ミッキーマウスと家族の思い出
東京ディズニーランドが出来た1983年。
当時小学生だった私は父親の仕事の都合で札幌市に住んでました。
妻も当時は小学生。東京生まれの東京育ち。
開園する1年も前から親にねだってパークのガイドブックを穴があくくらいまで読み込んでいたのだそうです。
私はTVCMで観たことがあるのですが東京ディズニーランドと言われてもこっちは札幌だしなあ、なんてくらいにしか思ってませんでした。
開園した年の夏。
妻は家族や友人一家と大勢で葛西からバスに乗って東京ディズニーランドに遊びに来たそうです。
今でも当時の記憶は鮮明で、あの時お姉ちゃんはああだった、お母さんはこうだった、という話しをしてくれるのです。
帰り際、帰りたくないとダダをコネて、いつかは絶対ここに住むと心に誓ってパークアウトしたんだとか。
妻にとっての東京ディズニーリゾートとは何か。
幼い時にお母さんが買ってくれた生まれてはじめてのぬいぐるみ、それがミッキーマウスだったのだそうです。
3姉妹の末っ子だった妻。
上の2人は年子、そしてわりと年齢の離れた妹が妻。
そんな事で上のお姉さんは友達と遊びに出掛けても小さくて家にいるしかなかった妻はお母さんが買ってくれたミッキーマウスのぬいぐるみをとても大事にしていたのだそうです。
かわいい、自分だけの大切な友人、それが幼い頃の妻にとってのミッキーマウスだったのです。
時を経て、私と出会い、東京ディズニーリゾートにデートしに来ることが多くなりました。
私はこの時、本当に全くと言っていい程にディズニーには興味関心がなかったのです。
実は妻とは同じ高校に通ってました。学年も一緒でしたが、同学年の人数が多くてお互いの存在なんて知らないままだったのです。
その高校生の時に遠足という事で東京ディズニーランドに来た事がありました。
妻は恐らくお友達と楽しく遊んでいたのでしょうが、私はこの時の記憶らしきものは殆どありませんでした。
確か武蔵野線で船橋方面から廻って行ったんじゃないかな、と。
覚えている事は、タバコが吸えないからどこで吸おうか本気で迷い探しあぐね、結果吸えぬまんま1日過ごしたこと(苦笑)。
後は、ゲームセンターらしき場所があったなあ。トゥモローランドに、ですね。
そこにいたくらいか。
早々に帰宅した記憶がありましたね。
高校生の時は喫煙の習慣がありました。20代で辞めることになりますが、喫煙のきっかけは失恋の痛手を埋めるため、それも16の時なのでいかに情けないメンタルだったか.....
その失恋の相手が妻の中学時代の同級生だったというオチまでついて、じゃあなんで地元の人間と結婚したんだ、と言われると、ほんとなんででしょうね。
変節その1
脱線しましたので、話を戻すと、とにかく昔は興味も関心もなかった。
そんな人間がどうして妻と一緒に頻繁にパークに通うようになったのか。
デートで年に4〜6回来てきたのですが、とにかく疲れた体に鞭打ってパークに朝1番で乗り込むのが凄くイヤだったのです。
しかも混んでいる。
待つのも嫌いな人間の私からすると、はっきり言って最悪の場所。
若い女の子がキャーキャー言っていて、当時30代自分からすると一刻も早く家に帰って寝たい、とそればかり願ってました。
しかし、妻は何と言ってもパークに来るのがとても楽しみだし、何よりミッキーに会いたい!
だから普段はなかなか布団から起き抜けないのにパークに行く時は目覚ましが鳴る前に目覚め、私を叩き起こし、始発でパークに向かい、朝一番でミートミッキーに行く。
終電が終わってからの帰宅が多かった当時、休みの日はゆっくり寝たい私からすると地獄以外の何物でもないものでした。
こんな苦痛なかなかないぞ、と。
そして、こう思ったのです。
パートナーの身体よりもミッキーの方が大事なのか???
なので、昔はよくミッキーを巡って本気で喧嘩した事がありました。
俺よりもミッキーなのか?と。
妻は即座に切りかえします。
バカじゃないの?と。ミッキーはただの友達なんだ、と。
そのただの友達に会いに行くわりには朝は始発から張り切っていくじゃねえか、普段は起きてこないくせして、と私は当然毒づきます。
妻はミッキーに会いに行くのに張り切らない人なんているの?あんた下らないことばかり言って本当にバカじゃないの?
と、こんな感じで年に十数回本気で喧嘩してました。
いや、今でもたまにこの手に近い喧嘩はあるな(苦笑)。
変節その2
そんな私がどうして寛容になったのか。
ヒントは30周年の2013年にあります。
この当時パークの中でよく聞かされていたのは30年前に生まれてはじめて東京ディズニーリゾートに来た時の話しでした。
小さかった時家族や友人一家と大人数で来てとても楽しかったときの話しをよく聞かされていたのです。
自分にはそんな家族の思い出になるような遊び場はありませんでした。
しかし、妻にはある。そしてそれが今でも変わらずある。
30年前に一緒に来た妻の家族も今はご両親がそれぞれ他界し、お姉さん2人も近隣に住んでいるとはいえそれぞれ家庭があり子育てに忙しい毎日。
お姉さんと一緒に来る事があっても、もう親とは2度と来る事が出来ない場所なんですよね。
だから3世代でパークに来る人達を見ると、時々ぽそりというんですよね。もしかしたら、私達もあんな風にして(3世代で)来ていたのかもね、と。
楽しかった思い出を共有する人が親であるが、2人とも既に他界し、姉妹もそれぞれの日常がある。
一緒に行った友人一家とも連絡を取り合っている訳ではなく、共有する人がいない。
でも、パークに来ると当時の記憶が蘇ってくる。
妻にとっての東京ディズニーランドはただ単純にミートミッキーのために来ている訳ではなく、時には昔を懐かしみ、そして今は夫である私と家族の思い出を作りに来ている。
そういう事を理解し始めてから、毛嫌いするのをやめてとりあえずまだまだ暫くは後ろにくっついて一緒に遊びに行こうか、という気持ちになるようになったんです。
DVCもその前にはサインしていたし、夫としては妻がいつまでもニコニコしていて朗らかであってくれればそれでいいかなあ、というそんな感じに気持ちが変わって今に至るというお話しであります。
今も昔も私は奥さんの後ろにくっついて歩いているだけ。
主導権は常に奥さんの手の中にあります。
書くのは私が勝手にやり始めましたが、これに関しては時々厳しい批評がある以外は基本放置されてます(笑)。
年パス更新はどうしようか。
そういえばアナハイムに行った時、妻がこんな事言ってましたね。
昔、生まれてはじめて東京ディズニーランドに来た時と同じ雰囲気を感じる、と。
開園当時の雰囲気を私は一切知らないのですが、アナハイムでそんなお話しを聞くと、改めて面白かったりしますね。
さて、年パスはつい最近まで買わなかったんですが、結局購入した理由は朝一番でパークに乗り込みたくないから、という実にどうしようもない理由で購入に至った経緯があります。
純粋に好きな人からするとあかんやつですね。
今は期限が切れてしまってますが、近々暖かくなったら更新かなあ、なんて思っているのですが.....
実は手元には今、アナハイムの年パスがあります。
そしてアナハイムが予想以上に楽しかった事もあり、妻は東京の年パス購入を控える事をわりと真剣に検討するし始めております。
そりゃ子供の頃に味わったパークの雰囲気に近いものがアナハイムにあるなら、東京は.....ってな話になるのは無理もないのかな、なんて思ってみてますが、今後どうするかはまた改めて話し合おうと思ってます。
なんやかんや言って絶対買うんだろうけど。
東京は東京ですごく頑張っているんだろうけど、子供の頃の楽しかった思い出が思い出せない、そんな場所にはなって欲しくはないと思います。
妻がとても大事にしている場所がそう思えなくなるのは端で見ている夫からするととても残念な事でもありますので。
最後
最後です。
12歳の姪っ子は学校の作文でDオタになる事を堂々と宣言したそうです。
妻の家系の血を引く姪っ子。
おじさんの私はそのお話しをお正月久しぶりに会った時に本人から直接聞かされて腰砕けになりそうでした(^^;;
学校の勉強頑張らないとおじさんおばさんパークに連れて行ってあげないよ!とは言ってますが、どうやら妻を見て妻に憧れみたいなものを抱いているというので、これからは会うたびに色々軌道修正しないといけないなあ、って思った次第でした。
ゴールを見据える事なくダラダラ書くとこんな風に冗長になる、悪い文章の見本でした。
以上!
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございました。
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