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究極の願い

結婚前に母に誘われて旅行に行った。独身最後の母娘旅行。行先は南紀。熊野古道や高野山、伊勢神宮を巡る旅だった。

母は私とはまったく違い、車で行けない距離の旅行をするときは必ず団体旅行を選ぶ。私は全部自分で予定を組み、または組まずに行き当たりばったりで行きたいのだが、このときは旅費を母がもってくれたのでおとなしく母の好みに従った。

そんな旅行中、どこか忘れたが、ご神木的なありがたい木があった。ツアーにいっしょに参加していた明るい3人組のマダムのひとりがその木に手を当て言った。

ぽっくり逝けますように

それを聞いていた人たちは笑っていたが、私は感銘を受けてしまった。

まず、完全な他力本願でないことへの好感。「生きている間は自力で頑張りますよ。でも最期のときだけは力を貸してくださいね。」と私には聞こえた。自分では選べないところだけ神様にお願いする。
これが「宝くじが当たりますように」とか「息子がいいお嫁さんを見つけますように」とかだったら、神様も「知らないよ」って感じだと思うし、私はマダムのことを「低俗なおばさん」と認識しただろう。私も俗っぽさを語れるほど高尚な人間ではないにもかかわらず。

そして軽さがよかった。マダムは見たところ60歳前後。これが20代だったら「何言ってるの?ウケ狙い?」と白けるかもしれないし「何か事情がおありのかしら…」と深読みされてしまうかもしれない。反対にヨボヨボだったら「まぁまぁそんなこと言わずに…」と野暮なことを言われそうである。そういうことじゃないのに。
中年だからこそ違和感なく、深刻でもなく、周りも笑えた。このマダムは自分の見られ方と見せ方をよくわかっているようでかっこよかった。

そしてもっとも感銘を受けたのは言葉選びの秀逸さ。
死という言葉にはどうしても暗い影がついてくる。本来は笑えない話題である。それなのに同じツアーに参加しているだけのつながりの薄い人たちを笑わせた。切実ながら端的でユーモラス。

私も言いたい。朗らかに言い放ちたい。

そのためには元気なミドルエイジにならなければいけない。運動して足腰を鍛え、生活習慣を整えて体の中から健康を維持する。でないとせっかくの「ぽっくり逝けますように」が重くなってしまう。

「ぽっくり逝けますように」と言うための準備もなかなか大変そうだ。

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