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21years ago.....

1995年の初夏、高校時代の同級生に誘われて、むさしのFMという都内で初めてのコミュニティFM局で番組制作に関わる機会を得る事が出来ました。

友人は日大の芸術学部放送学科に通っていました。

アナウンサーの女の子たちも卒業後は見事に局アナになるような凄い人達に囲まれた私の役割は選曲家。

音楽雑誌の内容をまるまる暗記するくらいののめり込みようだった高校時代の自分を知る友人から声をかけて貰っての事だったのです。

当時、大学浪人を2年もしてしまい、かつ第一志望校にも入る事が出来ず、不本意(?)な大学生生活を過ごす事になった自分からすると思いもかけないチャンスだったのです。

退屈な日常からの脱却。

入学してからは己の力不足を嘆いては現実を受け入れざるを得ない事に深く絶望し、学校に行っても誰かと交わる事もなく図書館にこもって本を読むか寝ているか。

当時の張り合いはバイト代を趣味の音楽や書籍に総突っ込みする事だけ。

とにかく、ダメダメな毎日を過ごしていた時の、たまさかのオファー。

そこからやっと大学生になってはじめてやる気が出る毎日を過ごすようになりました。

Radio Days

番組の名前はVoice of むさしの。

Sound Scapeという技法を使って吉祥寺周辺を歩く方々に質問をしてインタビューに答える。

私は選曲家なのでディレクターだった友人とインタビューの音声などを聞きながら、近所のファミレスで当時はポータブルCDプレイヤー(CDウォークマン)と大量のCDを持ち込んでは、友人の話す言葉にフィットする音楽を聴かせて、1つずつ構成を決めていく。

BGMになるような音源は余り持っていなかったが、時には採用される事もあったりで、月に1〜2回の放送のための準備はとにかく楽しくて仕方がなかったのであります。

ともすると放送業界で働く事を志望する放送学科の方々に混じり、法学部の人間である自分がセミプロみたいな軍団と一緒に仕事をする。

報酬はゼロ円。持ち出しばっかり。

だけどもとてもエキサイティングな毎日でした。

寝ても覚めても番組の事、音楽の事。

何もやる事がなかったから余計に熱中したんでしょうね。

特番までやらせて貰えて本当に有難い限りでした。

Party is over.

寝ても覚めても頭の中を支配するくらい夢中になって取り組んでいた番組制作も、やがて終わりを迎える時が来ます。

私以外のメンバーはみな大学3年生。

契約的にもそして就職活動の準備のため、という事もあり次の世代にバトンタッチという事で、友人が代表を務めていたグループの順番は終了しました。

半年にも満たなかった番組制作でしたが、もの凄く充実していた事、そしてもう2度とこんな楽しい経験出来ないんだろうなあ、という虚脱感。

日常に戻る怖さ、虚しさを噛み締める日がそれ以降続きました。

宴の後の虚しさ、みたいなもんですかね。

それから約1年後、江古田にある居酒屋に呼ばれてみんなでお疲れさん会やったんです。

その時は殆どのメンバーは就職先も決まっていたんです。

地方の局アナに内定した!とか有名な広告代理店に就職するんだ!とか、派手な話も聞く反面、当時は就職氷河期でもあったのでフリーターとして就職先を探すという話しをしていた人もいました。

ある時点では共に素晴らしい思い出を共有しながらも、ある時期を境に私達は別々の道を選択し、そしてまた新しい道を歩く。

いつかまた会おう、と言ってもう2度と逢えないかもしれない人がいたのかな、なんてふと思ったりします。

As Time goes by.....

あれから21年。

あの時の経験は自分の職業選択に大きな影響を与えたのは事実です。

新卒時に音楽産業を選んだのもこの時の経験が決定打になりましたね。

自分なりに考えるものを世に問うてみたいという気持ちが凄く強くなったのです。

元々ミュージシャンになりたくて挫折し、物書きにもなろうと思ったけど、自分には文才がなくてやはりここでも挫けた。画才は元々ない。美的センスがあるかどうかと言われると、ない。

ルックスもいいわけではない。よかったら思いっきり人生変わっていたんだろうなあ。

で、残されたものは何か。

大学の中庭で延々煙草を吸いながら空に消えていく煙を眺めつつ、色々考えておりました。

わかった事は、少なくともステージの上でスポットライトを浴びる役回りではないな、という事。

そして、黒子に徹する仕事が向いているという事。

もっと言うと、プロデューサー的な役割が向いているのかな、と思ったんですね。

つんくがまだモーニング娘。をやる前の話しですし、あの秋元康がAKBをやる前の話しでもあります。

アイドルのプロデューサーなろうとは思わなかったですが、ダイヤの原石を見つけて磨いて売れるタレントを作り出してみよう!なんて事を思いましたね。

叶わなかった夢でしたが。

人を喜ばせてナンボの商売に憧れがあったのは事実ですね。今でもお客に喜んで貰える事がうれしかったりしますし。

今はご縁があり、色々書かせて頂いてますが、少しでも読んでくれた人の役に立てば、っていう思いでやっているのも、喜ばせてナンボの精神がどこか活きているということなんでしょうね。

とりとめのない話しでしたが、ふと、電車の中で思い出した事をザクザクっと書いてみました。

若い人は思いつきでもなんでもいいから、やりたいと思った事は全てやってみるといい。全て肥やしになる。

ってことを言いたかっただけなのかも。

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