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停学中の過ごし方 (24話)
無期限の停学になってからはありがたい事に、担任の先生が一週間に一回は家まで訪ねてくれていた。
随分後で母から聞いた話によると、毎日連絡をくれて私の様子を伺ってくれていたそうです。
母は何が起ころうが私や他の人の前では御山の如く平然としてビクともしなかった。私が母に示すだけの要求を100%聞いてくれた。私が楽しいと思える事にとことん毎日でも付き合ってくれた。お陰様で私も楽しくこの状況を過ごすことが出来た。
ゲームセンターでリズムゲームを飽きるまで一緒にしてもらったり、食べ物を選ぶ事が分からなかった私が、反応するご飯やデザートのお店を片っ端から2人で食べまわりました。私は味見程度の“ちょい食べ“で残りは母が全て平らげるというものであった。例えば、回転寿司に行って時間を開けずに焼き肉に行き次にラーメン屋さん、次に喫茶店、また別の喫茶店、次にパン屋さん(笑)1日で食べまわり過ごしました。
母の胃袋は普通では無かった。
フードファイター同様の胃袋なので対応ができたのだ。
母はカレーライスを10杯食べてもお腹がいっぱいにはならない特殊な胃袋を持っていた。そんな母のお陰で当時の私は当たり前の様に色々な味見を楽しむ事が出来た。
何に対しても制限を掛けない母にとてつもなく心が満たされました。
一般的な親であれば、制限を掛けてその範囲内で楽しんだり子供の将来を心配して教育を交えて行動にストップを掛けるが母はそうでは無かった。私を信頼して心底楽しんでくれていました。
そして、おおいに失敗も経験させてくれました。
母は私が生まれてから現在でも「お母さんは若子のファン!」と身内や周りに言ってくれています。今思えば、人間的では無い超最先端の子育てを受ける事が出来ました(笑)私に関わってくれる人、皆イイい人。親切で有り難い。
精神科に通えた経験、大量の精神安定剤を飲めた面白い経験、そしてそれを全てやめた経験をして、楽しく不思議な停学生活を送れて、担任の先生の努力も実り、無事少しずつ学校に行ける事の許可が下りる運びに成りました。有り難い。ありがたい。ありがたい。ありがたい。
つづく
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