アニメで考えてみるエトセトラ:第1回,鋼の錬金術師

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで

 今回は有料のnoteとして試験的にチャレンジをしてみたいと思います。メインのテーマはアニメで考えてみるです。ここでセレクトするアニメは、全て私が一度は見たことがあるアニメとさせ頂きます故領域にバラツキがあることはご了承ください。1回目は鋼の錬金術師(以下、ハガレン)です。

1.鋼の錬金術師の概要

鋼の二つ名を持つ錬金術師エドワード(エド)と鎧の体の弟アルフォンス(アル)。兄弟は人体錬成という禁忌を侵し、失った肉体を取り戻すため、賢者の石を探して旅をしていた。旅の途中、錬金術師を狙う男・傷の男(スカー)に襲撃されるが、焔の錬金術師の二つ名を持つロイ・マスタング大佐に助けられる。その後エドたちは賢者の石の資料を入手し解読するが、賢者の石の材料が大量の生きた人間であると知って愕然とする。

エルリック兄弟をホムンクルスのラスト、グラトニー、エンヴィーが狙っていた。事件の真相に気付いたヒューズ中佐はエンヴィーに殺害される。マスタング大佐はホムンクルスたちとの戦いを経て、大総統キングブラッドレイがホムンクルスだと気づき、軍そのものが陰謀に巻き込まれていると推測する。エドはシン国の皇子リン・ヤオとエンヴィーと一緒にグラトニーに飲み込まれてしまう。そこで真理の扉とやせ衰えたアルの肉体を見て、体を取り戻せると確信する。

エドとアルはホムンクルスを作ったお父様に会い、恐ろしい陰謀が張り巡らされていることに気付く。これまでアメストリス国で起こった内乱は国全体に仕掛けられた錬成陣の上で起きており、軍隊はホムンクルスのブラッドレイに掌握され、「約束の日」に向けて準備が整えられていた。エルリック兄弟、スカー、マスタング達は手を組み、その日を迎え撃つ。

「約束の日」、お父様はエルリック兄弟、兄弟の師匠イズミ・カーティス、兄弟の父ヴァン・ホーエンハイム、マスタングの5人の錬金術師を人柱として集め、皆既日食に合わせて国土錬成陣を発動させてアメストリス国民を犠牲に神の力を手にいれようとする。だが、ホーエンハイムが各地に埋めた賢者の石とスカーの逆転の錬成陣により、アメストリス国民の魂は戻される。お父様との激しい戦いの中、エドは重傷を負う。アルは自分と引き換えにエドを蘇生させる。お父様を倒したあと、エドは人体錬成を行い、自分の錬金術師の能力を対価にアルと自分の腕を取り戻す。

戦いが終わり、故郷に戻ったエルリック兄弟。アルはシン国の錬丹術を学ぶため東へ旅立つことを決める。エドはさらに錬金術を研究するため、西へ旅立つ。

(引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%BC%E3%81%AE%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93%E5%B8%AB#%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98 )

 上記のあらすじを持つ、連載から20年を経つ人気のアニメ作品です。

2.統治のイメージ図?

 あらすじの中に出てくるロイ・マスタング大佐は大佐という名の通り軍人であり、軍のトップであるブラットレイ大総統をトップとした構図で軍が統治の権限を握っています。

 まず軍が統治の権限を握っている状況を政治学の教科書では軍事政権と呼び、そこでは往々にして戒厳令が布かれ、憲法が停止されます。文民政権の機能不全をあげつらい、軍部による「暫定政権」を称することが多いです。(参照1:『政治学の第一歩』pp47)日本においても戦前は東条英機や小磯国昭,米内光正や近衛文麿等軍部出身の内閣総理大臣はいました。しかし、戦後は民主主義により選挙で選出された国会議員の中から選ばれた人が内閣総理大臣となる仕組み(法律)となっていて、ニュースで見るミャンマーが軍事政権の代表例として挙げられています。

  また1人のリーダーに権力を集中させた政治のスタイルを政治学の教科書では個人独裁制と呼びます。イラクのフセイン大統領が代表例で、軍も政党もリーダー個人の裁量に影響を与えないという特徴があります。(参照1:pp47)つまり、あいつを八つ裂きにしろという命を下したとしてもそれに対して軍も政党も邪魔をしないという事です。

 このように書いてみると、ハガレンの世界で描かれている軍の姿は統治のイメージ図であるなと思うのと同時に、仮に日本が未来において軍事に偏った統治を選択した場合に待ち受ける未来を描いているのかもしれません。

3.ゼロサムでは語れない

 ハガレンを語る上で欠かせない要素の1つがホムンクルスです。Wikipediaからの参照になりますが、ヨーロッパの錬金術師が作り出す人造人間、及び作り出す技術のこと言い、アニメの中でもあんたらどんだけ銃に打たれたん?やどんだけ剣でさされてん?とツッコミたくなるような不死身さが表現されていました。

 しかし一見不死身そうに見える肉体も賢者の石というエネルギー体に支えられているだけであり、そのエネルギー体が力尽きた時、不死身さが消え肉体は死を迎えました。これはゼロサムでは語ることはできない、人間をはじめとした各種の生命体が持つ命の有限性を表しています。

 そしてこの命は時として時間に置き換え時間の有限性としても論じられるようになり、時間は社会とリンクしていきました。社会のトレンドの変化はその人個人の有限な命においてどう選択していくかを迫られる場面でもあります。AIの進歩で人間の仕事がAIに置き換わっていしまうのでは論が一時期話題となりましたが、マッキンゼー・アンド・カンパニーの研究部門であるマッキンゼー・グローバル・インスティテュートが2017年1月に発表したレポートによると、作業活動(タスク)を①人事管理・育成/②専門知識を意思決定、プランニング、クリエイティブな仕事に活用/③ステークホルダーとの接触/④予測不可能環境で身体活動を行って機械を操作/⑤データ収集/⑥データ処理/⑦予測可能な環境で身体活動を行って機械を操作/の7つに分類して、⑤⑥⑦が自動化されやすいという予測を発表しているが、これもコスト面の部分が加味されていないため、実際にはコスト面と便益性を天秤にかけた結論になるだろうと海老原嗣生氏が著書で指摘しています。(参照2:『「AIで仕事がなくなる」論のウソ この先15年の現実的な雇用シフト』pp58~61)

 こういう点からも、ハガレンのストーリーの中で示されているゼロサム語ることが難しい世界観は現実とリンクしている側面が強いと感じます。

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