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「わたしはがんばっている」と思うのは良いことなんだろうか?

「がんばる」という言葉ほど使いやすいけど使い方を迷う言葉ってあまりない気がします。

他の人に向けて使うタイミングは選びたいと思いつつも、子どもにはしょっちゅう言ってしまっているわたし…

最近考えていたのは、「わたしがんばってる!」と自分に対して使うのはどうなんだろう?ということ。

これまでどう使っていたかを振り返りつつ、今抱えているモヤモヤとじゃあどうしよう?を考えてみたいと思います。

「わたしがんばってる」の捉え方と今のモヤモヤ

5,6年前まで、わたしは自分で自分のやったことを認めることができず、そもそも「わたしがんばってる」なんて全く思えませんでした。

「わたしはダメ人間だ」と自分に言い聞かせることで自分を守っていた部分もあります。

メンタルの浮き沈みも激しかったのですが、安定したのは間違いなく小さいことでも「できた!」「がんばってる!」と思えるようになったから。(この辺の経緯は長くなるので省きますが、手帳習慣がついたことが大きいです)

この場合の「わたしがんばってる」は気持ちを引き上げる言葉。そう思うことで自信にも繋がり、プラスの作用が大きかったです。

そのうち使い慣れると、小さいことでも「わたしがんばった!」と思えるように。
一見良いことではあるんですが、だんだん雲行きが怪しくなってきます…

「わたしはがんばってる!」
→だから認めて!という承認欲求
→なのになんで!という不満やグチ

自分の中でとどまらず、周囲に求めるものが出てくるように。

あれ?これなんか違くない?
別にこういう使い方をしたかったわけじゃないんだけどな…
わたしがんばってるって思うこと自体間違ってた?
と混乱してきたので、改めて考えてみることにしました。

課題は2つ。

  • 自分のがんばりはどこまでどうやって認めれば良いのか?

  • 自己完結させることはできるか?

「わたしがんばってる」に違和感を覚えるようになったのはなぜか、3つ仮説を立てました。

「わたしがんばってる」がうまく使えなくなった原因

仮説①本心ではがんばっていると思っていない

最初に思い付いたのは、がんばっていると表面的には思っているけど、実は内心そう思っていない場合。

自分のことを認められていない状態に戻ったということになりますが、今回はこれは当てはまらない気がしたので却下。

仮説②「がんばっている」のあいまいさ

がんばっているって便利な一言な分、けっこうあいまいです。

奥底で抱えている不満や引っかかりを見ぬふりして(気付かないだけの可能性も)、心のこもっていない「がんばってるね」を言ってるだけってこともありそう。

忙しい時に子どもから「ママ~見て~」と言われた時の、「あ~はいはい、すごいね~」みたいな。(これはこれで何とかしたい問題)

なので、

  • 何ができた

  • どんな工夫をしてみた

  • ここはうまくいかなかった

と具体的に良かったこと・満足してること・改善したいことを言葉にした方が嬉しくなるかもと思いました。

「なんか今日良い感じだね」と言われると「何が?」「どこが?」と聞きたくなるけど、「今日の服の色が似合ってる」と具体的に言われると納得して受け止められるし、より嬉しいっていう感じ。

具体的に言葉にする手間をすっ飛ばして、一言で片付けようとしてるから自分で納得できなくて、自分以外の人に承認を求めてしまうのかもしれません。

一手間はかかるし、うまく言葉にできないこともあるとは思うのだけど。
でも言語化することで余計な感情に振り回されず、シンプルに素直に受け止められる気がしました。

仮説③実はやりたくないことなのかも

ちょっと極端かもしれませんが、好きなことだったら「わたしがんばってる」って思わない気がするんです。

メジャーリーガーの大谷選手って、誰もががんばりを認める人だと思います。でも本人はただ野球が好きなだけで、「俺はすごくがんばってる」「努力してる」って思ってないんじゃないかと常々考えていました。
完全にわたしの想像ですけども。

だからがんばっていると思いたいことって、実はあまり好きじゃないこと、もしくは全体で見れば好きだけど一部苦手要素があることなんじゃないかと思いました。

たとえば、わたしがしょっちゅう思っている、「毎日ご飯づくりがんばってる」。

料理自体は好きなのに、がんばっていると思いたい。そこには、

  • 自分が好きなメニューと子どもが食べるメニューが全然違う

  • 作るのは好きだけど、献立を考えるのが面倒

  • 精神的に余裕がない日もある

と、細かく見ていくと引っかかるポイントが出てきます。

そしたら何か対策を考えて試してみる。
改善を繰り返していくうちに、苦手要素は減ってきて「がんばってる感」は薄くなってくるのかなと。

全部が全部、純粋な好きで埋められないのは百も承知です。

きれいごと感もある気がしますが、試してみる価値はありそう。

今後やってみること

最初に書き出した課題は2つでした。

  • 自分のがんばりはどこまでどうやって認めれば良いのか?

  • 自己完結させることはできるか?

結論としては、「具体的に言葉にする手間を惜しまない」のが今の時点でのわたしの答えです。

「がんばっている」じゃなくて、「ここは満足してる/モヤモヤする」「じゃあ今後はどうしよう」と考えてみる。

具体的に言葉にして自分が納得できれば、「果たしてこれをがんばっていると思って良いんだろうか?」という疑問もなくなるはず。周囲の人に認めてもらうどうこうの話じゃなくなります。

まだ仮説段階で実践は何もしていないので、やってみてまた追記できたらと思います。

尻切れトンボですが、一旦ここまで!
気付いたことや感じたことがあればぜひ教えていただけると嬉しいです。



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