。チチである。ベロンベロンに酔っ払って「母さんどうだ〜?」は?てめ?そのまま帰ってくんなクソが!と思ったが「インフルだったよ、よく放って行けたよね」と嫌味を言った。ら!「こっち来ててよかったな〜、伝染らなくて済んだ」だと。クソオブクソだし「屎上更加尖(シジョウサラニセンヲクワウ)」を絵に書いたようだった。

おまけに帰ってから連日のヘベレケが抜けていないだけなのに「伝染ったかも!」と大騒ぎしてハハの通院に同行し、病み上がりのハハを一緒に待たせ、検査受けたら陰性。でも具合が悪いとおかゆを炊かせたりする始末。帰ってきてそれを聞いて○ねや!ってマジで思った。もう死んだからいくら言ってもいい。

そりゃ呪詛が出てもしゃーないわと思う。

が。それを聞いててはて?となった。今までまぁ風引いて寝込んだらセコマのカツ丼を買ってきてくれたり(オレは風邪のときは白粥しか受け付けないんだけど…)狭心症発作のときも慣れてきたとはいえ煮え湯を急いで沸かしてくれたり、作れたら作るし作れないならそれなりになにかしてくれるオット氏だが、持病があるため気をつけているのもあり、今まで入院とかないしどっちかってぇと急性胆嚢炎に突発性難聴と入院や倒れたりはあっちの方で、介護するのはアタシばかり、イザというとき仕事休んでまでなにかしてくれるんだろうか?ってなった。

そしたら今朝、家の中でも杖をついてヨタヨタしているアタシに「動けるの?!動けるの?!」とやけに確認してくるオット。まぁ慣れてはいるので「買い物は自転車使えばなんとかなるし…」とか答えたら「そう」と言うのではて?と思い、出がけに「動けないって答えてたら何があんの?」って訊いてみたら「動けないなら午後から仕事休かな。どうなの?大丈夫?」と訊いてきた。へぇぇ〜。うちのチチより(比べんなって言われそうやけど)百倍マシだった。よかった。

追記
「試されてる」と思ったのかホントに四時ころに帰ってきて自分のお弁当箱を洗ってた。(いつもは言わないとやらない)いや試してないけど。

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